○佐野眞一『巨怪伝:正力松太郎と影武者たちの一世紀』上・下(文春文庫) 文芸春秋社 2000.5

正力松太郎(1885-1969)には、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父という三つの呼び名がある。たぶん私が正力の名前を覚えたのは、「巨人軍は常に紳士たれ」という遺訓(巨人軍憲章)の作者としてではないかと思う。私は、マンガやアニメ『巨人の星』に熱狂した世代なのだ。当時、すでに現実の巨人軍は、正力亨オーナーの時代に入っていたはずで、正力松太郎と長男・亨の区別がついていたか、あやしいものだが、とにかく「正力」という珍しい名字が、巨人軍~読売新聞社~日本テレビと、深い結びつきがあることは、子どもながらに理解していた。しかし、本書を読んで、正力と巨人、読売、日本テレビは、思っていたような「一枚岩」ではないことが分かった。
本書の正力は、まず、共産主義者検挙に辣腕をふるう警察官僚として現れる。関東大震災においては、「朝鮮人暴動の噂」の流布に積極的に加担する。しかし、1923年(大正12)、摂政宮裕仁親王が狙われた虎ノ門事件の責任を取って、警視庁警務部長を辞職。
ここから、「名誉回復」に向けた正力の長い闘いが始まる。赤字経営だった読売新聞を、政府の御用新聞に変えるため、失職中だった正力を乗り込ませた人々がいた。正力は、卓抜なアイディアとがむしゃらな行動力で、たちまち大衆の心を掴み、読売新聞の売上部数を急成長させた。
「卓抜なアイディア」と書いてみたけれど、著者は注意深く「別段、企画の独創性があるわけではなかった」「新聞人というプライドを多少なりとももった者ならば、世間的な批判を恐れて実行を控える類のものばかりだった」と書いている。
要するに、正力には、新聞はこうあるべきという理想もこだわりも愛情もなかった。なかったからこそ、有能な人材を積極的にスカウトし、彼らのアイディアを「面白い、やれ」のひとことで実行に移すことができた。ただし世間的に、そのアイディアは正力の頭脳が生み出したものとされた。正力のカリスマ神話の影には、「影武者」に甘んじた多くの部下たちがいた。
全く同じ構造が、日本初の民放テレビの開局にも、プロ野球の誕生にも繰り返される。何のためにテレビジョンが必要か、プロ野球はどうあるべきかを真剣に考える人々が一方にいた。本書は、正力の「影武者たち」の軌跡を丹念に追っていく。正力よりずっと人間的に好ましく、魅力的な人物も多数登場する。しかし、理想や愛情だけで事業は成らない…というのが、面白い、また考えさせられたところだ。正力と、彼の影武者たちの関係を、どちらがどちらを利用したと考えるかは、見方によると思う。
最も単純な図式は、影武者たちの功績を、正力が「私的欲望」のために横取りしたと考えることである。実際、読売新聞社でも、日本テレビでも、正力と有力社員の間に、激しい軋轢や闘争があったことを、私は本書で初めて知った。巨人軍のスター選手さえも、正力の選挙応援のための「男芸者」扱いされている。
しかし、正力の「私」が何であったのかも、よく分からない。正力は、最終的に政治家として権力を手にすることを望んだが、あまりにも「我」が強すぎて、選挙民に頭を下げることができず、政治家には向かなかったと言われる。昭和30年、「保守合同」と「原子力の平和利用」を二大公約として富山二区から立候補したというのだから、富山県民もびっくりしただろう。これは日本の将来のための公約だと言ってはばからず、大水で橋が流されて困っているという類の陳情に対しては、「ワシはそういう小さな市町村のために代議士に出たんじゃない」と、けんもほろろだったそうだ。
旺盛な権力欲に対し、蓄財には不思議なほど無頓着だったことも描かれている。晩年は、仏教世界にのめり込み、数ある事業の中でも「妾」のように金をつぎ込んだよみうりランド内に、霊殿と聖地公園を造営したことも。あ!と思い出したのは、2009年の『道教の美術』展で見た童子形の妙見菩薩像も、もしかしたら正力松太郎に由来したのだろうか。
個人的な感想だが、私は逗子に住んでいたことがあるので、正力の逗子邸がどのあたりだったのかが気になった(※補記)。それから、ちょうど『陽明文庫名宝展』で、「御堂関白記」を見てきた直後だったので、門外不出だった近衛家の至宝の公開を、昭和4年、東京府美術館の『日本名宝展覧会』で、史上初めて実現させたのが正力である、という下りに、へえ~と思った。万一のことを案じ、展覧会の前後二カ月間は、三人の読売新聞社幹部と正力自身が交替で会場に泊まり込んだともいう。「御堂関白記」も、菊人形も、プロ野球もプロレスも、正力にとっては「人集め」という同一次元にあったのだろうな、と感慨深く思った。
天性の興行師・正力松太郎の極点が、プロ野球巨人-阪神戦の天覧試合であることは異論を俟たないだろう。そして、長島の天覧ホームランの瞬間をとらえた有名な写真(本書には掲載されていないが、昭和生まれの人間なら、おおかた一度は見たことがあると思う)が、実は「合成」であるという、私にはかなり衝撃的だった事実、さらに貴賓席の天皇の背後に、虎ノ門事件からの長い「因縁」を背負った正力がいたことも、初めて知った。
「私欲」の塊であるようにも見え、またそうでないようにも見える正力松太郎を、著者は「磁場」にたとえている。さまざまな夢や思惑をかかえた人々が、その周辺に吸い寄せられた。では、そもそも私が本書を読み始めたきっかけである、原子力発電は、誰の夢だったんだろう。新聞業やプロ野球に比べると、そこはいまひとつ、はっきりしない気がした。
※補記。東郷橋(東郷元帥に由来する)のあたりらしい。あまり記憶のないエリアなので、機会があったら、あらためて行ってみよう…。


本書の正力は、まず、共産主義者検挙に辣腕をふるう警察官僚として現れる。関東大震災においては、「朝鮮人暴動の噂」の流布に積極的に加担する。しかし、1923年(大正12)、摂政宮裕仁親王が狙われた虎ノ門事件の責任を取って、警視庁警務部長を辞職。
ここから、「名誉回復」に向けた正力の長い闘いが始まる。赤字経営だった読売新聞を、政府の御用新聞に変えるため、失職中だった正力を乗り込ませた人々がいた。正力は、卓抜なアイディアとがむしゃらな行動力で、たちまち大衆の心を掴み、読売新聞の売上部数を急成長させた。
「卓抜なアイディア」と書いてみたけれど、著者は注意深く「別段、企画の独創性があるわけではなかった」「新聞人というプライドを多少なりとももった者ならば、世間的な批判を恐れて実行を控える類のものばかりだった」と書いている。
要するに、正力には、新聞はこうあるべきという理想もこだわりも愛情もなかった。なかったからこそ、有能な人材を積極的にスカウトし、彼らのアイディアを「面白い、やれ」のひとことで実行に移すことができた。ただし世間的に、そのアイディアは正力の頭脳が生み出したものとされた。正力のカリスマ神話の影には、「影武者」に甘んじた多くの部下たちがいた。
全く同じ構造が、日本初の民放テレビの開局にも、プロ野球の誕生にも繰り返される。何のためにテレビジョンが必要か、プロ野球はどうあるべきかを真剣に考える人々が一方にいた。本書は、正力の「影武者たち」の軌跡を丹念に追っていく。正力よりずっと人間的に好ましく、魅力的な人物も多数登場する。しかし、理想や愛情だけで事業は成らない…というのが、面白い、また考えさせられたところだ。正力と、彼の影武者たちの関係を、どちらがどちらを利用したと考えるかは、見方によると思う。
最も単純な図式は、影武者たちの功績を、正力が「私的欲望」のために横取りしたと考えることである。実際、読売新聞社でも、日本テレビでも、正力と有力社員の間に、激しい軋轢や闘争があったことを、私は本書で初めて知った。巨人軍のスター選手さえも、正力の選挙応援のための「男芸者」扱いされている。
しかし、正力の「私」が何であったのかも、よく分からない。正力は、最終的に政治家として権力を手にすることを望んだが、あまりにも「我」が強すぎて、選挙民に頭を下げることができず、政治家には向かなかったと言われる。昭和30年、「保守合同」と「原子力の平和利用」を二大公約として富山二区から立候補したというのだから、富山県民もびっくりしただろう。これは日本の将来のための公約だと言ってはばからず、大水で橋が流されて困っているという類の陳情に対しては、「ワシはそういう小さな市町村のために代議士に出たんじゃない」と、けんもほろろだったそうだ。
旺盛な権力欲に対し、蓄財には不思議なほど無頓着だったことも描かれている。晩年は、仏教世界にのめり込み、数ある事業の中でも「妾」のように金をつぎ込んだよみうりランド内に、霊殿と聖地公園を造営したことも。あ!と思い出したのは、2009年の『道教の美術』展で見た童子形の妙見菩薩像も、もしかしたら正力松太郎に由来したのだろうか。
個人的な感想だが、私は逗子に住んでいたことがあるので、正力の逗子邸がどのあたりだったのかが気になった(※補記)。それから、ちょうど『陽明文庫名宝展』で、「御堂関白記」を見てきた直後だったので、門外不出だった近衛家の至宝の公開を、昭和4年、東京府美術館の『日本名宝展覧会』で、史上初めて実現させたのが正力である、という下りに、へえ~と思った。万一のことを案じ、展覧会の前後二カ月間は、三人の読売新聞社幹部と正力自身が交替で会場に泊まり込んだともいう。「御堂関白記」も、菊人形も、プロ野球もプロレスも、正力にとっては「人集め」という同一次元にあったのだろうな、と感慨深く思った。
天性の興行師・正力松太郎の極点が、プロ野球巨人-阪神戦の天覧試合であることは異論を俟たないだろう。そして、長島の天覧ホームランの瞬間をとらえた有名な写真(本書には掲載されていないが、昭和生まれの人間なら、おおかた一度は見たことがあると思う)が、実は「合成」であるという、私にはかなり衝撃的だった事実、さらに貴賓席の天皇の背後に、虎ノ門事件からの長い「因縁」を背負った正力がいたことも、初めて知った。
「私欲」の塊であるようにも見え、またそうでないようにも見える正力松太郎を、著者は「磁場」にたとえている。さまざまな夢や思惑をかかえた人々が、その周辺に吸い寄せられた。では、そもそも私が本書を読み始めたきっかけである、原子力発電は、誰の夢だったんだろう。新聞業やプロ野球に比べると、そこはいまひとつ、はっきりしない気がした。
※補記。東郷橋(東郷元帥に由来する)のあたりらしい。あまり記憶のないエリアなので、機会があったら、あらためて行ってみよう…。