○見田宗介『現代社会の理論:情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書) 岩波書店 1996.10
近代社会一般とは区別された存在としての「現代社会」。それを特色づけているのは情報化/消費化である。第1章は、純粋消費社会としての「情報化/消費化社会」(キーワードは、デザイン、広告、モード)が近代市民社会の必然であり、卓越した魅力を有していることを述べる。第2、3章は、ゆたかな現代社会が外部に追いやった「闇」の部分、環境問題と貧困について述べる。そして第4章は、自然収奪的でも他者収奪的でもない方向に欲望を転回することで「闇」を克服することを提言し、「自由な社会」の可能性を説く。
要するに、エコってカッコいいよね、みたいな美学の転換が行き渡れば、環境問題や貧困は解決できるってこと? 「〈情報〉のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方に向かって解き放ってくれる」って、平たく言えば、そういうことなの?
1996年に出た本書を、2010年の今、正しく読むことはなかなかに難しい。80年代後半から90年代初頭まで、バブル景気期の消費者は、確かにモデルチェンジに煽られ続けてていた。情報が生み出す欲望は、無限に拡大するかに思われた。けれど、いつからか、情報化と消費化ははっきり袂を分かってしまった。情報化の進展は留まることを知らないけれど、消費は個別化・細分化し、今や「嫌消費」世代の登場まで言われ始めている。
不思議なのは、消費の欲望が抑制的になっても、一向に環境問題や貧困の解消につながらないことだ。むしろ聞こえてくるのは、もっと消費を!もっと景気拡大を!の煽り声である。消費が減退すれば、北でも南でも、いよいよ貧困は拡大し、企業の設備投資もできないから、環境問題も解決しない。そして、地球にやさしい生活を謳歌できるのは、収入に不安のない、格差社会の勝ち組だけだ。一体どこに、自然収奪的でも他者収奪的でもない幸福の形式なんかがあるのだろう。
本当のところ、本書を読みながら途方に暮れてしまった。10年や20年前の社会システムを前提に書かれた本を読むのは難しいな。かえって100年前の本のほうが、エッセンスを理解しやすい気がする。

要するに、エコってカッコいいよね、みたいな美学の転換が行き渡れば、環境問題や貧困は解決できるってこと? 「〈情報〉のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方に向かって解き放ってくれる」って、平たく言えば、そういうことなの?
1996年に出た本書を、2010年の今、正しく読むことはなかなかに難しい。80年代後半から90年代初頭まで、バブル景気期の消費者は、確かにモデルチェンジに煽られ続けてていた。情報が生み出す欲望は、無限に拡大するかに思われた。けれど、いつからか、情報化と消費化ははっきり袂を分かってしまった。情報化の進展は留まることを知らないけれど、消費は個別化・細分化し、今や「嫌消費」世代の登場まで言われ始めている。
不思議なのは、消費の欲望が抑制的になっても、一向に環境問題や貧困の解消につながらないことだ。むしろ聞こえてくるのは、もっと消費を!もっと景気拡大を!の煽り声である。消費が減退すれば、北でも南でも、いよいよ貧困は拡大し、企業の設備投資もできないから、環境問題も解決しない。そして、地球にやさしい生活を謳歌できるのは、収入に不安のない、格差社会の勝ち組だけだ。一体どこに、自然収奪的でも他者収奪的でもない幸福の形式なんかがあるのだろう。
本当のところ、本書を読みながら途方に暮れてしまった。10年や20年前の社会システムを前提に書かれた本を読むのは難しいな。かえって100年前の本のほうが、エッセンスを理解しやすい気がする。