見もの・読みもの日記

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今様オランダ風説書(1):到着~ライデン、シーボルトの記憶

2008-03-10 23:08:18 | ■オランダ風説書2008
 3月4日の昼過ぎ、成田を発って、アムステルダムまで13時間。久々の長旅だなあと思っていたが、トラブルもなく、平穏に到着した。雪交じりの冷たい風に震えながら、アムステルダム駅前のホテルに落ち着く。鰻の寝床のように奥の深い建築は、かつて東インド会社の倉庫だったという。

 翌朝、鉄道で、最初の視察地ライデンへ向かった。古い大学町だと思っていたら、全く近代的な駅のたたずまいに拍子抜けした。それでも、しばらく歩いていくと、運河堤に風車が見えてきたり、次第に趣きある旧市街に到達した。案内をしてくれる方との約束は午後からなので、午前中はフリータイムである。観光名所のひとつである、ライデン大学植物園に入る。大通りに面した建物(大学本部らしい)は工事中だったが、足場の下をくぐって奥に進むと、植物園は開園していた。ここでは、シーボルトが日本から持ち帰った約500種の植物のうち、13種15本が今でも栽培されている。

 日本からの連れが、建築用の足場に覆われた壁面に、縦書の文字が大書してあるのを見つけた。「何か書いてありますよ、日本語ですよ」という。「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな 菅原道真」とある。無邪気に首をひねる彼には、全く意味が分からないらしい。

 もちろんこれは、平安時代の文人政治家、菅原道真が、配流の地、大宰府で、京のみやこを思い出して詠んだ和歌である。一方、この植物園に縁の深いシーボルトは、1828年、長崎に妻子を残して帰国する際、ご禁制の日本地図を持ち出したことが見つかり、国外追放・再渡航禁止の処分を受けてしまう。彼が再び日本の地を踏んだのは、1859年のことだった。その間、30年。シーボルトは、遥かユーラシア大陸の東の果てを思い続けたことだろう。なんとも壮大な「東風(こち)」になぞらえたものだ、と思って、この植物園の壁にこの和歌を記した人物の機智と思いやりに感心した。面倒くさいので、同行人には教えてやらない。

 植物園の中には、熱帯植物の茂る巨大なグラスハウスあり、古風なオランジェリー(温室)あり(外壁では日本産の木瓜が満開)、日本庭園あり(河畔の柳?が借景)と楽しめる。隣接する天文台のドームも、歴史ある大学らしい風景である。チューリップにはまだ早いが、私の大好きなクリスマスローズが地面にあふれ返り、品のいい芳香が鼻孔をくすぐる。

 それから、シーボルトハウスを見学。シーボルト旧居跡に、彼が日本から持ち帰った800点余りのコレクションを展示した博物館である。これがすごい。噂には聞いていたが、これほどのバラエティに富んだコレクションとは!! 19世紀の「博物学」という言葉の持つ、底知れない豊かさと貪欲さを実感させてくれる。剥製、植物標本、印刷物、金物、食器、玩具、模型、着物、装身具...とにかく何でもアリなのだ。そして、敢えて知的な整理や分類を加えず、その「ひっくり返したおもちゃ箱」的な魅力を正面に据えた展示方法は、冒険的である(いや、実は細かな計算があるのかしら)。

 無邪気な同行人も「うわ~すげえな」と驚いた様子。が、1点1点詳しく見ようとするほどの関心はないらしく、展示ケースの前を早足に通り過ぎていく。ええ~もうちょっとゆっくり見ようよ~と思ったが、何せ今回は観光が目的ではない。地図や錦絵の版元とか、1つ1つ確かめたかったのだが、泣いて諦めることにした。あとで期待を込めて所蔵品カタログを物色したが、満足できるものがなかったのは残念。

 数あるコレクション品の中で、印象深かったのは、日本犬のサクラの剥製。シーボルトが日本から連れ帰り、このライデンの町で飼われていたという。ガラス玉で表現されたやさしい黒目が、小さな歴史を語っているようだった。

■ツアコンモバイル通信:ライデンのシーボルト(菅原道真歌の壁書の写真あり)
http://www.nta.co.jp/ryoko/tourcon/2003/030519_1/

■シーボルト・ハウス(公式サイト)
http://www.sieboldhuis.org/
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