見もの・読みもの日記

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フェミニズムの黄昏/女は何を欲望するか?(内田樹)

2008-03-18 23:59:57 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『女は何を欲望するか?』(角川oneテーマ21)角川書店 2008.3

 最近お気に入りの内田樹さんの新著だ、と思ったら、そうではなくて、2002年に径書房から出された単行本の「仕立て直し」だという。当時は内田樹さんをよく知らなかったし、まして「女」論には一切興味がなくて、素通りしたのだと思う。

 「私はフェミニズムに対しては70年代まではかなり親和的でした」と著者は言う。私自身は、世代的に少し遅いが、70年代末にフェミニズムという用語を知って、80年代半ばまでは、難解な哲学書を、かなり背伸びして読んでいた。それが、90年代に入ると、ぱたりと憑き物が落ちたように関心がなくなって、今日に至る。

 だから著者が「フェミニズムは、少なくとも日本における啓蒙運動としてのフェミニズムは、その歴史的使命を果たし終えて、いま段階的にその社会的影響力を失いつつある」と書いていることに、実感として同意できる。広い世間には、今なお「フェミニズムは脅威である」と感じている人も、「フェミニズムの退潮はあってはならない」という信念を持っている人もいるだろうが、私は、著者の醒めた認識のほうが真実だと思う。

 フェミニズムに、何か決定的で特徴的な弱点があったためではない。むしろ「それはあらゆる社会理論が陥る、ほとんど構造的な『難点』である」と著者は説く。マルクスしかり、フロイトしかり。したがって、本書はフェミニズムを例としながら、あらゆる社会的理論はなぜ失敗するのか、という普遍的思想問題を考えるレッスンになっている。

 思えば、私が知的に物心ついたのは、マルクス主義が「構造的難点」を露呈して衰退期に入った頃だった。ただし、社会の一部には、まだマルクス主義の「栄光の記憶」を覚えている人たちもいた。今のフェミニズムの立場は、当時のマルクス主義に近いかもしれない。そして、最近、また「マルクス再読」をテーマにした図書が出始めているように、あと30年くらいしたら「フェミニズム再読」が言われるときが来るのだろうか。一部好事家の間で。

 後半は「エイリアン」シリーズを題材にしたフェミニズム映画論。この映画に、性的な表象がちりばめられているという指摘は、何度も聞いてきたが、まとまった記述として読むと、あらためて気づくことが多くて興味深かった。第1作(男性の自己複製の道具であることの拒絶)、第2作(母性の葛藤)は、それぞれ70年代と80年代のフェミニズムの中心課題を巧妙に取り入れつつ、興行的成功を収めた。私が知っている(テレビで見た)のはこの2作までで、その後の第3作、第4作のあらすじは、本書で初めて知った。

 第3作は、女性性の否定というフェミニズムのラディカル化に寄り添うように見せて、そのような世界への嫌悪を表したものであり、第4作は、エイリアン/人間/機械のボーダーレスな世界が描かれる。「アモルファスな世界にデジタルな境界を引くものだけが生き残る」という著者の言明は、フェミニズムに対する、ひとつの応答としても読めるように思う。
コメント (1)
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