「音楽&オーディオ」の小部屋

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音楽談義~指揮者とは何か♯1~

2007年04月12日 | 音楽談義

「指揮者という仕事」(シャルル・ミンシュ著、春秋社刊)は、指揮者からの視点で自分の仕事を分析したものでなかなか面白かった。

著者のミンシュは昔ボストン交響楽団を指揮していた高名な指揮者(1891年~1968年)であり、日本の代表的な指揮者小澤征爾氏の師匠だった人である。

さて、この本を一通り読んで後半にさしかかったところ、この本の翻訳者福田達夫氏が付録として巻末に「指揮者とは何か」と題して一文をよせられていた。私にとってはむしろこちらの方が分りやすかったのでまとめてみた。

オーケストラにおける指揮者の存在

「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ」と言った人がいる。逆説的には「良いオーケストラはない、良い指揮者がいるだけだ」といえる。とにかく指揮者とオーケストラは昔からセットにして考えられてきた経緯がある。

ほんの一例だが、
フルトヴェングラーとベルリンフィル、同様にトスカニーニとNBC、アンセルメとスイスロマンド、オーマンディとフィラデルフィア、バーンスタインとニューヨーク、セルとクリーブランド、ライナーとシカゴ、ミンシュとボストン、ムラヴィンスキーとレニングラードといった具合である。

両者の結びつきの主な理由としては「常任指揮者であれば、楽員の採用も含めてオーケストラの運営に関与し得意とする曲目を繰り返し演奏させることで望む響きのイメージと音楽の解釈を楽員の意識に浸透させているから。」と考えられる。

指揮の始まり

音楽において指揮することはいつから始まったのか。古代ギリシアでは合唱や器楽のリズムは鉄片をつけた右足で大地を踏み鳴らすことで指示したと伝えられる。

そして音楽の発展とともに全体をまとめるために本格的な指揮が必要となり、ヨーロッパでは、初期中世の教会で、聖歌を歌う際に合唱の長が左手に棒を持ち右手を使って歌手に指示したという。

16世紀から17世紀にかけては声楽的な編成にしばられぬ器楽オーケストラが誕生し全体に目を配る指揮者の役割が一層重要となってくる。

拍子とりから音楽の指揮へ

この指揮棒はおそらく太く長く重い棒であり、床を打って鳴り響く音で拍子をとってい指揮の歴史を顧みるとき必ず取り上げられる挿話がある。それは指揮棒で一命を落とした音楽家の話である。

17世紀フランスのリュリは国王の病気平癒のための「テ・デウム」を指揮している最中に指揮棒で左足の小指の爪を誤って打つが手当てが悪かったので壊疽になり、一命を落とす。


当時の教会の薄暗い照明のもとでは、指揮棒が見えにくいこともあってやむを得なかったのだろう。ロンドンにおいても同様で舞台上の一隅の席で机をたたいて拍子を取っていた。

しかし、イタリアやドイツでは違っていた。

まず、イタリアでは指揮の仕事をつとめるのは普通二人で、一人は鍵盤楽器(チェンバロ)の席で伴奏とともに歌手を担当し、もう一人はヴァイオリンの首席奏者でオーケストラを取り仕切った。
ドイツ・オーストリアでは鍵盤楽器奏者が指揮を取るのが普通だったが、ヴァイオリンの首席奏者が指揮するやり方も行われていた。

近代指揮者の誕生

18世紀ヨーロッパ音楽(モーツァルトの時代)の大きな変化は、オーケストラが肥大化したことである。当時(1777年)のウィーン宮廷のオーケストラの編成は次のとおり。
ヴァイオリン15、ヴィオラ4、チェロ3、コントラバス3、管がフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2、これに鍵盤楽器奏者2名と打楽器奏者などで全体で40名前後の規模である。

これだけ大きくなると響きに厚みと色彩が加わり、当然の成り行きで通奏低音の役割を担っていた鍵盤楽器が無用の長物になっていった。かわりに、ヴァイオリン奏者が指揮者の役割を担うようになった。

次の「指揮者とは何か♯2」では己の曲を指揮するベートーベンの詳しい様子を見てみよう。
                    






 

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