「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

理想的な職業とは

2024年08月20日 | 独り言

連日の猛暑の中をめげずに図書館通い・・、どうも「紙とインク」の匂いを嗅がないと落ち着かないんですよねえ(笑)。

            

例によって「雑学大好き」人間なのでアトランダムに10冊選んだ。

今回の注目の1冊は、(写真の)上段中ほどの文庫本「銀の匙(さじ)」(中 勘助著、角川文庫)。明治時代に書かれた本である。

この本にまつわる経緯を記してみよう。

ずっと以前のことだが新聞の「死亡告知覧」(朝刊)に次のような記事が載っていた。非常に興味が持てたので切り抜いて保管しておいた。

灘中・高「伝説の教師」

橋本 武さん(神戸市の灘中学・高校の元国語教師) 11日死去 101歳

京都府生まれ。21歳から71歳まで教壇に立ち、小説「銀の匙(さじ)」を3年かけて読ませる独特の授業法で知られ、「伝説の国語教師」と呼ばれた。

以上のとおりだが、

「未来への豊かな可能性を秘めた多感な若者たちに文学を素材にした授業を50年間に亘って行うなんてとても素敵なこと。こんな仕事にずっと携わっていたら心穏やかに101歳まで長生きできるはずだよなあ!」

とは、この訃報記事を読んだときの感想である。

文部省が定めた教育課程にしばられない私立学校ならではの実践的な授業だろうが、爾来、教科書代わりになったというこの「銀の匙」を一度読んでみたいものだと思っていたので、今回、図書館でたまたま見つけたときはまったくラッキー!

本書の裏表紙に次のような解説があった。

「書斎の本箱に昔からしまってあるひとつの小箱。その中に、珍しい形の銀の小匙があることを私は忘れたことはない。その小匙は小さな私のために伯母が特別に探してきてくれたものだった。

病弱で人見知りで臆病な私を愛し、育ててくれた伯母。隣に引っ越してきた“お恵ちゃん”。明治時代の東京の下町を舞台に成長していく少年の日々を描いた自伝的小説。夏目漱石が“きれいだ、描写が細かく、独創がある”と称賛した珠玉の名作。」


さて、この「伝説の国語教師」にちなんで、似たような話としてつい思い出したのが“クラシック音楽の化身”ともいえる「五味康祐」さんの著作の中の一節である。

「もし自分(五味さん)が音楽教師なら授業時間のすべてを使って“宗教音楽”を生徒に唄わせる」という“くだり”が、たしか「西方の音」か「天の声」のどちらかにあったはず。

宗教音楽と言えば五味さんの場合に思い浮かぶのは「マタイ受難曲」(バッハ)か「メサイア」(ヘンデル)のどちらかなので、項目を目当てにこの二冊の本をザットめくってみるとすぐに該当箇所が見つかった。

                   

「天の声」の
100頁の中ほどにこうある。(抜粋)

「重ねて言う。(メサイアは)素晴らしい音楽である。私が中学校程度の音楽教師なら授業時間のすべてをこの“メサイア”第二部にあるいくつかの合唱曲を生徒に唄わせ続けるだろう。退職するまでそうして、私は、音楽教師たる天職をまっとうしたと思うだろう。」

はたして自分が選んだ職業が正しかったのかどうか、もっと相性のいい 職業が別にあったのではないかと、誰しもが晩年になって思うことだろうが、地位や名誉、そして金儲けなどの視点は別として「人の心を揺り動かす」「後世への影響力」という面からすると「教育者」というのは「理想的な職業」のような気がする。

それに、ホンネと建前をあまり使い分けしなくて済む唯一の職業でしょうよ(笑)。


「人づくりは国家百年の大計」とは月並みな言葉だが、教育の意義は極めて大きいし、携わる教育者の責任も重大だと思う。

とはいえ、巷では「先生による盗撮」「痴漢や万引き行為」など、この種の話は後を絶たない。

世間的にもっと教育者を大切にする風潮が足りないのかもしれないですね。

すぐに騒ぎ立てるPTA、上司や同僚との摩擦、聞き分けのない自由奔放な子供たち、これに家庭不和が伴えばまさに「四面楚歌」・・。

先生になりたい人たちが年々減ってきているそうですよ~。



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