「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「ワーグナー」の音楽と熱中症

2024年08月05日 | 音楽談義

かってクラシック音楽好きが集まって試聴会(計4名)を開催した時に「ローマの松」(レスピーギ)というCDがあった。やっぱりというか、一度聴いたくらいでは良さがわからず、自分のレパートリーではとても及びもつかないような曲目だった。

そういえば、食べ物の好き嫌いと同じで、音楽も人によって嗜好に随分差があり、そっくり同じ曲目が好きだというケースは稀のような気がする。

たとえば自分の場合ではオペラ「魔笛」(モーツァルト)だが、一方では「こんな退屈極まりないオペラは大嫌い」という人がいたりする~、もちろんこれは「いい、悪い」という問題でもない。

音楽にも一度聴いてすぐに好きになる曲目があれば、何度でも聴いていくうちに好きになってくる曲目と二通りあるが、えてして、前者の場合、何回か聴いているうちに比較的早く「飽き」がくるが、後者は聴く度に新たな発見があったりして長期間の鑑賞に耐え得るケースが多い。

オペラは典型的な後者だと思うのだが、逆に開き直られて ”いったいオペラのどこがそんなにいいのか” と問われた場合にその魅力を適切に表現する言葉がすぐに浮かんでこず、何ともいえない ”もどかしさ” を感じてしまう。

そもそも音楽の魅力を口で表現するのは本質的に難しくて、なぜなら言葉(文字)で表現できないために音楽(音符)というものがある~。

しかし、そういう “もどかしさ” を解消し代弁してくれる恰好の本がある。

「ドイツオペラの魅力」(著者:中島悠爾氏、日本放送教会刊)

                                

この本は、冒頭から「魔笛」がドイツオペラの草分けとなる重要なオペラとしてしてかなりのページを割いて詳しく解説しているが、音楽理論というよりもオペラ愛好家の立場から素人向きに執筆されていて大変分りやすい。

クラシックには交響曲、協奏曲、室内楽、管弦楽、そして声楽などいろんなジャンルがあるがオペラはこれらと、どういう点が違うのだろうか、というわけで「オペラの特質」について以下のように書いてある。

☆ 演劇的な要素

オペラの特質の第一点は、演劇を通して、具体化された音楽を提供することにある。ドイツのソプラノ歌手エッダ・モーザー女史(1972年サバリッシュ盤:夜の女王)が自らの体験を踏まえて実に分かりやすい表現をしている。   

「オペラには舞台装置があり、衣装があり、演技があり、共演者たちがあり、そして色彩豊かなオーケストラがあって、私の歌う内容は視覚的にも聴覚的にもリート(独唱用歌曲)に比べ、はるかに容易に聴衆に伝わっていきます。いわば、オペラは自分の周りに既に半ば以上構築されている一つの世界の中で歌い、その世界を深めていけばよいので、リートよりは
ずっと楽です。」

☆ 人間の声という特質

第二点目は人間の声の特質である。声という音の素材はどんな楽器よりも直接的にはっきりと、また容易に人間のさまざまな感情を表現し得ることにある。

例えば舞台でヒロインが一人たたずむとき、あわただしく登場してくる人物に向かって「まあ、あなたでしたの」と発する、たった一言の中にはこのオペラの文脈に沿って、喜び、悲しみ、恥じらい、ためらい、皮肉、怒りなどごく微妙な心の表現が可能である。

これほどに直接的な感情の表現は人間の声以外のいかなる楽器にも不可能であり肉声という音素材の持つ簡単で直接的な効果、そしてそれを十二分に活用したオペラという形式はやはり最も分かり易く、身近で、一般にも親しみやすい音楽なのである。

というわけで、オペラの特質は以上の二点に尽きるが、オペラがレパートリーに入るとたとえ台詞の意味が多少分からなくても音楽の楽しみ方が倍増すること請け合い。

そういうわけで、長年親しんできたモーツァルトのオペラはひとまず脇に置くことにして、ここ3日ばかり「ワーグナー」のオペラに挑戦してみた。

手持ちのCDを「You Tube」のせいで「宝の持ち腐れ」にするのはもったいないし、さらにはスケールの大きな音楽で猛暑なんか吹き飛ばしてしまおうという魂胆である(笑)。


            

「ヴァルキューレ」(ショルティ指揮、4枚組)、「ジークフリート」(ショルティ指揮、4枚組)、「パルシファル」(クナッパーツブッシュ、4枚組)、「神々のたそがれ」(ショルティ指揮、4枚組)、「ラインの黄金」(ショルティ指揮、3枚組)

何せ一つの楽劇あたりにCDが3枚~4枚セットだから、時間にするといずれも4時間あまり~。

一通り聴いてみたが、乱暴な言い方を許してもらえれば、ひたすら「雄大なスケール感」を楽しむ音楽ということに尽きる・・、加えて劇中の人物になりきれる「自己陶酔型」に浸れればいうことなし。

となると、こういう音楽は「豊かな音」で聴くのが常道で、しかも「たっぷりとした中低音域」のもとで鑑賞したい・・となると、必然的に次のシステムの出番。



タンノイ・オートグラフを愛好していた作家の五味康祐さん(故人)が「我が家のオートグラフはワーグナーを聴くためにある」といった趣旨のことを著書の中で述べられていたが、あの深々とした低音なら “さもありなん” 、ただし、ほかの曲目ではあまり頷けない・・とは、これは個人的な意見です。

で、どうしても比較的大きめの音で聴くので、はた迷惑にならないように窓を閉め切ってエアコンを入れっぱなしでの鑑賞となったが、根がビンボー性のせいか電気代がちょっと気になる・・。

ただし、老人がワーグナーを聴きながら熱中症で亡くなったとなると、まったく様にならないしねえ(笑)。



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