5月1日は令和時代の記念すべき初日ということで「ゆかりの地」大宰府に出かけてみた。今回の旅行(3泊4日)の主目的である。
娘のマンション(福岡市中央区)を出たのが7時40分。地下鉄と西鉄電車を乗り継ぎ「都府楼前」駅で下車して「坂本八幡宮」に着いたのが8時40分だった。かなり早かったのにすでに長蛇の列を成していてビックリ。
「御朱印状」を求める列と「参拝」目的の列の2列に分かれて辛抱強く後者の列に並んで遅々として進むこと40分ほどでようやく参拝できた。
何の変哲もない小さな「坂本八幡宮」だが「令和」の語源となった「梅の花の宴」(730年)が開催された大伴旅人の私邸があったところとされているので、まさに「ホットスポット」である。
今から1300年も前にここで歌人たちが集って優雅な宴を開いたのかと思うと感無量ですねえ。まさかこの宴が後の元号の素になるなんて当時の人たちは夢にも思わなかったに違いない。そこで一句。
令和咲く 詠み人たちの 夢の跡
それにしても日頃の参拝者20人程度が5千人ほどに膨れ上がるのだからそれはもう混雑しますわなあ。
参拝が済むと大伴旅人が勤務していた「大宰府政庁跡」を横目に見ながら一路「太宰府天満宮へ」。
ここからが遠くて、遠くてもう足が棒のようになってしまった(笑)。
太宰府市内の至るところに「令和」の旗がはためいていた。
これを横目にどうにか「太宰府天満宮」のお参りを済ませてマンションに帰り着いたのが2時半ごろだった。娘の万歩計によると1万4千歩ほど歩いたことになっていた。
ほんとうに疲れた!
それからはテレビで一連の皇室行事を観たが、今でこそ「もてはやされ」敬愛される「皇室」になっているが(自分もその一人だが)、ずっと遡って江戸時代はどうだったんだろう。
すると、つい5年前にブログに搭載した「スターリン回想録」(2014・1・19)の一節を思い出してしまった。
「400年も続いた徳川封建支配体制の時代には、天皇の存在すらほとんどの国民は忘れていたのに、明治維新によって歴史の屑籠から引っ張り出され、教育と洗脳で“世界に冠たる王室”に祭り上げられてとうとう戦争遂行の理論的支柱にまでなってしまった。~中略~。こんなものを担いで戦争遂行を正当化したこと自体が日本という国が“帝国主義国にもなれない二流国家”の証明なのだ。」
歴史観もいろいろですねえ(笑)。