「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

僧侶が長生きするワケ

2017年09月26日 | 独り言

先日は94歳で亡くなった母の7回忌の法事だった。忌々しい18号台風が九州に襲ってくる寸前でのタイミングで、遠路、福岡と神戸から親族がやってくるのでヒヤヒヤものだったがどうにか滑り込みセーフだった。

総勢10人あまりのこじんまりとした法要だったが、親族一同で亡き母を偲ぶいい機会になった。

作家の村上春樹さんが「生きてる人間が亡くなった人にしてあげられることはただ一つ、それは思い出してあげることです。」と書いてたが、自分の場合、30年近く同居した母のことをこの6年間、一日たりとも思い出さなかった日はなかった。

最後の4年間程は認知症が進んでたいへんだったけど、「もっと自分に出来ることはなかったかなあ。おっかさん、ゴメンねえ・・・・。」

さて、法要といえば僧侶の出番だが、お見えになったのは高齢にもかかわらずいかにも矍鑠(かくしゃく)としたお坊さんだった。声もよく通るし、ウットリと聴き惚れてしまい、まるで20分間オペラのバリトンを聴いている気分だったといえば不謹慎だろうか(笑)。

先日のブログで取り上げた書籍「肺炎が嫌なら喉を鍛えなさい」で、発声の重要性が指摘されていたが、年中「お経」を上げている僧侶さんたちはきっと肺炎には縁遠いことだろう。

僧侶といえば何といっても芥川賞受賞作家の玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さんを思い出す。氏
のエッセイは、自分にとっては珠玉のような存在で随分学ぶべきものが多い。(長編はやや難解なので自分の読解力ではとても歯が立たない)。

以下は先年の文芸春秋7月臨時増刊号に収められたもので、演題は「僧侶が長生きするワケ」である。

とある大学が発表した職業別寿命一覧表によると「僧侶が長寿の第1位」になっている。その理由を玄侑氏は自ら次のとおりに分析されている。

 僧侶の主な仕事であるお経、座禅、念仏などの効果によるもの

中公新書「ゾウの時間 ネズミの時間」によるとあらゆる動物は5億回の呼吸を終えると大体死ぬそうだが、僧侶の大事な日課であるお経、座禅などは呼吸数が非常に少なくてすむ。

 
「動く仕事」と『動かない仕事」のバランスが良く取れている

 
ストレスを引きずらない

怒り」「悲しみ」「憂い」「思い」、こうした感情を数多くの葬儀に出ることや座禅、瞑想体験等によって引きずらない能力に長けている。

 
「楽しさ」「リラックス」を目指す思考法

「苦」の反対語は「幸せ」ではなく「楽」である。「幸せ」は「お金」「長寿」「愛情」などに左右され、求めてもきりがない。常に目標が上方修正され「幸せ」を感じ取る暇がない。

一方「楽」というのは「安楽な状態」でわかるように身体状況を伴い、「足るを知る」という感情面での基盤も重要となるので限度がある。そして、僧侶は年をとるほどに深い「楽」を味わい、最も円熟するのは、死ぬ間際なのだと思考している。

以上、僧侶が長生きするのは主にこの4点の理由によるものだと指摘してあるが、ややテレ気味に茶化してある印象を受けた
ものの「幸せ」と「楽」との違いは流石に僧侶ならではの独自のものの見方で、一般人にはなかなか気が付かないポイントのように思う。

自分も「幸せ」とは「つかの間の幻想」に過ぎないと思っているが、よく考えてみるとオーディオだってその通りかもしれない。

いろいろシステムを弄ってみた結果、とても気に入った音が出てこの上なくハッピーだと思っても、ほんの一時のことでしばらくすると何だか色褪せてきてしまうのが常である。いくら「いい音」を追いかけてもきりがない。

したがって、現在の自分に一番必要なことは「幸せ」という感覚から、「楽=リラックス」の境地へと移行することかもしれないと思う今日この頃。

音楽とは本来リラックスして楽しむはずのものなんだから、早くオーディオから足を洗って音楽に専念したいものだが、いつのことになるものやら、ヤレヤレ(笑)。

     


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