「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

モーツァルトの新作発見?

2016年02月20日 | 音楽談義

長年に亘って購読してきた朝日新聞だが購読を止めて地元紙だけにしてからもう2年ほど経つかなあ。何故止めたかは、私怨などではなくて義憤にかられてのことである。詳述しなくてももうお分かりのことだろう(笑)。

しかし、購読を止めたのはいいものの薄っぺらな地方紙だけでは正直言って味気無いに尽きる。地元の情報はともかく、国際的なテーマや社会問題の深い掘り下げとなるともはや望むべくもない。ほかにも「毎日新聞」や「読売新聞」などの全国紙もあるわけだが、前者は朝日と同類だし後者は強引な勧誘が目に余るのであえて取らない。

今では毎朝のそういった枯渇感をネット情報でカバーしているようなものだが、一昨日(18日)の朝刊を見ていたら、ふと目に留まったのが次の記事。こういう国際的な芸術情報も載せてくれるんだと、ついうれしくなった。

         

モーツァルトが作曲したものの、これまで闇に埋もれていた楽譜が発見されたという記事。映画「アマデウス」で一躍有名になった宮廷音楽家サリエリとの共作らしい。しかし、どうやら小品のようでガッカリ。

35歳で早世したモーツァルトがあと1年でも長生きしてくれたら人類は「魔笛」以上のオペラを手にしたかもしれないのにと、今でもときどき思う。

そういえば、ふと2年ほど前に「近未来、モーツァルトの新作オペラが聴ける」と題した過去記事を思い出した。忘却の彼方にある方が大半だろうから要所を抜粋してみよう。

「評判のミステリー<ノックス・マシン>だが、その内容をかいつまんで報告しておくと、

近未来の話で2058年の出来事が舞台になっている。主人公は中国人で「数理文学解析」の研究に打ち込む青年である。(なぜ中国人が主人公なのかは非常に面白い理由があるのだが、ここでは触れない。)

「数理文学解析」とは、もともと詩や小説作品に用いられる単語や成句の頻度分析から始まった学問で、計算機テクノロジーの飛躍的な進歩にともなって、その対象は語句のレベルから始まって、文章の成り立ち、さらには作品構造の解析にまで引き上げられ、作家固有の文体を統計学の手法によって記述することが可能になった。

そして、人間の手を借りない完全に自動化された物語の創作、すなわち「コンピューター文学」の制作が開始されるようになり、シェイクスピアやドストエフスキーの新作が次々に発表されて権威ある評論家たちが渋々、その質の高さを認めざるを得なくなったというのがこの物語の設定となっている。
 

以上のとおりだが、実に面白い着想である。

世界文学史上最高の傑作とされるが、惜しくも未完に終わった「カラマーゾフの兄弟」の続編が、ドストエフスキーになりきったコンピューターによって制作されるかもしれないなんて、まるで想像もできない夢物語のようだが、現在のように留まることを知らないコンピューターの進化を考えると何だか実現しそうな気もする。

さあ、そこで我らがモーツァルトの登場である。

わずか35年の短い生涯に600曲以上も作曲した多作家だが、あと少しでも長生きさえしてくれたら人類は「魔笛」以上のオペラを手にしたかもしれないと思うのは自分だけだろうか。

オペラには幸い脚本というものがある。登場人物の台詞と動作と心理描写などがこと細かく記載されているが、これらを手掛かりにコンピューターがモーツァルトになりきって音符の流れを解析し旋律を作って、新作のオペラを作曲するってのはどうだろう!

ちなみに、ここでモーツァルトが残したオペラを挙げてみよう。(あいうえお順)

「アポロとヒャアキントス」「イドメネオ」「劇場支配人」「賢者の石、又は魔法の島」「後宮からの誘拐」「皇帝ティートの慈悲」「コシ・ファン・トゥッテ」「第一戒律の責務」「ドン・ジョバンニ」「偽の女庭師」「バスティアンとバスティエンヌ」「羊飼いの王様」「フィガロの結婚」「ポントの王ミトリダーテ」「魔笛」

馴染みのないオペラを含めて、何と15ものオペラを作曲しておりコンピューターの解析材料(音符、台詞、登場人物の描写など)としては十分な量である。

また、その昔、モーツァルト関連のエッセイで(たしかドイツ文学者の「小塩 節」氏だったと思うが)、8歳の頃に作曲した一節が、亡くなる年(1791年)に作曲された「魔笛」の中にそのまま使われており、「彼の頭の中でそのメロディが円環となってずっと流れていたのでしょう。」とあって、それを読んでとても深~い感銘を受けたことを覚えている。

<三つ子の魂百までも>で天才モーツァルトなら、その“曲風”は生涯を通して変わらなかったに相違ない。まさにコンピューターによって解析するには最適の作曲家ではなかろうか。

こうしてみると、音符は文字と同様に記号の一種なのだから「数理文学解析」と「数理音符解析」(?)とを合体して、モーツァルトになりきったコンピューターが新作オペラを作曲するなんてことが何だか夢物語ではないような気になってくるから不思議。

まあ、自分が存命中は無理な相談だろうが(笑)。」

という内容だった。

最後に、折しも「光テレビ」(NTT)で2月16日(火)に映画「アマデウス」(1984年製作、2002年ディレクターズ・カット版で20分追加)が放映されていたのですぐに録画した。もう何度繰り返して観たか分からないほどの名画だが、こうして久しぶりに観てみるとやはり感動した。

監督は「カッコーの巣の上で」のミロス・フォアマン、音楽はネヴィル・マリナー指揮、アカデミー賞「作品賞」とくればお膳立てはそろっている。モーツァルトの才能と音楽の素晴らしさがひしひしと伝わってくる名作である。

まだご覧になっていない方は機会があれば是非~。


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