「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~いよいよ「第九」の時期になりました~

2009年12月15日 | 音楽談義

≪日本国憲法第九条≫

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

「エッ、このブログはいつから政治問題を扱いだしたんだ?」と、ご心配の向きがあるかもしれないが、ご安心を!

この
「第九条」の、高らかに戦争放棄をうたった「平和主義」とベートーヴェンの不朽の名曲「第九交響曲」(以下「第九」)の「人類みな兄弟」という理想主義が「九」で合致していることに注目。

そこで、当時の憲法作成の関係者で英国滞在経験のある幣原(しではら)喜重郎氏あたりが実はベート-ヴェンに心酔していて、ひそかに同じ
「第九」条にしてしまったのではないかというユニークな説が披露されるのが次の本(61頁)。著者は音楽ジャーナリスト・評論家の林田直樹さん。


「クラシック新定番100人100曲」(2008.12、アスキー新書刊)   

「第九」が作曲・初演されたのが1824年、「憲法第九条」が公布されたのが1946年だからおよそ120年の隔たりがあり、実説でもおかしくない話だが、これはもちろんジョークである。

余談だが、お隣の中国では「九」が縁起のいい最高の数値とされている。「十」になると頂点を極めてしまうので後は下がるばかりという解釈。

さ~て、いよいよ年末恒例の「第九」の時期がやってきた。

その時代、時代に熱中して聴いていた音楽というものは、実に当時の自分の姿というものを投影しているものである。

20代の頃に夢中になって聴いていたのがこの「第九」。演奏はもちろんフルトヴェングラー指揮(以下「フルヴェン」)のバイロイト祝祭盤。当時はCDではなくてレコードだった。

あの頃は、社会に出たばかりで世の中の仕組みがよく分からず何事にもロマンチックで情熱的、将来への豊かな夢があったことはたしか。「第九」の理想主義に実にピッタリと”はまって”いた。

ところが、社会の荒波の中で馬齢を重ねていくうちに大宇宙でのほんのちっぽけな存在を何回となく自覚しながら、随分と夢のない現実的な人間になっているのが昨今の自分。

「第九」はもはや遠い過去のものとなって、今ではCD盤に手が伸びることも滅多にないが、年末近くになるとやはりちょっと聴いてみようかという気になる。

この名曲の聴きどころは、ベートーヴェンがシラーの詩「歓喜に寄す」に感動して曲をつけただけあって、なんといっても第四楽章。

当時は第一楽章から第三楽章までは人間の手によって書かれたものだが、「第四楽章」は「音楽の神様」が作ったものだと真剣に思っていた
”うぶな自分”が懐かしい。

しかし、上記の本によると「人類みな兄弟」という常套的スローガンにとらわれていると、この第四楽章は深みのある音楽にならないとのこと。

シラーの詩句でキーワードになるのは「星空の彼方」という言葉。
「星空の彼方に思いを馳せよ」
と何度も繰り返して聴き手に誘いかけてくる。

そこにいるのはキリスト教の神なんかではなく、もっとずっと大きくて普遍的な、特定宗教を超えた創造主の存在ではないかと著者は問う。

これには思わず共感を覚えた。ベートーヴェンの宗教的な作品はもともと少ないが「ミサソレムニス」にしてもそうだが、どうも特定の神を信仰している印象を受けない。

その点は「バッハ」の神に捧げる作品とは違っていて、ベートーヴェン独自が信ずる何か人類共通の大きくて漠然とした創造主をいつも感じさせる。

そうでないと
「国境も宗教も超えた東洋の片隅で年末にこれほど繰り返して昇華される作品にはならない」と、言ってはみてもこれはあくまでも個人的な見解。

現在の「第九」の手持ちをざっと調べてみると、上記のフルトヴェングラー盤(焼き直しのCD盤)に続いて、チェリビダッケ盤、フリッチャイ盤、ブロムシュテット盤(スタジオ録音とライブ録音)があった。指揮者、オーケストラともに、いずれもドイツ系だがこれは”たまたま”。

上記の本によると、著者の推薦盤は幾多の名盤の中でただ一つ。
チェリビダッケ・ミュンヘンフィルのコンビによる「第九」。

理由は、「荒っぽく熱狂する全体的なお祭りには距離を置きたい方で、むしろ親密で個人的な親愛の情がこもった”一対一”の抱擁が好きだ。その点、チェリビダッケの「第九」に強く心惹かれる。」とのこと。

これほどの名曲になると演奏の選り好みなんて必要なさそうだが、いまさらフルヴェンでもなし、久しぶりに触発されてチェリビダッケ盤と対面してみた。

何しろ大きな音で聴けるので93歳の母がデイケアに出かけた隙をついての月曜日の午前中のこと。

                 

聴衆の拍手から再生が始まるライブ録音。フルヴェンの直弟子としてその亡き後ベルリン・フィルの常任指揮者をカラヤンと争ったチェリビダッケ。

結局、団員投票で敗北したが、自分が選出されれば「ドイツ的な響きとフルヴェンの伝統を引き継いだのに」と述懐したとおりの演奏だった。

とにかく「重厚な響き」に圧倒された。それにティンパニーの凄さ。正統派の「第九」を引き継ぐ資格ありといっていいだろう。

それに深遠な「第三楽章」の優しさは、むしろフルヴェンよりも感動的で著者が「一対一」の抱擁というのもこの辺に起因するのかも。ただし肝心の第四楽章はさすがにフルヴェンに一歩を譲る。もっとたたみかけるようなリズム感が欲しい気がする。

それにしてもたまに聴くと、やはり「凄い音楽」である。

こういう心の隅々までもがきれいに洗われるような「人間讃歌」を毎年、区切りのように聴いて(歌って!)年を越し、新年を迎えるなんて改めて日本人の叡智に乾杯!

         


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