生活も、経済も、経営も、過去もこれからも、
人と人との関係こそが「実」であり、
他は実に見えるが虚であるとみて、
対応することが賢明と考えられる。
たとえばを、3例示そう。
色々話していて、相手が「実は・・・・・」と切り出したとしたら
それまでの話は虚。
選挙時の候補者の言うことは、
公約も含めてほとんどが虚である。当選した者が、
それを実行して初めて実となる。
だから、「なぜ公約したことをやらなかったのか」と問うと、
彼らは「実は・・・」といい訳をする。
その、「・・・・」の部分を補うと、
「実と言ったがそれは虚だったんだ」ということになる。
つまり当選したいがために、虚言を吐いたというのが、
実だったことになる。
最近の知人の話。
連日2時間、3時間の行列ができる、ということを歌いこみにしているお店がある。
それは一度行ってみよういうことで、次の予定もあるので、念のため
「何時ごろ前から、並べばよろしいのでしょうか」と、たしかめたら、
「11時半の開店ですから、その頃にお越しください」と。
自分で発信した虚すら忘れたような返答だったと、嘲笑う。
となれば、
私達は、意識的、無意識亭、悪意があろうとなかろうと、
虚実交々、カオスの中に、存在していると思ったほうが
わかりやすいのではなかろうか。
とりわけ経営を考えるときには、その人とは何か、
その人が作った企業や組織、製品とは
どういうものか、といった人と人との関わりを中心に据えて、
きちんとそのつながりの有無を押さえることで、
虚の部分を実として確認しておくことが
求められる,と考えている。
続く