経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

塞翁が馬-1

2014年04月11日 | Weblog
ここに何度となく書いた塞翁が馬の話。

いろんな解があるようですが、
辞書の解ではなくお坊さんたちが説いたものによると、
人生の流れと悲喜こもごもの必然性。

たとえば、この今の不幸があってこそ、
のちのちの幸せの存在があったのだ、と
いったことを知ることが出来ます。

それは、この今(自分は、過去にも未来にも存在していない、
今だけの存在だ、ということなのですが)を
未来から俯瞰的に見る、といった「考え」ですから、
塞翁が馬の含むところは、計り知れないぐらい凄いな、
とつくづく思っています。 

以下、浅学の受け売りです。 
塞爺さまの買っていた名馬が逃げ出してしまいます。
近所の人が、「お気の毒に」と慰めると、
この爺は「これは幸運の始まりじゃ」、と嬉しそうに答えます。
事実、しばらくするとこの馬がたくさんの馬をつれて戻ってきて、
彼は大金持ちになります。 

それで近所の人が、ラッキーですね、というと、
これは何か起きる。気を付けなければ、と言う。

まあ素直じゃない、へそ曲がり爺ですが、
案の定、息子がこの馬たちに巻き込まれて怪我をする。
村の人が、「お気の毒に」とその不幸を見舞うと、
「いや、これはラッキーの前触れ」、といいます。
事実、息子はその怪我のお陰で、
戦争に行けず、その村の若者の中でただ一人で生き残った。
めでたし、めでたし。


まあこんな話です。
これをどんな風に解するかは、
これまたその人のそのときの気分次第
ということにもなるかしれません。
人生、そんなものよ、と生悟り風にも使えますし、
良いことがあったとき、天狗にならないように、
といったように戒めにも使うこともできましょう。
まあ、解釈も塞翁が馬ですね。
続く