我が社、我が社、俺は、俺は、
我が社よかれ、自分良し・・・・・・、
といった、
ただ、だだひたすら、自己中心での在り方は、
行き着くところ孤立化戦略を採ったことになる。
たとえば、これまでの中国などへの海外進出は、
おおかた労働力(安さ)を求めてのものである。
かりに協力工場と謳っていたにしろ製造部門、
それも実態は下請け(隷属)化しているといえる。
かりに進出した日本側がそう思わなくとも、
相手の国、ここでは中国国民の人たちが
そう思っていたとしたら、同じこと。
日本の大手企業のとりわけ年配経営者の「国際化思考」には、
日本や自社の立場や論理で、他の国を見て優劣(の判断)をする
といった匂いがどこか感じられ、気になる。
そのことがあの戦争を知る他のアジアの人々には
当時の侵略を連想させることになることなど、
彼らは思いもしていないのかもしれないだろうが。
そうした根底には日本人の奢り、つまり、その国の人々を
自分達より低くみる戦前以降からの思想だけではなく、
先進国が発展途上国(今、死語化していますね)から
脱皮していないからだと、私たちではなく彼ら理解したとしたら、
それは日本の大きなマイナスになる、と考える。
相手の国の人の得意な分野での力を貸していただく、
といった姿勢、お互い助け合って幸せになる、
といったパートナーシップの関係でつきあったとして、
何の問題があるのか。
いわばメンツ、あるいは奢り、高い姿勢といった、
つまんないことで、相手の国の人は
良い気分で付き合ってくれないとしたら、
損得に敏感な経営者なら、なんと馬鹿らしいことかと
どうして思わないのだろうか。
私には、そんなことが「日本人としての誇り」、
「俺のプライド」などとは思えないのである。
続く