仕事でもプライベイトでも、ちょっとした買物でも人にこだわる。威張る人、自分が中心でなければ話が始まらない人、こうした人とのご縁は、できるだけ避けるようにしている。
「我が社は」とか「僕は、俺は」を多発する人。ましてや普段の挨拶や会話で自分や自社の自慢話が中心というのでは、組織内でも自分の力や功績を自慢し社員をないがしろにしているに決まっている。
そうした組織で作られたり売られたりしたものが、消費者を中心に考えられたものであるはずはない、というのが理屈に合わない私の経験則。このことを人様に強要する気などない。先の災いや憂いを防いでくれる、単なる私の魔よけである。だがこの普遍性ある自分なりのメルクマールのお陰で、その折の損得に左右されない判断ができるようになった。それに自分の話をしているようで実は相手へ思いやってくれる人生の師と出会いが増えたことは有り難いことだ。
昨日参加した「みなみの風、交流会」、その発起人、20年以上前いっしょに地域興しを始めた友人、大坪透さんがさらに大きくなっていた。
開会の挨拶以外は、全て舞台裏。聞き役、見守り役に徹し、ニコニコしているだけ。口出し、指図は一切なし。
私は一日、彼の動きを追い続け、その忍耐力、包容力に、あらためて惚れ直した。到底私には出来そうもない、大きな人が、さらに大きくなっていた。
「我が社は」とか「僕は、俺は」を多発する人。ましてや普段の挨拶や会話で自分や自社の自慢話が中心というのでは、組織内でも自分の力や功績を自慢し社員をないがしろにしているに決まっている。
そうした組織で作られたり売られたりしたものが、消費者を中心に考えられたものであるはずはない、というのが理屈に合わない私の経験則。このことを人様に強要する気などない。先の災いや憂いを防いでくれる、単なる私の魔よけである。だがこの普遍性ある自分なりのメルクマールのお陰で、その折の損得に左右されない判断ができるようになった。それに自分の話をしているようで実は相手へ思いやってくれる人生の師と出会いが増えたことは有り難いことだ。
昨日参加した「みなみの風、交流会」、その発起人、20年以上前いっしょに地域興しを始めた友人、大坪透さんがさらに大きくなっていた。
開会の挨拶以外は、全て舞台裏。聞き役、見守り役に徹し、ニコニコしているだけ。口出し、指図は一切なし。
私は一日、彼の動きを追い続け、その忍耐力、包容力に、あらためて惚れ直した。到底私には出来そうもない、大きな人が、さらに大きくなっていた。