経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

がんおやこ

2006年02月23日 | Weblog
時代は人が作っている。ある意味では各自が勝手に作ったものの総和が、総和の中の特徴的なものが、その新しいものを代表する形で、未来がこの今を構築していく。だからそのやってくる常に新しい時代に対応した企業を経営していく考え方が大切なのである。

 その意味では、改めて革新という考えではなく、事業そのものが生成された瞬間から革新的存在なのである。
 ある若手経営者の会議を見ていて、せっかく出された新製品なりのアイデアや提案を、彼とその取り巻きの若年寄たちが、既存の価値観で、革新的なものを削り取って過去の形にあわせる作業を行っているようにみえ、そのことがものすごく気になった。
 
 彼らのつっこみは、彼ら自身の持っているセオリーにあうかどうかである。
 
 「その商品を作るとして、掛かったコストが取り返せるのか」とか、「そうしたもの、きいたことないんだよな」、「売れるという確信があるのか。」、「今迄に例がないから、もう少し現実的に煮詰めて出し直して欲しい」、「技術変更は難しい」、「利益性の不確実な試作品に研究開発費や金型投資などできるものか」。
と、いったことだ。

 「おいおい」、と言いたくなる。旧来の物差しで、これからの企画を潰していて、果たして革新ができるのか。
 
 彼ら若年寄は、実はもっとどこかでやってうまくいった実例、著名会社の成功事例、どこかの本で紹介されたこと」を、先読みし、その想定内で革新を求めているのである。
 だから、「もっといいもの探してみろよ」とか、「もう少し本でも読んで勉強しろ」とか、なかにはご親切に、この本にはこのような記事が載っていたとか、難しい経営管理数値の公式などを紹介したりして、自分の閑雅への中に誘導している。結局は、社員に対して自分の知識のご披露のだ。
 
 これでは、新しい製品企画や新しいマーケットに向いた製品づくりを提言しても、みんなの前で恥をかくか、大きく曲げられてしまうのが「おち」で、それなら、それとなく言われた研究や作業を行っていればよい、ということになる。

 ヘーゲルの弁証法を持ち出すまでもなく、「こと」の発展は否定から始まる。過去のものが活きると言うことは、この過去を否定の「台」として、叩き、「否定の否定」の産物を生み出すことである。
 だから、革新は、過去を無視することでもない。過去をそのままなぞることでもない。
さらに組織の本質は、個々の能力を最大限に引き出し、それらを有機的に結合させ組織としての最大限の成果を得ることにある。それを経営者が、組織の中の有効性を押さえ込むといったことは、彼自身が組織の癌であることを意味している。

 この2代目の癌を切除することは、簡単だ。辞めてもらえばいいのだ。だがそれは理屈であって、癌にかかり早々に経営をこの息子に委ねた、先代(会長)には、息子が癌だ、とは言えないのである。外科施術が出来ないのなら、コレだ、という薬の調合を今、考えているところである。