経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

「羊たちの等式」 -1

2006年02月17日 | Weblog
 自分は一人、それに対して自分以外の人間、他者は60億人-1人もいる。ですからこちらが組織を大きくしても対等、つまり等式が成り立つことは不可能です。
 これを、不等式 1≠60億-1  で示しておきます。
 「≠」を左辺、右辺の交流が「ない」という意味で、閉鎖系と仮称することにします。わかりやすくするために、水の温度にたとえて説明します。
 
 1度≠60度
と、おきます。

 次に上不等式を等式として成立させるためには、両者を仕切っている堰をはずせばいい。そうすると、右辺から左辺に流れ込みます。 

どれだけ?

 不思議なんですね。(^_^)、これがぴったし左右同数、
  29.5=29.5
 
 に落ち着く。完全解放すれば、間違いなく上の如くになります。
 
 これを別の見方をすると、右辺のエネルギーが、左辺に加算された。右辺は左辺に協力したと受け取れます。もしこれを右辺が左辺に(悪意を抱いて)侵入してきたとする説は、左辺が合算されることに拒否反応を示しますから、無理があります。ですからここは前者の説のみしか成立しません。(続く)

見直してみること

2006年02月16日 | Weblog
 何をするにしても、何を作るにしても、自分以外の人のものが対象です。仕事のは、本来そういうものです。
 自分のもの、自分のためのことを仕事にして、他の人がお金を呉れるわけはないのです。これでは、おまんまが食えません。これが事業の本質。

 そうしたら、相手様の喜ぶものを作るには、人様に貢献するものを、という思いが経営の要諦になるのは当然です。でも現実はどうでしょう。

 今朝の朝礼で、「予算必達!」、「今日は、80軒は獲得してこいや」、「あと30万、売り上げがたらんのや」ってやってません?

 売上げが上がる、という結果を導く行為、手段が、上のようなこと。本質から離れたことばかりが関心だ、実態だ。これで上がることのほうがおかしい。

 あなた方が、いくら売上げ必達と頑張ったところで、その必達にお客が協力してくれないでは、どうにもならない。
 買い上げてくれる、という消費者の協力関係の構築こそ、営業、大きくは経営。

 書店に並ぶ経営の本、今日でもいって端から端まで目次でも見てご覧になったらいい。このことかいてる本、ありますか。
 顧客満足、顧客第一主義、顧客囲い込み。販売戦略、顧客攻略法、まあいろんなタイトルがありますが、要は自社、自分の為に、消費者をどうするかだ。

 そのどうするか、の消費者があなた、あなたの子、孫だったら、大まじめで「顧客囲い込み」と言えますか。自分が囲い込まれるのを愉快に思いますか。
 不快を感じることを唱え、やっていて、他人からお金を頂き続けることが可能だと、ほんとうに思っていらっしゃいますか。

 消費者をどうするか、ではなく自分が消費者にどうしてあげれるか。どうするか、まずこのことを見直してみることです。

理念と戦略と自転車の関係

2006年02月15日 | Weblog
いろいろ考えました。出来るだけ多くの人に聞いてみました。歴史や伝記でも研究してみました。で、わかったこと。そのわかったことを、今度は実際に私の勉強会のメンバーにやっていただきました。うまくいきました。

 理念、戦略、壁に向かって唱和。私も昭和41年から57年11月まで、ソレやってましたが、全くムダでした。行動にならないからです。行動は、形。形しかお客様は見えない。見える形しか、評価しようがない。この形が「戦術」です。

 え、何の話かって?失礼しました。理念、戦略、戦術と組織の話です。
                  *
 理念は、一人ずつ、人間同士として熱っぽく、情念として、自分の言葉で、語り掛ていくこと以外に、期待は出来ないようです。一人筒話しかけて。この結論得て、シメタ、と思いました。大企業では難しいですから。あの京セラですら、ということです。

 戦略は、これまた経営者として自分のロマンとその方向を語り合う以外にないようです。理念とちょいと違うのは、ここでは相手の戦略も聞いて、お互い助け合う仲間、同志という戦略の相互共有化が求められると言うことです。
 
 上の2つを、手を変え、品を変え、繰り返し、繰り返し、一所懸命繰り返していく。これが経営者の一番大切な仕事。これを繰り返して、創業理念、戦略を説いている経営者自身が、真意を理解する。実はこのことに重きがあるのです。

 理念と戦略とかけて、なんととく。
 自転車乗りととく。
 答えは、倒れないためにとき続けなければならない
 
 これができれば、戦術は、全て委ねる。任す。
 これで組織は、組織本来の機能を果たすことになのです。  

仕事でに育てられる、という意味

2006年02月14日 | Weblog
 たとえば、以下のようなことを経営者に提言する。

3)販売された商品に関してお客様の要望、不平不満等を、あえて積極的に集め、その対応に組織的に取り組む体制作りが、今後の重要課題である。
(1)販売先と消費者の評価のフィードバック機能の拡充。
消費者の要望、クレーム、不平不満を積極的に収集し、それらに真摯に対応、改善していくことで、当社なりのノウハウが蓄積され、商品力は進歩発展していくのである。
 やみくもに積極営業や販促を繰り返しても、販路拡大効果は期待できるどころか逆効果になることを肝に銘じて欲しい。繰り返すが評価がバツのお客は離れていくのである。それはそれなりの不平不満等が存在するからである。
(2)取引関係先と消費者から具体的な意見・要望・不平不満等を集めてその消し込み作業を行う。
 こうしたことを恒常的に一貫性を持って実施し続ける組織体制を社内に確立する。具体的には新組織が発足まで、当面「消費者なんでも相談室」といった窓口を設け、専任者を置き、フリーダイヤルで苦情などを積極的に収集することが望ましい。

 人は自分が出来ていないことには、声が小さくなる。言わなくなる。あの有名なキリストの「汝、この女を許すや否や」の論理に徹するなら、この世の諫言者はたちまち在庫ゼロ。しかも永遠に。このことは、逆に世の中の不幸ではないかろうか。こうした言い訳でもしなければ、私は、上のようなご立派なことは書けなくなる。だが、書いている。
 だがこの矛盾で、顔を赤くしている間は、少しは人間進歩するのかも。仕事でに育てられる、という意味は、こういうことかも知れない

 ある会社のための診断報告書を書きながら、そんなことを考えた。

経費はいや、利益は好き

2006年02月12日 | Weblog
商品を売るからご苦労されるのです。商品はそれを手にされるお客様に、何らか貢献するもの、そうした機能を持っている。それを活かしてあげることです

たとえばおしぼり。おしぼりは、お客様の素手に触れるもの、温度がある、繰り返し使うもの、消耗材、といった機能があります。
 ですからいわゆる経営者の手が打ちやすい商品だと私は、思いますよ。

 オシボリを単に配れば、そのお店にとっては経費。配らない方が得。ところがこれで消費者が感動し、そのお店の売上げが上がれば、これは得。ですからそのお店はオシボリに経費をかける気になるでしょう。高橋クリーニングの高橋さんは、そう考えました。

 オシボリを遣って、以下に客先のお店の売上げが上がるか、ということを考えて
あげるのが、オシボリ屋さんの仕事だから、当然です。
 ですがほとんどのオシボリ屋さん、この当然の仕事をしていない。仕事をしていなくでも売上げ上がるとしたら、それでいいのですが。

 人皆、経費はいや、売上げと利益好き。商品はは、この皆さんが大好きな後者を充足してあげる道具にと考えることです。

戦術は委ねるが、が組織がいきていること

2006年02月10日 | Weblog

理念と戦略が浸透している、ことことを前提に、戦術は委す。委すのです。任すと言うこと。これが実はなかなか出来ない。方法、やりかたも一切含めて命令、指示しない。口を挟まない、拘束しないことなのですがね。

 口を挟んんでしまったら、うまくいったら口を挟んだ上司の成果、失敗したらこれまた口を挟んだ人の責任。これでは人事考課できない。責任も取れないじゃないですか。なのにたいていは口を挟んだり指示したりしています。

「戦術は任す、委ねる」が、徹底されれば、相手の方が経営者が自分を信頼しているということを理解しますし、それが、彼らの経営者への信頼となります。やる気意欲になります。教育になります。
 委すということはイコール、信頼している、ということです。

 要は、組織そのものの成立の必要十分条件として、理念、戦略の浸透がある、ということです。そしてこの2つが充足されない限り、どんな優れた戦術も無意味になります。
 いわゆる、夢を語り合え、夢を共有しあえ、信頼しあえる仲間の集団、これこそ目指す組織されるあり方だと思います。
 私たち経営コンサルタントは、戦術は委ねれているかどうかで、組織が生きているかどうか、一発で判断することになります。

昨日のご相談から~理念・戦略・戦術~

2006年02月09日 | Weblog
 戦術が経営者により固定され徹底的に浸透していたら、現場は硬直化。大混乱。
たちまち組織崩壊です。

戦略が末端まで徹底していなければ、従業員が頑張ればガンバルほど組織はバラバラ、組織効率はマイナスになります。理念が末端まで浸透していなかったら、経営書の意図とは異なる想いの組織になり、行くつくところ何をやってでも業績優先の風土になってしまうからです。羽毛を包んだ風呂敷がほどけるると、ほとびちる。あれに似ています。
 
この場合、包み込む風呂敷が、理念。風呂敷をどこへ持っていくかが戦略と考えてください。

 理念の浸透には、熱っぽく従業員一人一人に語りかけ続ける以外にありません。
戦略もそうです。ただ戦略の場合は、相手の戦略も聞いてあげて、それを共有し合う、出来る限り統一化するところまで、持っていく。

 経営者として、従業員一人一人の方の夢、実現にどう協力できるか、という側面を欠き、こちらの戦略を押しつけてもムダになります。同じことは取引先、お客様に対しても言えます。

 戦略は、文字に「戦」がはいっていることで誤解されているのですが、こちらの意図、思いを通すための、戦いの策略ではないのです。相手に進んで協力していただく為にどうしたらいいか、という命題。これが本来なのです。
 むしろ政治力のニュアンスが強いものです。 (後半は明日掲載)
 

官僚の外部組織とライブドア

2006年02月08日 | Weblog
人においてもそうだが、企業においても何でもかんでもやれるわけはない。そうした意味での多角経営は愚策である。得意を活かし、それを柱としてやる。それ以外にやりたくなったら、それは自分でやるか、それをもっとも得意とする友に委ねるかを冷厳に科学的計算性に基づいて、判断する。

ここで自分の能力に甘い判断をすれば、将来(さき)に多角化の失敗というほぞを噛むことになる。後者を洗濯すると、いわゆるネットワークが構築される。組織には内部組織と、こののようなを外部組織がある。
 後者のネットを世界のに広げればより専門の友が見つかる。ネットワークを広げうまく機能させることは、これからの成功の大きなキーになる。
 
言わずもがなだが、内部組織であろうと外部組織であろうと、消費者に対する貢献度、消費世界における杜会的責任の重要性などメルクマールは絶対に変わらない。変わらないというより、より意識して徹底させなければ、自らの崩壊を招く。

 だが、組織が大きくなることは末端、末端の大半は現場だが、この末端まで理念、戦略が徹底されなくなる、という恐ろしい現象が発生することをも意味する。 とすれば内部組織の肥満化、小さな組織のリンクで構成されるネットワーク組織が優れていると思う。

 そうしてみれば、ライブドアの構築してきたのは消してネットワークではなく、古い形の支配組織だ、官僚の作る外部組織と変わらない、というのが明確だ。

昔からネットでワーク。

2006年02月07日 | Weblog
いつの時代でも、企業の倒産は決まっている。不動産過剰会杜、非流動性会社、借金会社だ。なぜか。これらの共通項を探せばよい。流動性が低いことだ。人間でも身体や思考が堅いと、いう。それである。

 としたら経営者は心して、会社を流動化することである。そのシクミをつくることである。指標としては、設備の生産性、キャッシュやモノの回転率をあげ、ROCE(総資本利益率)をあげる経営をめざすこと。

 B/Sは縦を短く、小さくすることにつきる。LPは消費者に関係ある費目とそうでない費目と2つに分け、前者の比率を限りなく高くしていくこと。つまり短、単純、そして売上貢献度の高い決算書をめざすことである。
 もちろん、人事異動も、交流もどんどんやる。人の頭や身体が硬いのも危機を招きますからね。

 例えば、資産を小さくするにはどうするか。議論や会議で減るわけではない。ダイエットの本をいくら読んでもダイエットは不可能である。町を歩くことだ。行動することだ。 動けば,血液も流れる。筋肉もほぐれる。喉もかわいてドリンク飲みたくもなろう。そうすれば金が動く。金が動けば経済は活発化します。

 こうした流れ、循環に乗るためには、市街とのリンクもきちんとしておく必要がある。孤立型というのは、社内の循環はうまくいっても、外部とのソレがうまくいきませんから、結局はダメになる。
 内外部の配線をすいすい電流が流れていてこそ、我が家は明るくなる、と考えてみてください。昔からネットでワーク。

虚実混合の時代

2006年02月06日 | Weblog
日本の不況が深刻化してきた。今から3―5年が山になるだろう。その
間、ゼロ成長以下になることは当然。銀行を含む不動産関連企業、大手流通業
といったところの大型倒産、多量失業、社会変革などが起こる。
*

上の文章は、H10.8.24に配信したJ―KA通信(現「白圭通信」10-5号に記載した「冒頭コラム」である。

その間、上に予測した兆候の現実化を背景に、とりわけ流言飛語をとばし、一儲けしようという輩が続出。そして消えていった。
 その中には「これを買うと宝くじの特等が当たる」、といったたぐいのチラシ商法からITの特性と証券法等の時間的間隙を縫ったやりかたで急成長(実は見せかけか)したライフドアみたいなものまである。

 宝くじの特等が、どんなおまじないをしようとたった一人にしか当たらないという事実は変わらない。こんなことは冷静になれば誰しもわかることである。どの世界にも1位は一人、1社しかいないという当たり前のことを"意識して無視、欠いた成功談"は、まず疑ってみることである。

 未来を説き、今を忘れさせる論法者に、今を問いただしてみることである。
 だがヒーローを生み出す者は、大衆である。このことを見逃してはなるまい。大衆は自分の夢をヒーロに委ねる形で、叶わぬ自分の夢を託する。だがそのヒーロが現実に身近にあることは、嫉みになる。その意味でITの世界でのヒーロは、嫉みの対象にはなりにくい。ここにそうした輩を排出させる、土壌があると見ている。

 ヒーロには実像と虚像の二面性がある。実像だけでは大衆は押し上げてくれまい。だが虚像だけでは最初から、賢くなった大衆は警戒するだろう。虚実織り交ぜた世界を容易に可能にするのが、ITの世界ではないか、と思う。

 その意味で、この類の事件、事件にならないことをも含むことは、手を換え品を変え多発してくる、とみている。この場合、いわゆる被害者の大半は泣き寝入りになる。なぜなら現実の進化のスピードは、これまでもそうだったが、そのこれまでに比較し得ないほどのスピードで進化する。対して立法(法整備、法改正を含む)のスピードはこれまでとほとんど変わらない。
 だから常に後追い。これは次の被害者は対象となるが、今の被害者は対象外といったことが、イタチゴッコが永遠に続くことを覚悟しなければならないことを意味する。

 としたらこれは一人一人が、虚と実とを見抜く力を身につける以外にない。虚を剥がせば、実が見える。実を剥がせば虚がみえる。これだけのことだから、決して難しくはない。脳力経営塾では、そのための脳の回線造りをやっている。
 
 2月10日 名古屋カムサ経営セミナーhttp://www.kamsa.cc/training.htmlでそうした話をしたい。
 虚実混合の時代への対応を一緒に学びあえたら、と念じている。