経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

車でなく、人が主役

2006年02月01日 | Weblog
人が歩かない駅前通りは寂れる。幹線はもはや歩行者の道路ではない。幹線道路への住民の関心は、環境問題として通過車両をいかにスムーズにさばかれるかに変わりつつたる。そのため行政の関与も、拡幅工事やバイパス道路の整備に移行し、住民の生活通路、という視点を失わせるものとなってしまった。

 こうしたことがまた車が消費者を郊外へ運びさり、いっそう中心商店街を寂れさせることに、間接的に貢献することになったと言えよう。
 ゆえに商店街にとって、駐車場対策は、問題の本質的な解決策にはならないのである。必要ない、ということではない。生活環境としての町全体の社会的システムの脆弱化した結果、人々が足でなく車を使わざるを得ない状況に陥ったことこそ問題の本質である、といいたいのである。

 それに目をそらし、いきなり「車社会への対応、すなわち駐車場」というのは,主客転倒した論理である。
 消費者からみて購買地までの距離が遠くなったことはどうなのか。
 買い物場所や個々の商店の非連結性や分断化は、生活者にとってどうなのか。

 そうした議論がないまま、これを車で結べば解決という考えは短絡的かつ一方的である。なぜなら環境・資源エネルギー問題や高齢化時代を考えると、明らかに時流逆行、本末転倒の対応だからである。

 そもそも過疎化する地方郡部地域から、わずかに残されたオアシス(潤い)まで、吸い取らないとノルマを達し得ない私企業の論理と、消費者に車の持つ数々のリスクを負担させることに依存している大手企業が、出店趣意書に、「消費者の利便性」とか「地元商店との共栄共存」、「地域の活性化」などと書いてくること自体白々しい。ほんとうにそう考えているとは、思えないのである。
 彼らが真に消費者、地元のことを思っているなら、そうしたことを果たし得る「場所」を選ぶはず。もっともらしい理由はあとからいくらでも取ってつけれる。
赤字になったら、いとも簡単にさよならする前歴を持っている彼らに軽々しくそうした言葉を使って欲しくない。

 街造りは、そうした戯言などに惑わされるのではなく、地域住民の生活の視点から、構想されるべきものである。当然、車が主役ではなく、人を主役として。