経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

経営の背景

2006年02月03日 | Weblog
人も含めて動物は、動くもの、目立つものを追う。その場合動かないものは、一緒くたにされ、そのものを目出される背景を担う存在に過ぎない。
背景によって引き立つ、といった言い方をしても、その背景にとりわけ意義を感じているわけでもなさそうだ。習字など典型的事例だ。空間のおかげで文字が引き立つ。だが練習している者は、字の練習をしているのであって、意識して背景を活用する、といったことはあまりない。カメレオンなどは、この空間と自らを同化させ、身を守っているし、店主はこれを利用し、デスプレーをする。いやいや、経営は、消費者を背景にして(背につけて)こそ成り立っているし、政治家だって民を背につけなければ唯の人だ。

 それはそうとして、私が考え込んだのことは、この大部分(背景)無視し、少数の存在だけでものを見、考えることが、はたして実像・実態なのであろうか、という疑問である。大多数からみたときの少数には、偏りが生じやすいのは自明の理である。と考えれば、はたしてこうした一種の偏りで事物をや人をみることが、正しいのであろうか。実態を示すものであろうか。また彼らにあたえる大部分、背景の影響の影響を考慮しなくていいのだろうか、といったことである。

 商人は、見えるお客には着目するが、見えないお客にはたいてい無関心である。その証拠に顧客管理と称するものは、これまで来店され購入したお客の管理ではないか。たくさんの消費者は、当店の存在を知らない。利用したこともない、購入したことのない。こうしたお客がほとんどなのに、ごくごく少数派のお客のデーターを分析し、判断する。ここでも少ない方が優先され、大部分を占める方が無視される。そもそも来店購入されたお客は、「当店をどう思われますか」といった類の質問、まったくナンセンスであろう。

 仕入れ品揃えされる商品もそうだ。たとへばブルゾン。SS、S、M、L、LL、O、せいぜいぜい5-7サイズで間に合うお客以外を、全部無視するのが切り捨てるのが、いわゆる「仕入れ」であり「品揃え」である。
、個別対応ニーズこそ、ほとんどのお客の本来ニーズであることを突き詰めれば、5-7サイズのいずれかで、ぴったしと間に合うお客こそ、少数派ということになる。

 動くものを見るとき、動かないものをみる。目立つものを見た目で、背景を見てみる。こうし見逃しがちなものを、みることによった、なんいか新しいもの、気がつくものが見えてくるのではなかろうか。

 工業倶楽部のパーティ。終わり近くになると、一人二人と退席始め、見回したら半分以下に。しかし伊藤知事は、まだ経営者たちと談笑している。
 おかしかったのは、知事と同席していた某部長。自分だけ途中退席ができず、手持ちぶさたしている。
 友人のFさんが、いう。「今の知事が、時間前参会、中抜けしない、途中退席しないので、他の県職員も変わってきている」と。

 この日参加の経営者の中で、メインの京セラ伊藤相談役の話を熱心に聞いても、この伊藤知事の、上より身を糺す姿勢から学んだ人は、どれだけいるだろうか。私は、友人F社長を誇らしく思った。

 経営の背景とは、日常の風景といってよい。ここから学べる人に、私は目を当てていきたい。