伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2019/12/25

2019-12-25 07:50:46 | 今日の聖句
ヨシュア記 8:1-2

主はヨシュアに言われた、「恐れてはならない、おののいてはならない。いくさびとを皆、率い、立って、アイに攻め上りなさい。わたしはアイの王とその民、その町、その地をあなたの手に授ける。 あなたは、さきにエリコとその王にしたとおり、アイとその王とにしなければならない。ただし、ぶんどり物と家畜とは戦利品としてあなたがたのものとすることができるであろう。あなたはまず、町のうしろに伏兵を置きなさい」。

イスラエルの中から滅ぼされるべき者を滅ぼし去ったとき、再び主はヨシュアに現れ、一度は敗北したアイの町の攻略法を授けました。そしてアイの町の戦利品は神に捧げるのではなく、自分たちのものとしてよいと告げられました。私たちの中にあるどんな小さな罪も見逃すことなく、完全に滅ぼし尽くしたとき、神は私たちに現れ、生きる術、勝利の人生の秘訣、更に生活に必要な財産をも授けてくださいます。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.1-2.ja1955

*****

ヨシュア記 8:3-13

ヨシュアは立って、すべてのいくさびとと共に、アイに攻め上ろうとして、まず大勇士三万人を選び、それを夜のうちにつかわした。 ヨシュアは彼らに命じて言った、「あなたがたは町に向かって、町のうしろに伏せていなければならない。町を遠く離れないで、みな備えをしていなければならない。 わたしとわたしに従う民とは皆共に、町に攻め寄せよう。そして彼らが前のようにわれわれにむかって出てくるとき、われわれは彼らの前から逃げるであろう。 そうすれば彼らはわれわれを追って出てくるであろうから、われわれはついに彼らを町からおびき出すことができる。彼らは言うであろう、『この人々はまた前のように、われわれの前から逃げていく』。こうしてわれわれは彼らの前から逃げるであろう。 その時、あなたがたは伏せている所から立ち上がって、町を取らなければならない。あなたがたの神、主がそれをあなたがたの手に与えられるからである。 あなたがたが、町を取ったならば、町に火を放ち、主が命じられたようにしなければならない。わたしはこう、あなたがたに命じるのである」。 そうしてヨシュアが彼らをつかわしたので、彼らはアイの西方、ベテルとアイの間の待ち伏せする場所に行って身を伏せた。ヨシュアはその夜、民の中に宿った。 ヨシュアは明くる朝、早く起きて、民を集め、イスラエルの長老たちと共に、民に先立って、アイに上っていった。 彼と共にいたいくさびとたちもみな上っていって、町の前に近づき、アイの北に陣を取った。彼らとアイの間には、一つの谷があった。 ヨシュアはおおよそ五千人をとって、町の西方、ベテルとアイの間に、伏せておいた。 こうして民の主力を町の北におき、しんがりを町の西においた。ヨシュアはその夜、谷の中で宿った。

神の言葉を聞いたヨシュアは再び勇気を得て立ち上がり、イスラエルの軍勢3万人を召集し、更に全イスラエルを率いてアイと戦うために進み出ました。先のアイとの戦では3千人を出兵させただけでしたから、その10倍の兵力を注いだことになります。神は何事においても手抜きすることなく、全力で取り組む者に勝利を得させてくださるお方です。またその戦い方においても、神から示されたとおり、伏兵を置いてアイの町を挟み撃ちにするという、エリコとの戦いとは全く異なる戦術を採りました。柳の下に泥鰌はいないとの諺がありますが、神のなさることは二番煎じではなく、そのときそのときに応じて最も適切な方法を採用なさります。一度の成功体験で満足することなく、常に神の御心を尋ね求め、そのとき告げられる神の方法、主の教えに全く従うことこそが、勝利の人生を歩む者の生き方です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.3-13.ja1955

*****

ヨシュア記 8:14-23

アイの王はこれを見て、すべての民と共に、急いで、早く起き、アラバに行く下り坂に進み出て、イスラエルと戦った。しかし、王は町のうしろに、すきをうかがう伏兵のおることを知らなかった。 ヨシュアはイスラエルのすべての人々と共に、彼らに打ち破られたふりをして、荒野の方向へ逃げだしたので、 その町の民はみな呼ばわり集まって彼らのあとを追い、ヨシュアのあとを追って町からおびき出され、 アイにもベテルにも残っているものはひとりもなく、みな出てイスラエルのあとを追い、町を開け放して、イスラエルのあとを追った。 その時、主はヨシュアに言われた、「あなたの手にあるなげやりを、アイの方にさし伸べなさい。わたしはその町をあなたの手に与えるであろう」。そこでヨシュアが手にしていたなげやりを、アイの方にさし伸べると、 伏兵はたちまちその場所から立ち上がり、ヨシュアが手をのべると同時に、走って町に入り、それを取って、ただちに町に火をかけた。 それでアイの人々が、うしろをふり返って見ると、町の焼ける煙が天に立ちのぼっていたので、こちらへもあちらへも逃げるすべがなかった。荒野へ逃げていった民も身をかえして、追ってきた者に迫った。 ヨシュアとすべてのイスラエルびとは、伏兵が町を取り、町の焼ける煙が立ち上るのを見て、身をかえしてアイの人々を撃った。 また町を取ったものは町を出て彼らに向かったので、彼らは、こちらとあちらとからイスラエルの中にはさまれた。こうしてイスラエルびとが彼らを撃ったので、生き残ったもの、逃げおおせたものは、ひとりもなかった。 そしてアイの王を生けどりにして、ヨシュアのもとへ連れてきた。

アイの王は先の戦での勝利体験から気を大きくしたのでしょうか、背走する振りをしたイスラエルを追いかけて、アイの人々は町を出て、全軍率いて追撃しました。もぬけの殻となったアイの町を見届けた神はヨシュアに、手にしている槍をアイの町に向けて差し伸べて伏兵に合図し、挟み撃ちさせるように命じました。ヨシュアが高く掲げた槍を見た伏兵はアイの町に入って火で焼き払い、その立ち上る煙を見たイスラエル全軍は身を翻してアイに立ち向かったため、アイの人々は逃げ場を失い、一人残らず討ち滅ぼされ、アイの王は生け捕りとされました。神の摂理に心を向けることなく、自分の目に見える状況だけで物事を判断する者は、アイの人々のように人生の破綻、永遠の滅びを招きます。私たちが目を置くべきものは、御言葉に隠された神の真理です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.14-23.ja1955

*****

ヨシュア記 8:24-29

イスラエルびとは、荒野に追撃してきたアイの住民をことごとく野で殺し、つるぎをもってひとりも残さず撃ち倒してのち、皆アイに帰り、つるぎをもってその町を撃ち滅ぼした。 その日アイの人々はことごとく倒れた。その数は男女あわせて一万二千人であった。 ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼしつくすまでは、なげやりをさし伸べた手を引っこめなかった。 ただし、その町の家畜および、ぶんどり品はイスラエルびとが自分たちの戦利品として取った。主がヨシュアに命じられた言葉にしたがったのである。 こうしてヨシュアはアイを焼いて、永久に荒塚としたが、それは今日まで荒れ地となっている。 ヨシュアはまた、アイの王を夕方まで木に掛けてさらし、日の入るころ、命じて、その死体を木から取りおろし、町の門の入口に投げすて、その上に石の大塚を積み上げさせたが、それは今日まで残っている。

イスラエルが滅ぼしたアイの人々の数は1万2千人であったも記されていますから、イスラエルはその2倍以上の戦力でアイの町を滅ぼしたことになります。数敵にも圧倒的に有利な戦力を率いながらも、主の命によってアイの町に向けて高く掲げられたヨシュアの手は、戦い終えるまで引っ込めなかったとあります。これはおそらく、かつて荒野でアマレクと戦ったヨシュアが、その戦い終えるまで高く掲げられたモーセの手によって勝利を得たことを記憶していたからであると思われます。戦いの間中ずっと高く掲げられた手は、勝利を願う祈りを意味します。神は何事にも祈り心を以て最後まで全力で取り組む者に、勝利を賜ります。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.24-29.ja1955

*****

ヨシュア記 8:30-35

そしてヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のために一つの祭壇を築いた。 これは主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたことにもとづき、モーセの律法の書にしるされているように、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であって、人々はその上で、主に燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。 その所で、ヨシュアはまたモーセの書きしるした律法を、イスラエルの人々の前で、石に書き写した。 こうしてすべてのイスラエルびとは、本国人も、寄留の他国人も、長老、つかさびと、さばきびとと共に、主の契約の箱をかくレビびとである祭司たちの前で、箱のこなたとかなたに分れて、半ばはゲリジム山の前に、半ばはエバル山の前に立った。これは主のしもべモーセがさきに命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。 そして後、ヨシュアはすべての律法の書にしるされている所にしたがって、祝福と、のろいとに関する律法の言葉をことごとく読んだ。 モーセが命じたすべての言葉のうち、ヨシュアがイスラエルの全会衆および女と子どもたち、ならびにイスラエルのうちに住む寄留の他国人の前で、読まなかったものは一つもなかった。

アイとの戦いにも勝利を収めたヨシュアは、人の手の加えられない自然のままの石を以てエバル山の頂に主のための祭壇を築き、敵への勝利と戦利品を与えられた神に向かい、燔祭と酬恩祭を捧げました。モーセ五書より学んだ通り、燔祭は神への全き献身、酬恩祭は神への感謝を意味します。神の導きによって成功を収めたとき、まず神に感謝を捧げることこそ、神の民のなすべき信仰の姿勢です。そしてヨシュアはモーセに命じられた通り、エバル山とゲリジム山にイスラエル12部族を半々に分け、祭壇の石にモーセの律法の書を書き写し、全イスラエルと、共にいる寄留者たちに読み聞かせ、律法に記された祝福と呪いの言葉を宣言して、イスラエルを祝福しました。私たちの信仰と、祝福の基盤は、永遠に変わることのない神の御言葉、聖書にあります。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.30-35.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【今日の聖句】 2019/12/25

2019-12-25 05:30:36 | 今日の聖句
ルカによる福音書 2:11 新共同訳

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

長年イスラエルが待ち望んでいたメシヤの到来を初めて告げられたのは、王や国会議員でもなく、祭司や律法学者でもなく、最も下層階級に属する名もなき羊飼たちでした。神の憐れみを最も必要としている者に現れてくださる救い主イエスの到来を、心から喜び迎えるクリスマスを過ごさせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/luk.2.11.新共同訳
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする