伊藤ファミリーBLOG

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【今日の聖句】 2017/06/24

2017-06-24 06:10:18 | 今日の聖句
エペソ人への手紙 5:3-4
「また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。 また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。」

いと高くきよい神様の僕となった私たちは、心だけでなく行動も言葉もきよくなることを主は望んでおられます。不品行や汚れた行い、悪口やみだらな言葉など御霊を悲しませる言動を慎み、いつも感謝と祈りと讃美に満ちた神様に喜ばれる者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/eph.5.3-4.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/06/23

2017-06-23 07:15:22 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 1:1-2
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。」

悪と袂を分かつ秘訣は、義なる神様の御言葉を喜んで信じ受け入れ、昼も夜もその戒めを心に留めて聞き従うことです。そのような者はさいわいな人であると、詩篇の作者はほめたたえています。古の先人たちが主の御言葉に聞き従って祝福の生涯を全うしたように、主のおきてを喜びとし常に思いを馳せる、さいわいな人生を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.1.1-2.ja1955

*****

詩篇 1:3
「このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」

悪に身を置かず、主の御言葉に聞き従う者の人生は、常に葉が繁り、やがて義の実を豊かに結ぶ木のような、恵みと祝福に満ちた生涯です。神様の賜るいのちの水のほとりに根を下ろし、恵みの数々を受けて御霊の実を豊かに結ぶさいわいな人とならせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.1.3.ja1955

*****

詩篇 1:4-6
「悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。」

いのちの御言葉に根ざすことなく、悪に身を染める愚かな者の行く末は、脱穀した実を振るい分ける風に吹き飛ばされる籾殻のような、中身のない、実を結ばない人生です。いのちの書に名が記されることなく、やがて天の御国で神様の御前に立つとき永遠の滅びに定められることのないように、悪から離れて身を慎み、キリストの十字架による購いを信じて神様に義と認めていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.1.4-6.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/23

2017-06-23 06:35:09 | 今日の聖句
ヨハネの第一の手紙 4:13-15
「神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。」

イエスを神の子、救い主と信じさせてくださるのは、人の努力や知恵によるのではなく、聖なる御霊の導きにより真理に目が開かれる恵みの故です。自分の人生経験や固定概念にとらわれて心を閉ざすことなく、神様が一方的に賜る恵みをただ感謝して受け入れ、永遠のいのちを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/1jn.4.13-15.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/06/22

2017-06-22 07:35:19 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 42:1-6
『そこでヨブは主に答えて言った、 「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。 『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』。それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、測り難い事を述べました。 『聞け、わたしは語ろう、わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。 それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」。』

義なる神様に対して自分の義を主張し、神様のなさることがわからないとつぶやいたヨブは、全地全能なる神様の栄光を自分の目ではっきりと見て、主の御業は人の知恵では到底及ばないことを悟り、自ら愚かな言葉を口にして主を疑う罪を犯したことを告白して悔い改めました。

私たちもまた主と直接出会う経験を通して、己の罪深さが照らし出されます。そのとき、罪に目をつむり口をつぐむことなく、罪を告白して悔い改めることなしには、神様との正しい関係は修復できません。聖書の御言葉を耳学問の単なる知識に終わらせることなく、実生活に照らし合わせて自分のものとして受け入れて改めるべき罪や悪習慣を捨て去り、神様との真の平和を回復する私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.42.1-6.ja1955

*****

ヨブ記 42:7-9
『主はこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。 それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって、あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」。 そこでテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルは行って、主が彼らに命じられたようにしたので、主はヨブの祈を受けいれられた。』

神様はまた、ヨブに疑いの念を抱き無実の罪に陥れようとしたエリパズと2人の友人たちに対して、偽証の罪を犯したことを責め、ヨブを通して罪の購いとしての燔祭を捧げるように命じました。神様に対して燔祭を捧げることは身をきよめた祭司にしか行うことのできない奉仕ですから、神様はヨブを義と認められたことを意味します。そしてヨブが友人たちのために犠牲を捧げたとき、主はヨブの祈りを聞かれ、3人は罪赦されました。

彼らの行ったことは、ヨブという目の前にいる人との関係修復と、ヨブを通して神様との関係を修復することでした。そしてヨブが自分を罪に定めようとした友人たちと和解し、迫害した者のために赦しを祈り求めたように、私たちもまた世の人々と良い関係を築き、神との和解の使者としての使命を果たさなければなりません。義人の祈りには大いなる力があるとの御言葉の通り、神様はヨブと同じように私たちの祈りをも聞き届けてくださり、大いなる救いの業をも成し遂げてくださいます。

http://bible.com/81/job.42.7-9.ja1955

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ヨブ記 42:10, 12-13, 16-17
「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。

主はヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもった。 また彼は男の子七人、女の子三人をもった。

この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。」

神と人との関係回復は、祝福の回復にもつながります。ヨブが3人の友人のために燔祭を捧げて執り為しの祈りを捧げた後、神様はヨブの繁栄を元に戻し、かつての2倍の祝福を以てヨブに慰めを与えられました。また一度は亡くした子どもたちも再び授けられ、その目で曾孫を見るさいわいが与えられ、天寿を全うして神様の身許に召されました。

神様は、ヨブの終わりを初めよりも多く恵まれたとあるように、どんなひどい仕打ちを受けても人を許す心を持ち、どんなことがあっても神様を信じ従い続ける者に、天からの祝福をもって必ず報いてくださいます。私たちに必要なことは、神様との正しい関係を保つことと、人を許す寛容な心を持つことです。

http://bible.com/81/job.42.10,12-13,16-17.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/22

2017-06-22 06:45:08 | 今日の聖句
ルカによる福音書 6:35-36
「しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」

人を偏り見ず慈しみ深い神様は、神のかたちに造られた私たちにも見返りを求めず情け深くあることを願われています。すべての人に注がれる神様の愛を受けて、仲間内だけに留まらず誰に対しても惜しみなく愛の業を為し、キリストの徳の高さに至る私たちでありますように。

http://bible.com/81/luk.6.35-36.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/06/21

2017-06-21 07:30:01 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 41:1-4
「あなたはつり針でわにをつり出すことができるか。糸でその舌を押えることができるか。 あなたは葦のなわをその鼻に通すことができるか。つり針でそのあごを突き通すことができるか。 これはしきりに、あなたに願い求めるであろうか。柔らかな言葉をあなたに語るであろうか。 これはあなたと契約を結ぶであろうか。あなたはこれを取って、ながくあなたのしもべとすることができるであろうか。」

今日の箇所に出てくる生き物は、口語訳聖書では「わに」と訳されていますが、他の翻訳や原文では「レビヤタン」と呼ばれる、強大な力を持つ竜のような生き物を指しています。そして最後まで読めば、これはサタンを象徴する動物であることがわかります。神様はヨブに、あなたは竜を釣り上げることができるか、僕として意のままに扱うことができるか、竜はあなたの言いなりになるだろうかと問われました。もちろん竜もサタンも、人間にはそのようなことはできません。むしろ暴れる竜を抑えることもできず、サタンのなすがままに翻弄されるのが人間です。この竜あるいはサタンに対抗するためには、サタンをも支配される神様に共にいていただくしかありません。

http://bible.com/81/job.41.1-4.ja1955

*****

ヨブ記 41:8-11
「あなたの手をこれの上に置け、あなたは戦いを思い出して、再びこれをしないであろう。 見よ、その望みはむなしくなり、これを見てすら倒れる。 あえてこれを激する勇気のある者はひとりもない。それで、だれがわたしの前に立つことができるか。 だれが先にわたしに与えたので、わたしはこれに報いるのか。天が下にあるものは、ことごとくわたしのものだ。」

サタンの上に手を置いて懐柔することもできず、むしろそんな勇気すら持てない人間が、サタンをも意のままに支配される神様に向かって立つことができるのかと、神様はヨブに問われました。この世のすべては神様のものであり、神様の完全なご支配の下にあります。私たちにできることは、この神様の御心に聞き従って、完全な守りの内に入れていただくことです。

http://bible.com/81/job.41.8-11.ja1955

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ヨブ記 41:12, 33-34
「わたしはこれが全身と、その著しい力と、その美しい構造について黙っていることはできない。

地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた。 これはすべての高き者をさげすみ、すべての誇り高ぶる者の王である」。

神様はレビヤタンについて、その力の絶大さと美しさに口を閉ざすことはできないと言われました。地上に並び賞される者はなく、恐れのない者、誇り高ぶる王と表現されたレビヤタンの正体は、最高位の天使の座から地に落とされたサタンそのものです。彼は天使の中で最も麗しく力ある者でしたが、心に高ぶり、神と争って上に立とうとしたため、天の御国から追われ、罪が支配する闇の世界に落とされました。

そのサタンが、私たちも自分の仲間にしようと、実に巧妙で魅力的な言葉で誘惑し、神をも恐れぬ高ぶる心を持たせようとします。私たちはこのサタンの策略に引っ掛かかってはなりません。高慢な心はサタンと同じ罪に陥る入口ですから、私たちは常に心の状態を吟味し、注意しなければなりません。

http://bible.com/81/job.41.12,33-34.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/21

2017-06-21 06:40:10 | 今日の聖句
ヨハネの第一の手紙 2:5-6
『しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。 「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。』

クリスチャンとはキリストに倣う者、キリストが歩まれたように歩む者のことです。主イエス・キリストの御言葉に聞き従い、キリストを世に遣わされた神様の愛に満たされて、真にキリストにある者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/1jn.2.5-6.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/06/20

2017-06-20 07:40:01 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 40:1-5
『主はまたヨブに答えて言われた、 「非難する者が全能者と争おうとするのか、神と論ずる者はこれに答えよ」。 そこで、ヨブは主に答えて言った、 「見よ、わたしはまことに卑しい者です、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです。 わたしはすでに一度言いました、また言いません、すでに二度言いました、重ねて申しません」。』

神様は、自分の正しさを主張し神様のなさることに疑問を呈したヨブに、全能なる神様を非難して争おうとするのかと、その姿勢を問い質しました。天地万物を統べ治められる神様と直接対話を望むならば答えてみよと言われたヨブは、ただひれ伏して口を閉ざすことしかできませんでした。私たちは神様のやり方に口を挟むような思い上がった心、己の正当性を主張し我を張るような神様に対する不遜な態度を取ってはなりません。

http://bible.com/81/job.40.1-5.ja1955

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ヨブ記 40:6-10
『主はまたつむじ風の中からヨブに答えられた、 「あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。 あなたはなお、わたしに責任を負わそうとするのか。あなたはわたしを非とし、自分を是としようとするのか。 あなたは神のような腕を持っているのか、神のような声でとどろきわたることができるか。 あなたは威光と尊厳とをもってその身を飾り、栄光と華麗とをもってその身を装ってみよ。」』

神様からの問いかけに口をつぐんだヨブに対し、主は男らしくせよ、自分の犯した過ちについてはっきりと告白しなさいと迫りました。言葉はいのちです。特に日本人は過去の過ちは水に流して、あたかもなかったことのように振る舞う傾向がありますが、生ける御言葉なる神様を信じる私たちは、自分の言動に責任を持たなければなりません。自ら犯した過ちや罪を自分の口で告白して悔い改めことなしに、真の赦しと救いはないことを心に刻む私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.40.6-10.ja1955

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ヨブ記 40:11-14
「あなたのあふるる怒りを漏らし、すべての高ぶる者を見て、これを低くせよ。 すべての高ぶる者を見て、これをかがませ、また悪人をその所で踏みつけ、 彼らをともにちりの中にうずめ、その顔を隠れた所に閉じこめよ。 そうすれば、わたしもまた、あなたをほめて、あなたの右の手はあなたを救うことができるとしよう。」

主の喜ばれる心は、悔いし砕かれた魂です。しかし私たちは、頭ではわかっていてもなかなか心を砕くことができない、強情で自己中心な心の持ち主です。人の振り見て我が振り直せとの諺の如く、私たちは人の過ちから正しく学び、同じ過ちを繰り返さないように自らへりくだって悔い改めるならば、救いは近くに来ています。外見を取り繕うことなく、あたかも聖人君子のように着飾ってごまかすことなく、恥も外聞も捨てて主の御前にへりくだる私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.40.11-14.ja1955

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ヨブ記 40:15-20, 23-24
「河馬を見よ、これはあなたと同様にわたしが造ったもので、牛のように草を食う。 見よ、その力は腰にあり、その勢いは腹の筋にある。 これはその尾を香柏のように動かし、そのももの筋は互にからみ合う。 その骨は青銅の管のようで、その肋骨は鉄の棒のようだ。 これは神のわざの第一のものであって、これを造った者がこれにつるぎを授けた。 山もこれがために食物をいだし、もろもろの野の獣もそこに遊ぶ。

見よ、たとい川が荒れても、これは驚かない。ヨルダンがその口に注ぎかかっても、これはあわてない。 だれが、かぎでこれを捕えることができるか。だれが、わなでその鼻を貫くことができるか。」

この箇所は口語訳聖書や新改訳聖書では河馬と訳されていますが、今の私たちが知っている動物のカバではなく、ヘブル語でベヘモットと呼ばれる恐竜のような生き物を指していると言われます。今の私たちには化石でしか恐竜を知ることはできませんが、ヨブの時代には神様がたとえ話に引用されるほどにまだ記憶に新しいことだったのでしょうか、何とも不思議な表現です。

いずれにせよ、今は実在しないこの動物は、荒れた川の中でも平然としている、とても人の手に負えない非常に威力のある獣でしたが、これもまた神様が天地創造のはじめに造られた被造物の一つに過ぎないと言われます。ここに人間の無力さと、神様の御力の偉大さが対比されています。私たちはどれほど自分を優れた者としたとしても、神様には到底及ばないことを深く認識してへりくだらなければなりません。

http://bible.com/81/job.40.15-20,23-24.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/20

2017-06-20 06:35:14 | 今日の聖句
コロサイ人への手紙 1:16
「万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。」

有形無形を問わず、この世のすべてはいと高き神の御子イエス・キリストを証するために造られたものです。大自然を見て森羅万象そのものを崇拝の対象とするのではなく、美しい世界を造られた神様の存在に気付き、今日も私たちを生かしてくださる主の恵みに感謝する私たちでありますように。

http://bible.com/81/col.1.16.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/06/19

2017-06-19 07:30:18 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 39:5-8
「だれが野ろばを放って、自由にしたか。だれが野ろばのつなぎを解いたか。 わたしは荒野をその家として与え、荒れ地をそのすみかとして与えた。 これは町の騒ぎをいやしめ、御者の呼ぶ声を聞きいれず、 山を牧場としてはせまわり、もろもろの青物を尋ね求める。」

神様は様々な野生の動物を例に出して、人の力の及ばないことをヨブにお示しになりました。ロバは聖書の中では鈍感で頑固な動物としてたびたび出てきます。しかし神様はそのような人の手に及ばない野生のロバでさえ、荒れ地を住み処として与え、山を牧場として食物を与えて養ってくださるお方です。私たちは何でも自分の思い通りにしようと思ってはなりません。

http://bible.com/81/job.39.5-8.ja1955

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ヨブ記 39:13-18
「だちょうは威勢よくその翼をふるう。しかしこれにはきれいな羽と羽毛があるか。 これはその卵を土の中に捨て置き、これを砂のなかで暖め、 足でつぶされることも、野の獣に踏まれることも忘れている。 これはその子に無情であって、あたかも自分の子でないようにし、その苦労のむなしくなるをも恐れない。 これは神がこれに知恵を授けず、悟りを与えなかったゆえである。 これがその身を起して走る時には、馬をも、その乗り手をもあざける。」

ダチョウもまた人間とはかけ離れた生態を持つ生き物です。翼があっても退化して空を飛ぶこともできず、また美しい羽毛もなく、馬よりも速く大地を力強く駆け巡ります。卵を産んでも地面に放置して自ら暖めもせず、太陽の暖かさに任せて、その子が無事に産まれてくるか、卵が他の動物に踏み潰されたりしないか、気に掛けることもしません。それは神様がダチョウに孵卵する知恵を授けなかったからだと言われましたが、それでも神様はダチョウを今日まで絶滅することなく養ってくださいました。これもまた神様の憐れみは人の知恵をはるかに越えたものであることの証明です。

http://bible.com/81/job.39.13-18.ja1955

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ヨブ記 39:26-30
「たかが舞いあがり、その翼をのべて南に向かうのは、あなたの知恵によるのか、 わしがかけのぼり、その巣を高い所につくるのは、あなたの命令によるのか。 これは岩の上にすみかを構え、岩のとがり、または険しい所におり、 そこから獲物をうかがう。その目の及ぶところは遠い。 そのひなもまた血を吸う。おおよそ殺された者のある所には、これもそこにいる」。

鷹は大空高く舞い上がり、鷲は人が登ることもできないほど高い断崖絶壁に巣を作って、はるか遠くから獲物を狙い、その視力は人間の及ぶところではありません。その雛もまた親鳥が捕まえてきた他の小動物を食べて成長し、空を飛ぶ動物たちの中で最強の生き物として君臨します。これもまた人間が定めたことではなく、すべて神様の深い御心の内にあるのだと主はヨブに示されました。

これらの野生の動物たちの生き方を見ても、人がこの世界を意のままに動かそうとすることはまことに不遜なことです。私たちは大自然をも統べ治められる神様の御前に謙虚に聞き従い、たとい今の自分には理由がわからなくても現実を受け入れ、御心を尋ね求めて日々を歩む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/job.39.26-30.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/19

2017-06-19 06:45:06 | 今日の聖句
エペソ人への手紙 4:1-3
「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」

謙虚、柔和、寛容、愛、平和、一致を守ることこそ、キリストの十字架によって罪を購われた者に相応しい生き様です。身も心も主に属する者となり、主に召し出された自覚を持って日々を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/eph.4.1-3.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/06/18

2017-06-18 06:45:12 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 38:1-5
『この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、 「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。 あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。 わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。 あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。」』

エリフの言葉の後、ついに神様が自らヨブに答えられました。しかし神様の言葉は、自らを正しいとするヨブに対して、男らしく正々堂々と答えよ、という問いかけでした。まず最初の問いかけは、天地創造の御業を自分の目で見たのか?というものでした。自分の目に正しいと思っていたヨブの、その目が何を基準にしているのか、という本質的な問いかけです。

私たちの目は、自分の人生経験の範囲内でしか知り得ない基準で物事を評価し判断する、相対的な基準です。しかし神様の基準は、天地創造のときから変わらない絶対的な価値基準です。時と共に変わり行く人の判断基準が、神様の絶対基準に優ることはありません。ですから私たちは自分の価値基準で物事の善し悪しを判断せず、神様の御心を求めることこそが、真に正しく生きるための秘訣です。

http://bible.com/81/job.38.1-5.ja1955

*****

ヨブ記 38:12-13, 15, 19-21
「あなたは生れた日からこのかた朝に命じ、夜明けにその所を知らせ、 これに地の縁をとらえさせ、悪人をその上から振り落させたことがあるか。

悪人はその光を奪われ、その高くあげた腕は折られる。

光のある所に至る道はいずれか。暗やみのある所はどこか。 あなたはこれをその境に導くことができるか。その家路を知っているか。 あなたは知っているだろう、あなたはかの時すでに生れており、またあなたの日数も多いのだから。」

神様はまたヨブに向かい光と闇の法則について問い質しました。あなたは年輩者で物事をよく知っているのなら、光に至る道も、闇よ支配する世界も知っているのか?悪人を闇の縁に振り落とすことができるのか?と問われても、人に過ぎない者が光と闇を支配することなどできません。この世を光と闇に分け、悪しき者を闇の支配する世界に振り落とすことができるのは、神様ただお一人です。

http://bible.com/81/job.38.12-13,15,19-21.ja1955

*****

ヨブ記 38:26-27, 33, 36-38
「人なき地にも、人なき荒野にも雨を降らせ、 荒れすたれた地をあき足らせ、これに若草をはえさせるか。

あなたは天の法則を知っているか、そのおきてを地に施すことができるか。

雲に知恵を置き、霧に悟りを与えたのはだれか。 だれが知恵をもって雲を数えることができるか。だれが天の皮袋を傾けて、 ちりを一つに流れ合わさせ、土くれを固まらせることができるか。」

神様はまた、大自然の恵みについてヨブに問い質しました。前人未踏の大地にも雨を降らせ、若草を生やし、天地の法則を支配して雲霧を生じさせ、また土砂を固まらせることができるのか?と神様に問われても、いかに科学の発展した現代においても、この大自然を意のままに動かすことは人の力では到底手の及ばないことです。神様は、人の存在を超越して天地万物を支配されておられることを、私たちは謙虚に受け止めなければなりません。

http://bible.com/81/job.38.26-27,33,36-38.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/18

2017-06-18 05:15:32 | 今日の聖句
詩篇 68:5
「その聖なるすまいにおられる神はみなしごの父、やもめの保護者である。」

愛と憐れみに富む神様は、寄る辺ない者の父となり、社会から見放された立場の弱い者の保護者となってくださるお方です。この神様に心から信頼して明日を生きる力を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.68.5.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/06/17

2017-06-17 06:35:02 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 37:2-3, 5
「聞け、神の声のとどろきを、またその口から出るささやきを。 彼はこれを天が下に放ち、その光を地のすみずみまで至らせられる。

神はその驚くべき声をもって鳴り渡り、われわれの悟りえない大いなる事を行われる。」

エリフは神様の御声とその威光について詩的表現を用いて語り、主のなさる御業は人知の到底及ばないことを言い表しました。人間が神様のなさることをすべて理解することなどできないのですから、神様に刃向かうかのように「何故だ?」と問い詰めるのは実に愚かなことです。私たちは主のなさることに間違いはないと受け入れて従うことが大切です。

http://bible.com/81/job.37.2-3,5.ja1955

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ヨブ記 37:7, 13
「彼はすべての人の手を封じられる。これはすべての人にみわざを知らせるためである。

神がこれらをこさせるのは、懲らしめのため、あるいはその地のため、あるいはいつくしみのためである。」

人は自分の考えや欲望に従って、あれをしよう、これをしようと心に思い図りますが、主がその計画を封じられるとき、私たちは自分の思い通りにならないと怒ることなく、これは主の懲らしめ、あるいは主が最善を為してくださるためと受け止める必要があります。不完全な人間の計画にストップをかけることも、この世の秩序と平和を守られる神様の愛と真摯に受け止める心を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.37.7,13.ja1955

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ヨブ記 37:14, 19-20, 23-24
「ヨブよ、これを聞け、立って神のくすしきみわざを考えよ。

われわれが彼に言うべき事をわれわれに教えよ、われわれは暗くて、言葉をつらねることはできない。 わたしは語ることがあると彼に告げることができようか、人は滅ぼされることを望むであろうか。

全能者は-われわれはこれを見いだすことができない。彼は力と公義とにすぐれ、正義に満ちて、これを曲げることはない。 それゆえ、人々は彼を恐れる。彼はみずから賢いと思う者を顧みられない」。

私は正しいのです、神様に言いたいことがある、答えてください、と主張したヨブに、エリフは神様の奇しき御業に目を留めて考えよと答えました。どれほど自分の義を主張できたとしても神様の義に人間の義が勝ることなく、どれほど知恵に優れていたとしても神様の知恵に人の知識が優ることもなく、どれほど権力を手に入れたとしても神様の力に人の力が勝ることなどあり得ません。

「賢い」という言葉には、単に、頭がよい、知恵があるという意味だけでなく、畏れ多い、神様などに対する畏敬の念を持つ、尊い、といった意味もあるそうです。自己主張の激しく、自らを神様よりも賢い者とする思い上がった心は、決して主に喜ばれません。私たちは、神様に対抗して申し開きするような愚かな真似をしないよう自重する、慎み深い者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.37.14,19-20,23-24.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/17

2017-06-17 05:10:30 | 今日の聖句
イザヤ書 26:9
「わが魂は夜あなたを慕い、わがうちなる霊は、せつにあなたを求める。あなたのさばきが地に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶからである。」

悪が蔓延るこの世にあって、一人でも多くの者が神の義を学び、主に立ち帰ることを願って、私たちは義なる神様を心から慕い求めます。主よ、どうかあなたの正義をこの世に現し、悪を討ち滅ぼして真の平和を来らせてください。

http://bible.com/81/isa.26.9.ja1955
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