ヨブ記 26:1-4
『そこでヨブは答えて言った、 「あなたは力のない者をどれほど助けたかしれない。気力のない腕をどれほど救ったかしれない。 知恵のない者をどれほど教えたかしれない。悟りをどれほど多く示したかしれない。 あなたはだれの助けによって言葉をだしたのか。あなたから出たのはだれの霊なのか。」』
どんな人でも神様の御前に正しい人はいないと理由を付けて、この世の苦しみは罪の結果であるという主張を曲げなかったビルダデに対し、ヨブは、あなたの教えはどれほど人を助け慰めたかもしれないが、その教えはどこからきたものか?誰の霊によって語っているのか?と問いました。
私たちはどれほど優れた知恵の言葉を語る能力が与えられたとしても、限界のある人間の知識と経験の範囲内でしか語ることができません。すなわち神の真理と摂理は、人の知恵では到底語り尽くすことなどできないのです。ヨブが尋ね求めていたのは、この世の不条理を越えたところにある神様の御心だったのですが、ビルダデはヨブと共に神様の知恵と真理を尋ね求めようとはせず、結局は自分の固定観念にとらわれた知識を越えることができなかったのです。
私たちもまた、自分の考えや意志、古くからの慣習や人から伝え聞いた人生訓などに縛られて、今の自分を守るためにそこから抜け出すことができなくなってはいないでしょうか。自分にわからないことはわからないと素直に認め、神様の真理を真摯に求める者とならせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/job.26.1-4.ja1955
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ヨブ記 26:6-10
「神の前では陰府も裸である。滅びの穴もおおい隠すものはない。 彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる。 彼は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。 彼は月のおもてをおおい隠して、雲をその上にのべ、 水のおもてに円を描いて、光とやみとの境とされた。」
神様の御前には、陰府も、滅びの穴も隠されることなく、この世のすべてを神様はお見通しであるとヨブは答えました。そして7節からは、2,000年前の世界観あるいは自然科学では到底思いつきもしなかった地動説を示唆する詩的表現が綴られています。
古代世界の世界観では天動説、すなわち大地が固定されて、天は地の果てに立つ支柱に掛けられた天幕のようなものと思われていました。しかしヨブの語った言葉は、地が何もない宇宙空間の中に浮かんでいること、水が円を描いて光と闇の境界線となったとは地球が丸いと言っているものです。このような真理は当時の人が考えたものではなく、全宇宙を支配しておられる主から授けられた知恵に他なりません。
私たちは自分の目で見える範囲、あるいは今まで学び経験したことの中からしか物事を判断できません。ですから私たちの知恵には限界があることを素直に認めて、天地万物を統べ治められる全知全能の主に真理を尋ね求めさせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/job.26.6-10.ja1955
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ヨブ記 26:11-14
「彼が戒めると、天の柱は震い、かつ驚く。 彼はその力をもって海を静め、その知恵をもってラハブを打ち砕き、 その息をもって天を晴れわたらせ、その手をもって逃げるへびを突き通される。 見よ、これらはただ彼の道の端にすぎない。われわれが彼について聞く所はいかにかすかなささやきであろう。しかし、その力のとどろきに至っては、だれが悟ることができるか」。
ヨブは当時の世界観を打ち破る地動説や森羅万象の理(ことわり)を詩的表現で語りつつも、これらは神様の知恵のほんの一端に過ぎない枝葉末節のこと、かすかなささやきであるとして、神様の御手の業とその力の轟きを人が悟ることなど到底できないと告白しました。
私たち人間には、自分に理解できないこと、納得できないことには従えないという頑なな心があります。しかし私たちにできることはただ一つ、たとい今の自分には理由はわからなくとも、主よ、あなたの御心にお従いしますと、絶対的信頼と服従の心をもって、主の御手に身を委ねることです。
http://bible.com/81/job.26.11-14.ja1955
『そこでヨブは答えて言った、 「あなたは力のない者をどれほど助けたかしれない。気力のない腕をどれほど救ったかしれない。 知恵のない者をどれほど教えたかしれない。悟りをどれほど多く示したかしれない。 あなたはだれの助けによって言葉をだしたのか。あなたから出たのはだれの霊なのか。」』
どんな人でも神様の御前に正しい人はいないと理由を付けて、この世の苦しみは罪の結果であるという主張を曲げなかったビルダデに対し、ヨブは、あなたの教えはどれほど人を助け慰めたかもしれないが、その教えはどこからきたものか?誰の霊によって語っているのか?と問いました。
私たちはどれほど優れた知恵の言葉を語る能力が与えられたとしても、限界のある人間の知識と経験の範囲内でしか語ることができません。すなわち神の真理と摂理は、人の知恵では到底語り尽くすことなどできないのです。ヨブが尋ね求めていたのは、この世の不条理を越えたところにある神様の御心だったのですが、ビルダデはヨブと共に神様の知恵と真理を尋ね求めようとはせず、結局は自分の固定観念にとらわれた知識を越えることができなかったのです。
私たちもまた、自分の考えや意志、古くからの慣習や人から伝え聞いた人生訓などに縛られて、今の自分を守るためにそこから抜け出すことができなくなってはいないでしょうか。自分にわからないことはわからないと素直に認め、神様の真理を真摯に求める者とならせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/job.26.1-4.ja1955
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ヨブ記 26:6-10
「神の前では陰府も裸である。滅びの穴もおおい隠すものはない。 彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる。 彼は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。 彼は月のおもてをおおい隠して、雲をその上にのべ、 水のおもてに円を描いて、光とやみとの境とされた。」
神様の御前には、陰府も、滅びの穴も隠されることなく、この世のすべてを神様はお見通しであるとヨブは答えました。そして7節からは、2,000年前の世界観あるいは自然科学では到底思いつきもしなかった地動説を示唆する詩的表現が綴られています。
古代世界の世界観では天動説、すなわち大地が固定されて、天は地の果てに立つ支柱に掛けられた天幕のようなものと思われていました。しかしヨブの語った言葉は、地が何もない宇宙空間の中に浮かんでいること、水が円を描いて光と闇の境界線となったとは地球が丸いと言っているものです。このような真理は当時の人が考えたものではなく、全宇宙を支配しておられる主から授けられた知恵に他なりません。
私たちは自分の目で見える範囲、あるいは今まで学び経験したことの中からしか物事を判断できません。ですから私たちの知恵には限界があることを素直に認めて、天地万物を統べ治められる全知全能の主に真理を尋ね求めさせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/job.26.6-10.ja1955
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ヨブ記 26:11-14
「彼が戒めると、天の柱は震い、かつ驚く。 彼はその力をもって海を静め、その知恵をもってラハブを打ち砕き、 その息をもって天を晴れわたらせ、その手をもって逃げるへびを突き通される。 見よ、これらはただ彼の道の端にすぎない。われわれが彼について聞く所はいかにかすかなささやきであろう。しかし、その力のとどろきに至っては、だれが悟ることができるか」。
ヨブは当時の世界観を打ち破る地動説や森羅万象の理(ことわり)を詩的表現で語りつつも、これらは神様の知恵のほんの一端に過ぎない枝葉末節のこと、かすかなささやきであるとして、神様の御手の業とその力の轟きを人が悟ることなど到底できないと告白しました。
私たち人間には、自分に理解できないこと、納得できないことには従えないという頑なな心があります。しかし私たちにできることはただ一つ、たとい今の自分には理由はわからなくとも、主よ、あなたの御心にお従いしますと、絶対的信頼と服従の心をもって、主の御手に身を委ねることです。
http://bible.com/81/job.26.11-14.ja1955