伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/06/01

2017-06-01 07:58:28 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 21:1-4
『そこでヨブは答えて言った、 「あなたがたはとくと、わたしの言葉を聞き、これをもって、あなたがたの慰めとするがよい。 まずわたしをゆるして語らせなさい。わたしが語ったのち、あざけるのもよかろう。 わたしのつぶやきは人に対してであろうか。わたしはどうして、いらだたないでいられようか。」』

ヨブが苦しみに遭っているのは何か罪があるからだと断定する友人たちに対し、ヨブはもう一度自分の問いかけを聞いてほしい、それから嘲りなさいと反論しました。ヨブの問いかけは人に対してではなく、神様に対するものでした。私はあなた方の意見を聞きたいのではなく、神様に問いかけているのだというのです。しかしヨブの友人たちの言葉は神様の御心を尋ね求めるものではなく、人間的な因果応報の考えによる答えに終始していたため、ヨブは苛立ちを覚えたのです。

私たちが福音を語るとき、相手が欲してもいない自分の主義主張を押しつけるだけになってはならず、神様から授かった知恵の御言葉、福音のよき訪れだけを語り継がなければなりません。

http://bible.com/81/job.21.1-4.ja1955

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ヨブ記 21:6-9, 12-13
「わたしはこれを思うと恐ろしくなって、からだがしきりに震えわななく。 なにゆえ悪しき人が生きながらえ、老齢に達し、かつ力強くなるのか。 その子らは彼らの前に堅く立ち、その子孫もその目の前に堅く立つ。 その家は安らかで、恐れがなく、神のつえは彼らの上に臨むことがない。

彼らは手鼓と琴に合わせて歌い、笛の音によって楽しみ、 その日をさいわいに過ごし、安らかに陰府にくだる。」

ヨブの疑問は終始一貫して、この世では神様に忠実に聞き従う義人が苦しみに遭い、神様に逆らう悪人がどうして繁栄と平安の人生を謳歌しているのか、ということです。ヨブが苦しみを受けているのは罪を犯したからだと主張するヨブの友人たちに対して、現実を見てみなさい、あなたたちの言う悪人たちは苦しみに遭うことなくこんなに栄えているではないか、そのことを思うと私は震えわななくのだ、と言っているのです。

ヨブは友人たちに、悪人は裁かれ滅びるという因果応報の考え方の根幹が覆されている現実を突きつけたのです。ここに人の知恵の限界があります。だからこそヨブは神様に答えを聞きたいと言っているのです。私たちもまたこの世の不条理に、ヨブのように震えわななくような悔しさを感じることがあるでしょう。そのとき私たちはその訴えを人間的な解決にではなく、神様に答えを求めることが大切です。

http://bible.com/81/job.21.6-9,12-13.ja1955

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ヨブ記 21:14-17
「彼らは神に言う、『われわれを離れよ、われわれはあなたの道を知ることを好まない。 全能者は何者なので、われわれはこれに仕えねばならないのか。われわれはこれに祈っても、なんの益があるか』と。 見よ、彼らの繁栄は彼らの手にあるではないか。悪人の計りごとは、わたしの遠く及ぶ所でない。 悪人のともしびの消されること、幾たびあるか。その災の彼らの上に臨むこと、神がその怒りをもって苦しみを与えられること、幾たびあるか。」

この世の繁栄を謳歌する神をも恐れぬ悪人たちは、この世に神などいない、神の言葉に聞き従う必要もなく、自分たちの思うまま好きに生きればよいのだ、ほら見てみろ、私たちが何の害を受けているのだ、天罰など下ってはいないではないか、むしろお前たちよりも豊かで自由な暮らしを満喫して楽しく暮らしているではないかと主張して、神に忠実に仕える者をこの世の敗北者、力のない者だと決めつけてあざ笑います。それでも神様は彼らに何の裁きも下してはいないではないかと、ヨブはこの世の不条理を嘆いているのです。私たちもヨブの気持ちが痛いほどわかるのではないでしょうか。

しかしだからといって、神様に聞き従うことを捨ててはなりません。たとい現実は信仰の敗北のように見えても、私たちは世の終わりまで見通しているのではありません。この世の試練は、私たちの信仰が本物であるかを調べるバロメーターです。試練を通して信仰を更に練りきよめ、神様から賞賛される正真正銘の信仰者へと成長させていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.21.14-17.ja1955

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ヨブ記 21:19-22
「あなたがたは言う、『神は彼らの罪を積みたくわえて、その子らに報いられるのだ』と。どうかそれを彼ら自身に報いて、彼らにその罪を知らせられるように。 すなわち彼ら自身の目にその滅びを見させ、全能者の怒りを彼らに飲ませられるように。 その月の数のつきるとき、彼らはその後の家になんのかかわる所があろうか。 神は天にある者たちをさえ、さばかれるのに、だれが神に知識を教えることができようか。」

現実は悪人が裁きを受けることなく栄えているではないかと指摘するヨブに対して、友人たちは、彼らの存命中は裁きを受けなくても彼らの子孫が裁きを受けるだろうと答えるでしょう。しかしそれでは、この世の快楽を享受して先に死んだ者の勝ちではないか、死んだ者は裁きを受けずに済むではないかとヨブは追求します。そして、そんな人間的な考えに基づく遠い先の作り話を神様に押しつけるとは何事だというのです。

人は時折、聖書に記されていないことを勝手に想像して、これがきっと神様の御心に違いないと安易に人に教えてしまうことがあります。しかしそれこそ自分が神になり代わる罪です。ヨブの友人たちは、自分の考えをこれが神様の御心だとヨブを説き伏せようとしていたのです。私たちは、聖書に記されていないことについては勝手に想像せず正直にわからないと答え、共に神様の御心を尋ね求めるべきです。

http://bible.com/81/job.21.19-22.ja1955

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ヨブ記 21:27-34
「見よ、わたしはあなたがたの思いを知り、わたしを害しようとするたくらみを知る。 あなたがたは言う、『王侯の家はどこにあるか、悪人の住む天幕はどこにあるか』と。 あなたがたは道行く人々に問わなかったか、彼らの証言を受け入れないのか。 すなわち、災の日に悪人は免れ、激しい怒りの日に彼は救い出される。 だれが彼に向かって、その道を告げ知らせる者があるか、だれが彼のした事を彼に報いる者があるか。 彼はかかれて墓に行き、塚の上で見張りされ、 谷の土くれも彼には快く、すべての人はそのあとに従う。彼の前に行った者も数えきれない。 それで、あなたがたはどうしてむなしい事をもって、わたしを慰めようとするのか。あなたがたの答は偽り以外の何ものでもない」。

ヨブの結論は、因果応報の考え方を持ち出してヨブが苦しみに遭っているのは何か罪を犯したに違いないと決めつけた友人たちは、単にヨブを苦しみを増しているだけに過ぎないということです。

私たちはこの世の悩みに苦しんでいる人たちに対して、更に罪の重荷を背負わせて苦しみを増しているだけの伝道をしてはいないかと反省させられます。私たちが伝えるべきは、罪の指摘だけにとどまらず、キリストの十字架による救いの希望、神様との和解による平安、永遠のいのちをいただく喜び、福音のよき訪れであるべきです。そのためには人を裁く心を打ち捨て、神の愛によって満たされていなければなりません。

http://bible.com/81/job.21.27-34.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/01

2017-06-01 06:45:25 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 8:37
「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」

神様の絶大な愛の故に、この世のいかなる迫害も、試練も、死さえも、キリストの愛から私たちを引き離すことなどできません。十字架に表された神様の圧倒的な愛の御力により、キリストの愛の内に留まり続けさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.8.37.ja1955
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