伊藤ファミリーBLOG

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iRig Acoustic Stage 届きました

2017-06-10 12:33:07 | ギター・音楽関係
先日、音家でポチッとな、した iRig Acoustic Stage が届きました。

さっそく HD-28VR に取り付けてみましたが、音は L.R.Baggs の Lyric と比べても遜色なく、そこそこいい感じです。

便利だと思ったのがフィードバック・キャンセル機能。Lyric 直出しではハウリングしてしまう音量でも、ボタン1プッシュでハウリングを止めることができました。

逆に不便だと思ったのが、やはり取り付け作業。厚さ4mm まで装着可能とのことでしたが、意外とギターのサウンドホール周辺には表板の裏側に補強が入っていたりするので、HD-28VRではこんな位置になりました。初めてギターに装着する際は、あらかじめ取り付け位置をいろいろ試しておいた方が良さそうです。

さっそく午後、試しに実戦投入してみようかと目論んでいます。






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【COGHCC聖書通読】 2017/06/10

2017-06-10 09:20:33 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 30:1-2, 8-11, 13-14
「しかし今はわたしよりも年若い者が、かえってわたしをあざ笑う。彼らの父はわたしが卑しめて、群れの犬と一緒にさえしなかった者だ。 彼らの手の力からわたしは何を得るであろうか、彼らはその気力がすでに衰えた人々だ。

彼らは愚かな者の子、また卑しい者の子であって、国から追いだされた者だ。 それなのに、わたしは今彼らの歌となり、彼らの笑い草となった。 彼らはわたしをいとい、遠くわたしをはなれ、わたしの顔につばきすることも、ためらわない。 神がわたしの綱を解いて、わたしを卑しめられたので、彼らもわたしの前に慎みを捨てた。

彼らはわたしの道をこわし、わたしの災を促す。これをさし止める者はない。 彼らは広い破れ口からはいるように進みきたり、破壊の中をおし寄せる。」

かつては繁栄し人々の尊敬を集めていたヨブでしたが、今や卑しい愚か者の笑い種になっていると嘆きました。神様の教えを守り、忠実に生きてきたヨブにとって、これほどの屈辱はないと思えたことでしょう。しかしこのようなものの見方は高慢を引き起こしかねません。

今のヨブの姿は、十字架に掛かろうとするイエス様の御姿と重なります。人々のために尽くしてきたのに、嘲られ、唾を掛けられ、愛する弟子たちも離れ去ってしまいました。しかしイエス様は「父よ彼らをおゆるしください、彼らは自分が何をしているかわからずにいるのです」と、自分を愚弄している人々のために執り成して祈られました。ここに真の神の僕の姿があります。私たちもまた自分の過去の栄光を思い起こして今と比較するのではなく、たとい祝福が離れ去っても人々のために尽くされたイエス様の御姿に倣う者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.30.1-2,8-11,13-14.ja1955

*****

ヨブ記 30:15-17, 19-21
「恐ろしい事はわたしに臨み、わたしの誉は風のように吹き払われ、わたしの繁栄は雲のように消えうせた。 今は、わたしの魂はわたしの内にとけて流れ、悩みの日はわたしを捕えた。 夜はわたしの骨を激しく悩まし、わたしをかむ苦しみは、やむことがない。

神がわたしを泥の中に投げ入れられたので、わたしはちり灰のようになった。 わたしがあなたにむかって呼ばわっても、あなたは答えられない。わたしが立っていても、あなたは顧みられない。 あなたは変って、わたしに無情な者となり、み手の力をもってわたしを攻め悩まされる。」

恐ろしい肉体のとげをもって責められる悩みの日々を、ヨブは今や神様が自分を灰の中に投げ入れられたと表現し、私が呼ばわっても神様は答えてくださらず、顧みてくださらない無情な者となられたと告白しました。しかしヨブが語ったように、本当に神様は無情なお方でしょうか?

確かにヨブの身に降りかかった現状から見たらその通りかもしれませんが、これは神様の本質を見通した告白ではありません。神様は罪深い私たちを深く愛してくださり、憐れみと慈しみとをもって接してくださるお方ではなかったでしょうか? 私たちは自分の置かれている現状に惑わされて、神様に対してマイナスのイメージを抱いてはなりません。

http://bible.com/81/job.30.15-17,19-21.ja1955

*****

ヨブ記 30:23-27, 30-31
「わたしは知っている、あなたはわたしを死に帰らせ、すべての生き物の集まる家に帰らせられることを。 さりながら荒塚の中にある者は、手を伸べないであろうか、災の中にある者は助けを呼び求めないであろうか。 わたしは苦しい日を送る者のために泣かなかったか。わたしの魂は貧しい人のために悲しまなかったか。 しかしわたしが幸を望んだのに災が来た。光を待ち望んだのにやみが来た。 わたしのはらわたは沸きかえって、静まらない。悩みの日がわたしに近づいた。

わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち、わたしの骨は熱さによって燃え、 わたしの琴は悲しみの音となり、わたしの笛は泣く者の声となった。」

ヨブは自分が幸せを望んだのに災いが来た、光を待ち望んだのに闇が来た、だから私の心は煮えたぎって静まらないと、自分の正直な気持ちを告白しました。私たちもまた、ヨブと同じ気持ちになることもあるでしょう。しかし神の平安は、私たちが今置かれている状況の如何に依らず、たとい嵐のただ中にあっても心を満たすことのできるものです。私たちは神様の賜るまことの平安の意味を取り違えてはなりません。

http://bible.com/81/job.30.23-27,30-31.ja1955
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【今日の聖句】 2017/06/10

2017-06-10 05:15:23 | 今日の聖句
エレミヤ書 29:13-14a
「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会うと主は言われる。」

試練は好ましいものではありませんが、私たちにとってさいわいです。なぜなら試練のときこそ私たちは一心に主を尋ね求め、主と出会う経験を得ることができるからです。飢え乾くように熱心に主を求める者に出会ってくださる主の憐れみ深さに心から感謝いたします。

http://bible.com/81/jer.29.13-14.ja1955
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