佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

私の経歴と釣り歴・その2

2009-05-08 16:34:47 | 日々の思い
日本のコンサルタントは、今はどういう形になっているのか分かりませんが、当時、下水道の大きな仕事は、私が下請けを専門にしていたところと東京の設計事務所と、もう1社の日本の水道コンサルタントの3社がすべて牛耳っていたと聞いていました。

ごく最近でもその大手コンサルの一社が、兵庫県の仕事で自分のところが長く係ってきていたのを取れなかったので、顔を利かせて設備関係の設計に首を突っ込んできていました。いまだにそんなことが通るのか不思議です。こんな時には必ず担当役人が裏から顔を出しているようです。

ボヤキになりますが、下請けとうのは可愛そうなものです。民間会社の仕事なら仕方ないですが、役所仕事の下請けの場合は何とかならんものですかな。

ボヤキ出すと仕方ないですが、私のような小さな設計事務所は、仕事にかかりだすのが先で契約が後になるので、相方さんに言わせると、「もっとしっかり契約してから仕事をしたらどうや?」。変な業界やなと怒られています。

私の事務所は大阪の本町に近いところにあります。独立した時に応援してくれた友人の六車氏所有の4階建てビルの4階にいます。エレベーターが無いので階段で上がらなくてはならないので、いい運動になっています(?)。

私のこの事務所で、仲間(中学の同窓生)とマージャンを2週間ごとにやるのですが、皆さんに階段がしんどいと言われ、「今度はエレベーターのあるところに変わってや」と言われていますが、「運動やで」と笑って言うてます。

設計事務所も昔と違って各人の家で仕事を分担してできるようになりました。パソコンとメール・FAXで、事務所に集まらなくても仕事ができるようになり、私の事務所も広すぎて寂しくなりました。あと何年できるか分かりませんけど・・・。

誰か独立したい人がいたら机を貸してあげようと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釣り界・安全な釣りのために・8 

2009-05-07 13:18:40 | 釣り界の歴史
大阪市が作成した「港湾環境整備施設技術マニュアル」に基づく安全対策

*一般の人と釣人が立ち入る場合*

海面上(HWL)利用時に来襲が想定される波高の打ち上げ高さ以上かつ海面(LWL)までの高さが5m以下であるか。

上記のうち

イ.幅は4m以上あるかと・・
ロ.開放することは望ましくない、との2分

イの4m以上ある場合

ハ.天端から水中までがなだらかな斜面または階段になっているか
ニ.開放することは望ましくない

上記のうち、ハから

ホ.緩傾斜型又は階段型
ヘ.水際部分の落差が十分小さく、水深が浅いか

上記のうち、ホから

ト.ただし、波にさらわれる危険性がある場合は救命設備(救命浮環、梯子)を設置・・標識の設置 

上記のうち、ヘから2分

チ.標識の設置かつ転落防止柵(0.9~1.1m高)の設置または救命設備(救命浮環、梯子)を設置
  

*釣人または当該部分が釣り場であることを認識した人以外が立ち入らない場合*

安全対策として書かれているのを出来るだけ読めるように書いたつもりです。分かりにくい文章で申し訳ないのですが、市の書かれたものをそのまま文章にしたので、表にしても分かりにくいのです。

何を言わんとしているかというと、要するに転落防止柵(0.9~1.1m高)の設置
かつ救命設備(救命浮環、梯子)の設置が必要であること。
それでなければ釣人を入れなければ良いということが書かれています。
そして釣人が入るなら、釣人の方で柵や梯子などの工事費を負担しろと市側は言いたいのです。

対策経費としての工事費も書かれていますが、一部を抜粋しますと、
1.1mの柵と梯子の設置が26,912,000円/100mで1m当り2,691,200円という。
そして管理費が年間2,691,200円かかるそうです。

この時に柵が0.3mの分も書かれていますが30センチの柵などしたら、けつまずいて余計に危ないということが分からないのいでしょうか?、危険防止のための柵なら
もう少し考えたらいいのにと思うのですが、皆さんいかがですか?

私はいつも傍聴に行かせてもらっていますが、最近は報道の方も少なくなってきています。検討会の日にちが皆さんに伝わっていないのではと思わますが、毎月行われるのなら日程を全て決めて公表しないのだろうかと、市のやり方に疑問を感じます。

もう一つの疑問としまして、市の港湾局は検討会の意見を本気で最後に取り上げるのだろうかとも。委員さんの質疑もあまりないし、傍聴に行っていても、こんもんなのかなーと、私は感じています。

釣り関係の皆さん、大阪湾で釣りをしたい人々、大阪湾周辺で釣り関係の商売をしてる方、釣り道具屋さん、メーカーや問屋の方々、本気で取り組み、また聞く気があるなら会場に傍聴に行くべきではないでしょうか。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釣られに行ってきました 

2009-05-06 15:39:12 | 釣り
4日の昼から横田氏と勝浦の清丸渡船に行ってきました。

行きは雨がどうなのかなーと思いつつパソコンで天気を調べて、道路の状態も調べて出発。久しぶりの磯なのであれもこれもと色々考えて欲張りな行程。

昼から出て途中の岸和田の片岡エサ店でシラサエビを買い、向こうに着いたらエビまきでハネかメバルを狙うつもり。

串本で合流する北摂の藤村会長と友人を待つ間、漁港の波止に何か釣れてるかなと見に行きました。

波止の先端でお年寄りが3人アジ釣りをしていましたが、その1人がそのアジでアオリイカを釣ってました。2キロ近い胴長30センチの立派なものでした。

またアジも20センチを超えるようなものも釣られていました。カゴの下にサシエをつけて1匹ずつ確実に上げていました。「今晩のオカズや」と笑ってました。

その後の話

お年寄りの奥さんに私、「救命具は持ってきてないのですか」
その方「私は海女さんになろうと思ったくらい泳ぎは達者なんよ」
私「それでは服を着て泳いだことがありますか」
その方「いいや」
私「服を着たままで海に落ちると、水を吸って重くなって泳げないのですよ」
その方「そうやなー、ウェットスーツと違うものなー」
私「波止は落ちると上がれないからロープとか救命具は必要ですよ」
その方「ほんまやなー」

余計なお世話かもしれないが、アオリを釣ったおじいさんは腰の曲がった小さな方で、落ちると到底助からないと思います。でも釣りにはいつも来ているようで、波止の先端に三輪の自転車と道具が置いてありました。

さて、清丸渡船です。
朝、目覚めると雨がしとしと、風も少し強い感じ、5時に出ると言われて慌てて用意して出船。

風もだんだんきつくなって雨足も強くなっているから、船長に一番近い磯でええよといって、デンゴロウという磯に4人一緒にあげてもらいました。

磯に上がった時は風も雨もまだましだったが、仕掛けをして第1投する頃から雨も風もますます強くなり始めて、風向き側は釣りになりません。それでもしばらくコッパグレと遊んでいましたが、2時間ほどして私はギブアップ、岩陰に逃げ込みました。

そして横田氏と2人で朝の弁当船で引き上げました。藤村氏と吉田氏は12時までがんばって帰ってきました。

釣果、吉田氏がエギでアオリを3杯、串本で見たのよりデカイ感じの2キロ強のアオリと1キロクラスと少し小さいもの。そして藤村氏は40センチぐらいのイガミを磯の上で落としたとのこと。

横田氏は、手の平クラスのグレ3匹。私はボウズでしたが、前夜、波止でシラサエビを餌にメバル2匹と言う貧果。

磯の上にいたのは、たった2時間半。久し振りの釣りなのに悪い日に行ったもんです。雨男は誰やと言い合いしながら帰ってきました。

 久々の磯で 闘志も消え果てて 岩陰求め竿を置くなり  磯蛍
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釣りに行ってきます

2009-05-04 11:52:29 | 日々の思い
大型連休というのに、ここのところしばらく釣りにも行ってない。
先日、相棒の一人から電話が入った。釣りの真っ最中だという。「何で電話くれへんねん」と話していると、僕が電話する時に限ってアタリがあるという。
そしてぼやいた。

「この竿(新しく出たダイワのハネの竿)釣れへんから返品や」と言う。「腕が悪いんや」と言うと「師匠ばっかり釣れる本人専用の竿や」という返事。

並んで釣ってるのに今中氏一人が釣って他には誰も釣れないという。それでそんな憎まれ口を言ってるようであった。

今中氏が提唱してできたこの竿、フィッシングショーで展示されたのがやっと出たという。仲間が20人ほど予約して買ったが私はまだ手にしてなかったので、昨日、上島釣り具に買いに行った。

今日、横田氏と勝浦に久しぶりに釣りに行くために、試しに持って行くことにした。その「釣れない」とボヤく本人、谷本御大も昨日は釣ったという。さぞかし「エエ竿や」と言ってることでしょう。

僕は昨日の昼から、幼馴染に誘われて精華小劇場まで出かけた。難波の高島屋の前を入ってすぐのところにある、元小学校跡を利用した小劇場である。

なにしに?、もちろん劇を見に。

その友人の姉の娘さんと、その子供さんが出演、制作されている劇団で、無名劇団代6回公演との事で、私には何の知識もないのだが、どんなものかと興味があり、見に行った。

演目は「プラズマ」。第18回テアトル新人戯曲賞佳作賞を受賞された作品とのこと。

中央の円形の舞台というか床にカーペットを円形に敷いた所が舞台で、それを中心に4辺に階段状の客席がある。

私は芝居というのは正面に舞台があり暗転しながら話が進んでいくものと思っていたので、どんな形で舞台そのものが構成されるのかと始まる前から面食らっていた。

始まりの挨拶にで演出家の方が4辺の方に向かってくるくると回りながら挨拶をされるのを見て、ここがそのままの舞台なんやと解った。

出演者は6人で、それを支えるスタッフは演出家の人に照明係、音響係、制作係、宣伝美術、書画、音楽の係に、監督さんで成り立っている。

1時間半の公演だったが、これをたった6人で演じている。芝居自体、私は見るのが初めてで、はっきり言って分かりませんでしたが、普段映画などで見る俳優さんとは、少し違う。

言ったら叱られるかもしれないが、映画でいう俳優さんよりも遥かに大変だろうと思った。

なぜなら、出ずっぱりの上、途中でカットもないし最初から最後までの文句を全て頭の中に入れておかなければならないので、ダイコン役者では務まらないでしょう。

出演の皆さんが若い方々で、大変熱の入った演技は芝居が分からない私にもそれは感じられた。そして見に来ている方々の真剣なまなざし。若い人も多くいましたが、いま釣りの世界でやかましく言われているマナーの部分でも大変な違いを感じました。

この中から未来の映画スターが出たら良いのになぁと思いながら帰宅。

明日から私の連休が始まる。
釣れたらいいのになぁ。松永夫妻のように男女群島に行くのと違うけど、もう一度機会があれば行ってイシダイ釣りしてみたいよー。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の経歴と釣り歴・その1

2009-05-02 12:35:32 | 釣り
自分自身のことをあまり書いてないので、ここらで私の仕事と釣り歴を振り返り、何回かに分けて書いてみます。

私は大阪の下町、阿倍野区で産まれました。お世辞にもガラが良いとは言えない所でして、すぐ横に遊郭で有名な飛田、その隣には新世界と通天閣があります。7人兄弟の末っ子でした。

労務者で有名な霞町もその近くです。この町で小学校、中学校、高等学校と、歩いて行ける学校ばかりに通いました。

高校の建築科を卒業して工務店に勤め、大学に行きたくなり1年勉強して大阪の工大に入ったのですが、2年目に学校検診で肺結核と診断されて隔離されました。

3年の闘病生活からやっと開放されて、3ヶ所の設計事務所を渡り歩いた末に独立しました。そして現在も細々ながら現役にて設計の仕事をしています。

事務所は、日本の3大コンサルタントの一つである日本上下水道コンサルタントの下請け専門でスタートしました(1969年開設)。

この頃、当時の関西支店長には釣りをすることもあってよく可愛がってもらいました。当時は下水がたいへん不備な都市が大半で、国に下水道センターができたところでした。

そのためにコンサルタントは大変忙しく、大手のコンサルは大変儲けていました。機械メーカー等と繋がっていると会社も多くあったようで、当時、年間3回もボーナスがあったようで、羨ましく思っていました。

私も下請けとしてこの30年間に、金沢の鶴来ポンプ場、大分の大型ポンプ場、佐賀県企業局のポンプ場、近いところでは大阪市の津守ポンプ場などに7年ぐらい係っていました。

また、宝塚の惣川ポンプ場、洲本市の上水道管理棟、四国高松の下水処理場に、遥か南の石垣島の処理場とか、近畿、中国、四国、九州まで50ヶ所以上の建築と土木の実施設計をしてきました。

大阪を起点に飛び回っていてハードなスケジュールでしたが、若かったからこそ、ここまでできたと思います。あまり儲かることもない下請けですが、楽しいこともありました。

ある日、広島から東京行きの飛行機の中で、当時大ファンであった巨人軍の長島さんの横に座ることができ、色々と話を聞かせてもらったうえにサインまでしていただいたのを今も大事に残しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする