佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

私の経歴と釣り歴・その1

2009-05-02 12:35:32 | 釣り
自分自身のことをあまり書いてないので、ここらで私の仕事と釣り歴を振り返り、何回かに分けて書いてみます。

私は大阪の下町、阿倍野区で産まれました。お世辞にもガラが良いとは言えない所でして、すぐ横に遊郭で有名な飛田、その隣には新世界と通天閣があります。7人兄弟の末っ子でした。

労務者で有名な霞町もその近くです。この町で小学校、中学校、高等学校と、歩いて行ける学校ばかりに通いました。

高校の建築科を卒業して工務店に勤め、大学に行きたくなり1年勉強して大阪の工大に入ったのですが、2年目に学校検診で肺結核と診断されて隔離されました。

3年の闘病生活からやっと開放されて、3ヶ所の設計事務所を渡り歩いた末に独立しました。そして現在も細々ながら現役にて設計の仕事をしています。

事務所は、日本の3大コンサルタントの一つである日本上下水道コンサルタントの下請け専門でスタートしました(1969年開設)。

この頃、当時の関西支店長には釣りをすることもあってよく可愛がってもらいました。当時は下水がたいへん不備な都市が大半で、国に下水道センターができたところでした。

そのためにコンサルタントは大変忙しく、大手のコンサルは大変儲けていました。機械メーカー等と繋がっていると会社も多くあったようで、当時、年間3回もボーナスがあったようで、羨ましく思っていました。

私も下請けとしてこの30年間に、金沢の鶴来ポンプ場、大分の大型ポンプ場、佐賀県企業局のポンプ場、近いところでは大阪市の津守ポンプ場などに7年ぐらい係っていました。

また、宝塚の惣川ポンプ場、洲本市の上水道管理棟、四国高松の下水処理場に、遥か南の石垣島の処理場とか、近畿、中国、四国、九州まで50ヶ所以上の建築と土木の実施設計をしてきました。

大阪を起点に飛び回っていてハードなスケジュールでしたが、若かったからこそ、ここまでできたと思います。あまり儲かることもない下請けですが、楽しいこともありました。

ある日、広島から東京行きの飛行機の中で、当時大ファンであった巨人軍の長島さんの横に座ることができ、色々と話を聞かせてもらったうえにサインまでしていただいたのを今も大事に残しています。
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