皆さんそれぞれに宝物をお持ちでしょう。
と言ってもそんなに高級なものでもないが自分にとっては大事にしてきたものというのはあると思う。
外にいけない日々が続くと、家の中での整理が次々とできてきます、断捨離という言葉も生まれてきている、
その中で今までしまっていたものが出てくる、何となく懐かしいものも・・・
それを見てもらおかなと、少し長くなりますが読んでください。
「トンボ玉」聞きなれた言葉やなと思う方は見たことがある方でしょう。
私が設計事務所として独立したての頃に友人の藤村氏のお父さんを紹介してもらったそして天王寺に工房を設計させてもらった、(今はもう立ち退かれてないが)
その方は大昔のトンボ玉に魅せられて制作に今から80年ほど前から一生をささげられた偉いお父さんでした。その友人と孫さんがお父さんが亡くなられた後を
継いでおられてます。このお父さんの作品は本にも載せられていますが、
この時の小桜トンボやフエニキアの男性頭部型ペンダント式トンボ玉などはもう作る方はいないのでは・・・
「トンボ玉(蜻蛉玉)」
トンボ玉・・目もあやな美しい模様と色彩をもった球の材質は、陶器の釉薬、
七宝焼の薬と同様硝子質で、その色は各種金属の酸化物をまぜて発色させます。
したがってその色は不変であります、模様の深さは5ミリ位、浅いものでも
1ミリ嵌入しています、つまり象嵌細工となっています。
故に砥石で摺った位では消えません。
近頃ガラス玉にエナメルで模様を描いた玉や陶器の玉に上絵付けをした玉を
見かけますが、似ても非なるものです。
トンボ玉は約3000年余り以前、エジプトで初めて作られたといわれていますが
近頃の研究ではメソポタミヤの方が先だとも言われています、いずれにしても
地中海東部の地方で初めて作られました。
その後中東、西域を通って漢の少し前中国に入り朝鮮半島を経て我が国に伝わりました。
その遺物は漢,新羅およびわがくにの古墳からも出土して博物館で見ることができます。
正倉院にも多くのトンボ玉を所蔵しています、しかし上代のトンボ玉やガラス製造の
技術はやがて絶えてしまい世人に忘れられてしまいました。
近世南蛮人の渡来と共にトンボ玉は再び我が国にもたらされました、当時の大名,
有徳人はきそって求め愛玩しました「古渡極品」は土をもってつくねたるが如しと
後の人が評した古渡トンボ玉はこの頃のものです、南蛮人の後から来た紅毛人もまた
トンボ玉をもってきました。
そしてトンボ玉を造る技術も伝えられ長崎・堺・京・大阪・江戸でも作られるように
なりました「装剣奇賞」「万金産業袋」「茶家酔古集」などの書物にもトンボ玉に
関する記述がみられるほど世人にもてはやされました。
その後、大正末期までは主として煙草入・印籠・堤藍等の結〆玉として、または、かんざし
根掛等の髪飾として、あるいは組紐などにつけた装飾品として愛用されました。
1978年 小桜トンボの説明書 藤村琢磨工房主
藤村英雄敬白