去る3月27日(平成26年)大阪の人形浄瑠璃文楽の本拠地「国立文楽劇場」で開場30周年の記念の集いが開かれ、4月の文楽公演が大阪での引退公演となる人間国宝、竹本住大夫さんらの出演で、おめでたい「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」が披露されました。この報道を新聞で見て舞台で舞う人形の烏帽子に目が点になってしまいました。
サンバソウ
遠い昔のある日、紀東のとあるリアス式海岸のおくまった漁港地波止のチョイ釣りで、釣れたのは縞目も鮮やかなイシダイの幼魚。宿の年老いたあるじが「可愛らしいサンバソウじゃ」と。小さいけどイシダイに違いない、と魚拓に採って「あれ、めでたや、三番叟(さんばそう)」と筆で賛を入れてくれました。
この時、僕ははじめて「さんばそう」の異名と出会ったのです。なんでも三番叟はこの地の「ご祝儀舞い」で土の中から出る悪霊を
大地に踏み鎮める足拍子に特徴があり、稲穂を形取った鈴を振り農作物の豊作を祈願するもの、とうんちくを語ってくれました。
その時かぶる烏帽子の模様が、小型イシダイの横縞模様そっくりなのでずいぶん昔からこの名があるそうです。
釣り宿のあるじは「昔、正月には家々の門の前へ踊りにきたものよ」と懐かしそうに話していました。
お正月に門口で舞った「ご祝儀舞い」は単独の踊りで、先に述べたように「五穀豊穣」を寿ぎ「豊作祈願」を意図するところが大きいようにうかがえ
「重厚」な舞い、といえそうな気がします。これが人形浄瑠璃に取り入れられ、より洗練された祝言の舞いとして発展、
より一層「軽快」なものになったのではないでしょうか。
人形浄瑠璃は、一体の人形を主遣いほか2人の黒衣(くろご)による三人遣いなので、二体の人形の烏帽子の縞模様が、
六人の遣い手の舞台で軽快に動き回るさまは、さながら縞模様も鮮やかなイシダイの幼魚が海中を乱舞する有様を再現したような錯覚に
とらわれてしまうではありませんか。
この錯覚を感じたことによって、何百年前の人と、僕は「魚の造物主の意匠」から「烏帽子の人為的デザイン」を連想、「共有」したことになるのです。
それで思い出しましたが、ハマチを北陸方面では「ふくらぎ」と呼びます。ふくらぎとは「ふくらはぎ」の方言です。
この場合のふくらはぎは、申すべくまでもなく若い女性のそれです。
いまでこそ若い女性のおみ足(ひざ下)なんて珍しくも何ともありませんが、見る機会のなかった往時の男性に、
着物の裳裾からチラリ覗き見たむっちりと白いふくらはぎの、なんと刺激的で、魅力的で…それこそどれだけのときめきをあたえたことでしょうか。
想像できますね。つまり、このハマチの地方名から、大昔の、愛すべき、むくつけき男達のやるせない「ときめき」さえも共有できるわけです。
共有という精神活動のためにも、魚の地方名、方言は温存すべきだし、後世に伝え残すべき使命が、
われわれ釣り人にはあるように思うのですがいかがでしょう。