昭和35年(1960年)にリターンマッチを
4月28日、私はネオンのきらめく大阪をあとにした。
行き先は、魚の宝庫、宇治群島、丸1年ぶりの遠征行である。
今年は少し思うところあって、この日まで、まだ1度も愛竿を握っていない。
だからリュックを背負い、竿束を担いで家を出たとたん、私の耳は潮騒の音を聞き、私の鼻は
磯の香を嗅ぎ、私の心は、遥かなる宇治群島の蒼い空と海の間に飛んでいた。
昨年、僅か9枚のイシダイを獲るのに14枚もバラシタ宇治群島、呆れた馬鹿力で、サンザンに
私をホンロウしたそこのイシダイども、今度こそは釣って、釣ってつりまくってやるゾ、と
私は、超満員の夜行列車の中でひとり胸を躍らせていた。
ダイナマイト
私がチャーターしたのは7トン、焼玉エンジンの単気筒、その上舵がちょっとおかしいという、
全くひどい老朽船、これで東支那海の荒波を乗り切るのかと思うと、如何に暢気者の私でも、
流石に心細かったが、これより他に適当なのがないというのであってみれば、どうも仕様がない。
私は運を天に任せることにした。
5月1日、私は宇治群島で目が覚めた。紺碧の空、・・・。
夢にまで見た宇治群島が、私の目の前にあった。しかし、私のそんな陶酔した充足感も、
すぐケシ飛んでしまった、腹の底まで響くような爆発音が、大海の静寂を引き裂いて、
島の向こうから伝わってきたからだ。
「何だあれは?」
「ダイナマイトです」「何をしているんだ、工事かね?」
「魚(いよ)の密猟です」
私はひどいことをするもんだ、と思った、
船長の話によると、五島列島や沖縄方面からやって来て、ごっそり獲っていくらしい、
グレなど一船で4~5千貫も持って帰るらしい。
よく聞くと、爆発音には2種類ある。
“ドカン”と鳴るのが、「上打ち」でドドッと響くのが「底打ち」である。
上物と底物を狙うわけだが浮き上がって来て獲りこめるのは、せいぜい上物で20パーセント
底物で10パーセント止りというから、大半は無 意味に殺されて、底に沈んだり、潮に流されたりするわけだ、なんともはや、乱暴な殺戮ではないか、私はひどく憂鬱になった。磯に上がって竿を出したが、そのせいか、あたりがあっても食い込みが極度に悪い。
フジツボをジヤンジヤンかぶせてみても、余程おびえているのか、更に効果がない。
送りこんで漸く食いこむ始末だ。
放り込むなり、いながらに竿が舞い込んだ去年とはうん雲泥のちがいである。
最果ての南冥の地で、このザマとは、釣りもいよいよセチ辛くなったものだ。