佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

釣り界・時代の流れ・大阪府とのつながり

2009-03-28 17:50:25 | 釣り界の歴史
釣人と役所とのつながりも少し話しておきます。

大阪府釣り団体協議会は(社)全日本釣り団体協議会に所属していることは前に書かせてもらいましたが、大阪府との関係は別にあります。

大阪府の知事さんから辞令を受けての仕事で、海水面と内水面とに分かれて協議しています。私は平成17年度から海水面協議に出させていただいていますが、本年度からは全関西の松本氏にお願いして私は内水面を担当いたします。

海水面の正式な名前は「大阪府海面利用協議会」と言う名前で、1年間に1~2度開催されていて、委員は次の方々です。(敬称略)

堺市浜寺漁業協同組合長/宮田鐵男
北中通漁業協同組合長/松林 昇
下荘漁業協同組合長/近藤美智明
堺市漁業協同組合連合会会長/高田利夫
田尻漁業協同組合長/西浦榮一
小島漁業協同組合長/山原 學
日本釣り振興会近畿地区支部事務局長/稲田 茂
(財)大阪府マリーナ協会相談役/鹿島郁夫
関西マリン事業協会会長/角野 章
大阪府漁船保険組合専務理事/佐々木忠義
関西空港海上保安航空基地警備救難課長・田村安正
大阪海上保安監部航行安全課長/倉田雄二
大阪海上保安監部警備救難課長/天辰弘二
総合地球環境学研究所教授/秋道智彌

以上の方々と大阪府水産課の方々とで協議しました。

協議内容は

1.海は誰のもの
1.関西国際空港周辺海域の採補禁止の拡大について
1.漁業権免許の更新について
その他遊漁船の登録状況、救命具の着用について等々。

内水面について

正式には「大阪府内水面漁場管理委員会」と言う名前で知事の辞令交付を受けて就任します。私は昨年末に就任しました(平成20年12月2日、知事室にて)。
今回、受けた第18期の委員は次の8名です。

佐々木忠義(学識経験委員)元大阪府環境農林水産部水産課参事
長田芳和(学識経験委員)大阪教育大学教育学部教授
森下雅子(学識経験委員)社団法人淡水生物研究所、専務理事
奥 正雄(漁業者代表)芥川漁業協同組合代表理事組合長
谷川幸弘(漁業者代表)能勢町漁業協同組合代表理事組合長
西田忠雄(漁業者代表)大阪府淡水漁業協同組合理事
澤田守弘(遊漁者代表)財団法人日本釣振興会大阪府支部理事
佐藤 功(遊漁者代表)大阪府釣り団体協議会会長

協議内容についてまず、12月2日に委員や大阪府の担当される方々の紹介があり、会長選出から始まり、佐々木氏が会長に選出されました。

平成21年1月29日(ホテルプリムローズ大阪にて)
1.水生生物センターの業務内容について
1.特定疫病SVC(コイ春ウイルス血症)について
1.カワウ問題について

平成21年3月23日(大阪府公館 大サロン)
1.コイヘルペス病のまん延防止のための委員会指示について
1.平成21年度アユ漁業権河川の増殖目標について
1.カワウ問題について
1.特定疫病SVC(コイ春ウイルス血症)について

「内水面漁業の40年を振り返って」と題し水産生物センター長の宮下敏夫氏の研究結果を交えて。
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石鯛に魅せられて

2009-03-28 11:57:07 | 釣り
釣りにのめり込んのはいつの頃からだろうか・・・。
今ではドブ川のような大阪・土佐堀川沿いに姉の家があり、この姉の家に遊びに行った時に、この川でドンコを掬った思い出がある。

今のように護岸壁で囲まれてなく、砂地の川原があった。終戦直後のことでした。

そして高校1年の頃に、大和川でハゼをバケツいっぱいに釣って帰って母にしかられた事も今は遠い思い出である。

石鯛釣りというものにのめり込んだのは、仕事の帰りに立ち寄った釣具店で、壁に飾られてあった石鯛の魚拓を見てからだったと思う。

この釣具店(庄内ダイエー内の今は無き坂本釣り具店)が、いま私が所属している北摂フィッシングクラブの発祥地でした。

当時、石鯛1匹釣るのに百万円かかるというような話でした。何で魚1匹釣るのにそんなにかかるねん?と思い、若さゆえの反骨心で道具をそろえた。

そして磯釣りのイロハも知らないのに底物釣りとやらを始めてしまった。

それから釣りたい一心でいろんなガセネタで各地を釣り歩くことになった。このクラブ自体が底物のクラブで、当時70人以上の会員さんが重たい底物竿を担いで釣りに行っていました。

当時の底物の竿といったら、今のとは比べ物にならないぐらいごつくて重たくて、
頑丈一点張りのものでした。今も自宅にあるが、子供がぶら下がっても曲がらないぐらいの竿で、リールシートもステンレスで作られている。

その当時、クラブとして南紀の串本大島と四国の牟岐大島の2ケ所を本拠地として釣り歩いていました。

今考えたら、いくらでも行くところがあるのに、その2ヶ所しか知らなかったので
例会と言えばこのどちらかでした。

「石鯛釣りの魅力は何?」と聞かれたら、なんと答えたら一番納得してもらえるだろうか。荒磯の王者としての貫禄はもちろんのこと、精悍な面構えとあのものすごいパワーにあるのではないだろうか。

60キロの人間が60センチの魚に振り回されるという現実、まして70センチを越えるイシダイとは力と力の対決が待っている。それを制したあとの感動は言葉で表すことができないものであろう。

私は初めてイシダイを釣った人と何度か握手しておめでとうを言ってきましたが、皆さん興奮して手が震えていますし、飛び上がって喜びを表す人もいました。

私の友人に、イシダイ釣り専門の店を開いている名人・木村俊一氏がいますが、彼が日本一のイシダイを挙げたときのことを聞くと「意外に簡単に上がったよ」とのたまうのです。
でも、私の体験から言うとそんなにたやすいものではない。その対決に敗れた時のショックは未だに心に残っている。

南紀の口和深の磯で、会友と2人並んで釣っている時に、私の竿にアタリが出た。同時に横の釣友にもアタリが出たようで、彼が大きく竿を煽った。その瞬間、私の竿が一気に舞い込んだ。

少し高場の磯で足元が不安定で滑りそうになったが、どうにか持ちこたえてやり取りをはじめた。がま石MH5.4の竿が見事な満月を描いている。

その竿をグイグイと引っ張っていく魚、全体重をかけて、ナニクソとばかりに
リールを巻き上げていった。そしてお互いに最後の力をふりしぼっての勝負をかけた。

そしてフィニッシュと思った瞬間、竿先が軽くなった。バレタか?。でも、竿先の糸は岩肌にへばりついているので、よし勝った!と思った。そして仲間がワイヤーを持って引き上げたら、イシダイは付いていなかった。

先にはケプラーの切れ端がぶら下がっていたのである、がっくりと磯にへたり込んだ私に、横にいた友がひと言「デカかったなぁ」と。

夢にまで見るような70センチを超える大物だったのだろうか。過日、同じ磯で50センチを超えるイシダイを上げた時とは比較にならない引きの強さだった。

もう年齢的には石鯛と対戦するのは限界に来ているのだろうかと思いながらも、まだまだ挑戦したいと思っています。

全関西磯連の吉野副会長からは、「何いうてんねん、まだまだやれる、一緒に行こう!」と誘ってくれるが、迷惑をかけるようになったら退陣せなあかんと考えています。
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