佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

釣り界の開拓者・忘れてならぬ恩人

2009-03-16 21:03:05 | 釣り界の歴史
昭和58年、汚くなった大阪湾を復活させチヌを増やすことを試みた2人の方がおられます。大阪湾は、昔は「茅渟の海」と呼ばれたほどきれいな海だったのです。

ウキメーカーのヒロミ産業の故・広瀬正巳社長と、全関西の副会長で泉佐野磯釣クラブ会長の故・河崎教秀さんが資金を出し合い、チヌの稚魚放流を始めました。

その後、大阪府釣り団体協議会と日本釣り振興会に引き継がれ、現在もチヌの稚魚放流は続けられております。今は50センチを超えるチヌが数多く釣れるようになってきました。

大阪府釣り団体協議会では、一年を通じてどれだけ大きな魚が大阪湾で釣れているかという証明として魚拓大会を行っています。

チヌの部門では60センチを超えるものも珍しくなくなってきました。ちなみにスズキの部門では1メーター近いものが釣れています。

この魚拓大会は、大阪府民釣り大会として例年行われているフイッシングショーの会場で、優勝した釣り人に知事からの表彰状をいただいています。

この稚魚放流は昨年で26回目を数えました。偉大なお二人の方のお陰だと思っています。

毎年フイッシングショーの会場で、大阪府釣り団体協議会のメンバーが、この放流のための募金をお願いしています。

こうして、チヌの放流を続けてきたからこそ、50センチを超えるサイズがよく釣れるようになってきたのです。チヌの放流はもう要らないと言う声さえ聞こえてきそうです。

私たちの大阪府釣り団体協議会に所属している茅渟関西連合の落とし込み大会には、遠く東京や名古屋からの参加者もいるというぐらい、大阪湾のチヌ釣りは有名になりました。

これだけの人が来る大阪湾を大阪市は釣り禁止にしょうとしています。
これは、ある釣り人が起こした事故のためなのですが、知らない方のために簡単に説明します。

平成19年の夏、北港の舞州で釣りをしていた京都の方が転落され、溺れて亡くなり、その方の両親が大阪市と大阪府と渡船屋の三者を裁判として訴えたのです。

それぞれの管理責任を問う形の裁判で、三者に対して500万円の請求をしましたが、あまりに低い金額なので、嫌がらせなのかという意見もありました。

他方、そのぐらいの金額なら出しても良いから告訴を取り下げてれないかとの意見もあり。大阪市からは、振り上げた手を下ろしてほしいという声もありました。

現在は、5人(注1)の大阪市が選んだ「港湾施設の立入禁止区域の指定に係る検討会・委員」のメンバーによって、7月まで検討し、そこで得た結論により決定するというところまで話が進んでいます。

ただ、このメンバーの中には渡船屋、釣り具業者、エサ屋など、生活に密着した人が入っておらず、釣り人代表が1人いるだけです。このような人選を平気でしている大阪市では、公平な意見を聞くことはできないでしょう。

私たち釣り人は、大阪市には裁判で勝ってもらいたいと思っていますし、釣り人として大阪市側に立って証言もしたく思っています。

それは、釣り人一人一人が自己責任の上で釣りをするという原則からであることと、ゴミを出さずにいつまでも美しい海を守りたいからです。、

※注1、(5人のメンバー)

 弁護士(万里法律事務所)/浦田満理(女)
 大阪港運協会 専務理事/加藤邦夫(男)
 大阪市地域女性団体協議会副会長/中野正子(女)
 大阪大学大学院高等司法研究科教授/野呂 充(男)
 全日本釣り団体協議会専務理事/来田仁成(男)
コメント
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