<関西の磯釣開拓者と開拓史>の中で書きました故三木会長の「釣り界百年の計」についての記事をここに抜粋して書かせてもらいます、釣連盟の行く末を案じて書かれた亡くなられる寸前の遺稿とも思えるものです。
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「波」 釣り界百年の計 昭和52年6月1日「いそつり」326号
過去6年間にわたる日釣振、全釣協の活動を見るに、何等めざましい成果を挙げ得なかったと言ってよいだろう。
そこで、この6年間の実績をふまえて、内水面遊魚の盛んな関東の諸君に内水面をご担当いただき、海面遊魚の盛んな関西に於いて、最も困難な海釣りルールつくりに全力を傾注することが急務であると私は信じている。
従って、現在ある2つの公益法人は合流一体となり内水面遊魚の為に精力を疑集して努力して行くのがよいだろう。
一方、海区に関しては、これまでそのルールがないだけに漁業者との魚場利用の調整について困難なる局面が各地で惹起している実情にあるので、今後これらを暫時改善、克服することが必要である。
従って全関西磯釣連盟はこの機会に、水産庁を主管とする公益法人に組織内容を移行して、今後に備えたいと思うので先般来、水産庁の了承を得てすべて出願の準備を終了した。
もとよりこの問題が安易に我々の希望にそうものとは思わないが、過去十年間
全関西磯釣連盟は必死にこれらの困難な問題にとりくんできたのである。
3万人会員諸君は、このことは百も承知だと思っていた。ところが、これまで何十回もの会合で事細かにその主旨説明をしてきたにもかかわらず一知半解の諸君が大部分と知って私は愕然としている。
今後百年の釣り界のために、全関西磯釣連盟のために、願わくば理解していただきたいとおもう。
このように連盟法人化の時期が迫っているので今後、これらの諸準備のためしばしば会合がひらかれるので各会代表者はご出席いただいて事実を知っていただきたい。
十年の歳月をかけて進めてきたこの道を今更連盟は引き返すわけには行かない。
只管(ひたすら)最終目的に向かって自主独往するほかない。
釣り界全般の利益の為に・・・・
この間、二、三の誠に遺憾な言動をする人達が連盟内部、すなわち我々の仲間から輩出した、ということは連盟二十年の歴史の中にかってなかったことで連盟は全くおどろいている。
これらの人々に対しては連盟の総意に基づいて重大なる反省をしていただかねばならないだろう。今後の集会に於いて、この件も当然重要な審議事項としてご協議して行きたい。
全関西磯釣連盟 会長 三木武夫
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「三木会長がこの以前に藤澤氏と中西氏に連盟のことをお願いしていたが、そのお二人が改革に走られたので思いが違っていたようだ」
三木会長はこの記事の書かれた後の6月11日になくなられました。
下記に、三木会長の絶筆となった文を「釣り三昧」より書かせていただきます。
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はじめに
この本は、長かった人生の半分を、釣に呆けていた男の日記です。しかし、この男は、それを少しも後悔していません。
それどころか、あらかた人生の終わりが近づいた今になっても、奔放で自信に満ちていた半生を思い返して、得意気に“オレはオレの人生で、しなければならないことは、総べてやった”と豪語しています。
たかが“釣りじゃないか”などと言わないで、まあ読んでください。
1977年4月 著者
おわりに
十年前「釣人釣魚」を出した時に、挿し絵を書いてくれた佐々木壮六君が、今度もわざわざ東京から駆けつけて挿し絵から装丁までやってくれた。
十年という歳月はご覧のとおり、一段と、その絵筆を枯淡にしていた。うれしいことだ。前衛書家長浜光先生の雄渾な題字も頂いて花を添えた。
また、各章の区切りにあるカットがわりの俳句は、長男孝の作品。
1月10日、畏友新谷博士がやってきて「癌だよ、入院しよう」と言った。
「そうだろうな」と言って梅田に近い渡辺病院に転がり込んだきり、
もう4カ月になる。
花が咲いた、花が散った。胸のモヤモヤは一向に減りそうにない。やがて梅雨になるだろう。
「院長、8月まで生かしておいてくださいよ」「しっかり食えば大丈夫でしょう」
ところが、若狭カレイの干物とかき餅しかとんとノドを越さない、イヤな病気があるもんだ。
70年も使い古したのだから、もうこの世になんの未練もないが、今、一心に願うことは「どうか痛まないでくれ」ただこれだけだ。この世の終わりになって、しかめ面して死ぬのなんかは、どう考えても冴えないからな。
ご親交を賜った釣友各位のご健康とご幸福を心より念じつつ、今日もまた私は病床に寝転がっている。
1977年4月15日 著者
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私はこれを写しながら涙がとまりません・・・
未練がないとおっしゃってるが、まだたっぷりとやり残したことがあるのに、それが出来なくて悔しかったのではないかと思います。
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「波」 釣り界百年の計 昭和52年6月1日「いそつり」326号
過去6年間にわたる日釣振、全釣協の活動を見るに、何等めざましい成果を挙げ得なかったと言ってよいだろう。
そこで、この6年間の実績をふまえて、内水面遊魚の盛んな関東の諸君に内水面をご担当いただき、海面遊魚の盛んな関西に於いて、最も困難な海釣りルールつくりに全力を傾注することが急務であると私は信じている。
従って、現在ある2つの公益法人は合流一体となり内水面遊魚の為に精力を疑集して努力して行くのがよいだろう。
一方、海区に関しては、これまでそのルールがないだけに漁業者との魚場利用の調整について困難なる局面が各地で惹起している実情にあるので、今後これらを暫時改善、克服することが必要である。
従って全関西磯釣連盟はこの機会に、水産庁を主管とする公益法人に組織内容を移行して、今後に備えたいと思うので先般来、水産庁の了承を得てすべて出願の準備を終了した。
もとよりこの問題が安易に我々の希望にそうものとは思わないが、過去十年間
全関西磯釣連盟は必死にこれらの困難な問題にとりくんできたのである。
3万人会員諸君は、このことは百も承知だと思っていた。ところが、これまで何十回もの会合で事細かにその主旨説明をしてきたにもかかわらず一知半解の諸君が大部分と知って私は愕然としている。
今後百年の釣り界のために、全関西磯釣連盟のために、願わくば理解していただきたいとおもう。
このように連盟法人化の時期が迫っているので今後、これらの諸準備のためしばしば会合がひらかれるので各会代表者はご出席いただいて事実を知っていただきたい。
十年の歳月をかけて進めてきたこの道を今更連盟は引き返すわけには行かない。
只管(ひたすら)最終目的に向かって自主独往するほかない。
釣り界全般の利益の為に・・・・
この間、二、三の誠に遺憾な言動をする人達が連盟内部、すなわち我々の仲間から輩出した、ということは連盟二十年の歴史の中にかってなかったことで連盟は全くおどろいている。
これらの人々に対しては連盟の総意に基づいて重大なる反省をしていただかねばならないだろう。今後の集会に於いて、この件も当然重要な審議事項としてご協議して行きたい。
全関西磯釣連盟 会長 三木武夫
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「三木会長がこの以前に藤澤氏と中西氏に連盟のことをお願いしていたが、そのお二人が改革に走られたので思いが違っていたようだ」
三木会長はこの記事の書かれた後の6月11日になくなられました。
下記に、三木会長の絶筆となった文を「釣り三昧」より書かせていただきます。
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はじめに
この本は、長かった人生の半分を、釣に呆けていた男の日記です。しかし、この男は、それを少しも後悔していません。
それどころか、あらかた人生の終わりが近づいた今になっても、奔放で自信に満ちていた半生を思い返して、得意気に“オレはオレの人生で、しなければならないことは、総べてやった”と豪語しています。
たかが“釣りじゃないか”などと言わないで、まあ読んでください。
1977年4月 著者
おわりに
十年前「釣人釣魚」を出した時に、挿し絵を書いてくれた佐々木壮六君が、今度もわざわざ東京から駆けつけて挿し絵から装丁までやってくれた。
十年という歳月はご覧のとおり、一段と、その絵筆を枯淡にしていた。うれしいことだ。前衛書家長浜光先生の雄渾な題字も頂いて花を添えた。
また、各章の区切りにあるカットがわりの俳句は、長男孝の作品。
1月10日、畏友新谷博士がやってきて「癌だよ、入院しよう」と言った。
「そうだろうな」と言って梅田に近い渡辺病院に転がり込んだきり、
もう4カ月になる。
花が咲いた、花が散った。胸のモヤモヤは一向に減りそうにない。やがて梅雨になるだろう。
「院長、8月まで生かしておいてくださいよ」「しっかり食えば大丈夫でしょう」
ところが、若狭カレイの干物とかき餅しかとんとノドを越さない、イヤな病気があるもんだ。
70年も使い古したのだから、もうこの世になんの未練もないが、今、一心に願うことは「どうか痛まないでくれ」ただこれだけだ。この世の終わりになって、しかめ面して死ぬのなんかは、どう考えても冴えないからな。
ご親交を賜った釣友各位のご健康とご幸福を心より念じつつ、今日もまた私は病床に寝転がっている。
1977年4月15日 著者
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私はこれを写しながら涙がとまりません・・・
未練がないとおっしゃってるが、まだたっぷりとやり残したことがあるのに、それが出来なくて悔しかったのではないかと思います。