要旨
井上ひさしの小説『吉里吉里人』において多用される罵倒表現を類形し、その上で作品構造や作者の意図を探る。
今回は『吉里吉里人』上巻より罵倒表現を162例抽出し、それぞれを9つに分類した。またその罵倒表現の主体(罵った側)と客体(罵られた側)を作者・登場人物・登場事物(作中の人物以外のものが対象となる場合)も調査した。
罵倒表現の9つの分類は、渡辺博文氏の「『紅楼夢』における罵倒表現の類形と意味」(2005)を参考とし、以下のように設定した。
A:性的・生理排泄的な罵倒表現 例:「糞っ」「爛れ珍宝」
B:人間視しない罵倒表現 例:「世田谷の古狸」「高井戸の鵺」
C:愚者視系罵倒表現 例:「馬鹿」「阿呆」
D:後輩に対する罵倒表現 例:「女童」
E:職業・身分蔑視による罵倒表現 例:「三流作家」「水呑み百姓の後家」
F:呪詛系罵倒表現 例:「死ね」
G:駆逐罵倒表現 例:「出て行け」「勝手にしやがれ」
H:人の発話・行動・性質に対する罵倒表現 例:「古臭い」「陰険」
I:人の外見・行動に対する罵倒表現 例:「おかめ」「顔がひどい」
分類の結果抽出された162例のうち、EとFはそれぞれ9例・2例と少なく、圧倒的に多かったのはHの62例であった。また使われた罵倒表現も、舞台設定されている岩手県と宮城県の県境で多く使われている「タクラダ」系統や「ホンデナシ」系統は一例もなく、東北独特の発音をルビで振ることで東北弁を演出している部分は多々見られたが、用いられる表現そのものは全国区で広く用いられているもののみであった。また登場人物が登場人物に対して罵倒表現を用いているケースが162例中89例と多いが、作者が登場人物に対して用いている例は27例あり、この殆どがHかIに分類された。今作品の語り手は作者であり、また作者が「私」といった一人称を用いて作品中に登場することはない。そのため作者が登場人物を描写する上で罵倒表現を用いていることが分かる。
『吉里吉里人』において罵倒表現を類形すると、登場人物が互いに罵りあうシーンが多く、人間の醜さが浮かび上がってくる。また作者が登場人物を描写する上で罵倒表現を用いることにより、その登場人物自体も決して「清く正しいキャラクター」ではなく、醜さも有する、よりリアルな人間像で描かれている。独立国という設定のもと、当時の日本にあった社会問題をかなり直接的に描いた今作品であるが、その上で東北弁という地域限定の言語ではなく全国の読者にも分かる言葉で罵倒表現を用いていることから、罵り合っているという状態を面白可笑しく描いているのではなく、罵り合っている内容を読者に伝え、その社会問題に対する皮肉、人間の醜さを読者に気付かせる狙いがあるのではないかと思う。
井上ひさしの小説『吉里吉里人』において多用される罵倒表現を類形し、その上で作品構造や作者の意図を探る。
今回は『吉里吉里人』上巻より罵倒表現を162例抽出し、それぞれを9つに分類した。またその罵倒表現の主体(罵った側)と客体(罵られた側)を作者・登場人物・登場事物(作中の人物以外のものが対象となる場合)も調査した。
罵倒表現の9つの分類は、渡辺博文氏の「『紅楼夢』における罵倒表現の類形と意味」(2005)を参考とし、以下のように設定した。
A:性的・生理排泄的な罵倒表現 例:「糞っ」「爛れ珍宝」
B:人間視しない罵倒表現 例:「世田谷の古狸」「高井戸の鵺」
C:愚者視系罵倒表現 例:「馬鹿」「阿呆」
D:後輩に対する罵倒表現 例:「女童」
E:職業・身分蔑視による罵倒表現 例:「三流作家」「水呑み百姓の後家」
F:呪詛系罵倒表現 例:「死ね」
G:駆逐罵倒表現 例:「出て行け」「勝手にしやがれ」
H:人の発話・行動・性質に対する罵倒表現 例:「古臭い」「陰険」
I:人の外見・行動に対する罵倒表現 例:「おかめ」「顔がひどい」
分類の結果抽出された162例のうち、EとFはそれぞれ9例・2例と少なく、圧倒的に多かったのはHの62例であった。また使われた罵倒表現も、舞台設定されている岩手県と宮城県の県境で多く使われている「タクラダ」系統や「ホンデナシ」系統は一例もなく、東北独特の発音をルビで振ることで東北弁を演出している部分は多々見られたが、用いられる表現そのものは全国区で広く用いられているもののみであった。また登場人物が登場人物に対して罵倒表現を用いているケースが162例中89例と多いが、作者が登場人物に対して用いている例は27例あり、この殆どがHかIに分類された。今作品の語り手は作者であり、また作者が「私」といった一人称を用いて作品中に登場することはない。そのため作者が登場人物を描写する上で罵倒表現を用いていることが分かる。
『吉里吉里人』において罵倒表現を類形すると、登場人物が互いに罵りあうシーンが多く、人間の醜さが浮かび上がってくる。また作者が登場人物を描写する上で罵倒表現を用いることにより、その登場人物自体も決して「清く正しいキャラクター」ではなく、醜さも有する、よりリアルな人間像で描かれている。独立国という設定のもと、当時の日本にあった社会問題をかなり直接的に描いた今作品であるが、その上で東北弁という地域限定の言語ではなく全国の読者にも分かる言葉で罵倒表現を用いていることから、罵り合っているという状態を面白可笑しく描いているのではなく、罵り合っている内容を読者に伝え、その社会問題に対する皮肉、人間の醜さを読者に気付かせる狙いがあるのではないかと思う。