このたびの大震災で被災された皆様、心からお見舞い申し上げます。
宮城県出身者としては、本当に心配し心を痛めております。皆さん、頑張ってください!応援しています!!
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3月11日午後2時40分過ぎ、海浜幕張のWBGビルもゆっさゆっさと揺れた。キャビネットにもたれて身動きが出来ない状況。54年の人生の中で、こんなに揺れた地震は初めてだ。
いったいどこが震源だ?事務所でTVをつけてみれば、我が生れ故郷の宮城県のすぐそば、三陸沖ではないか!!
その後の津波警報、そして続々とTVで放映される被災地の情報…。
地震発生から1週間。この1週間の状況、感じたこと、思ったこと、考えたことを記録しておく。
○地震当日~翌日
職場の入っているWBGビルでは、なんと前日に火災避難訓練が実施された。職場のメンバーと26階から階段を使って降りたばかり。
地震当日は、ビル全体に避難指示が出たため2日続けて26階から歩いて降りた。そして今度はエレベーターが動かないので歩いて26階まで昇った。これはきつかった。やっぱり痩せないと…。訓練はやはりちゃんとやっておくべき。1度でも歩いて降りる経験をしていると全然違う。
当然、当日は帰れないので、職場のメンバー数名と会社に泊まる。椅子を並べて横になりコートを被るが、ほとんど眠れない。
次の日の朝は、8時過ぎに会社を出た。京成幕張駅経由で上野から京浜東北線に乗ったが、全然電車が来ずに、川崎に着いたのは12時過ぎだった。4時間!
○海浜幕張近辺
駅やWBGビルの周りは、液状化現象でデコボコ。歩道は波打ち敷石が浮き上がっている。ところどころに泥水が湧き出し、翌日朝には乾いて埃が舞っていた。職場から見下ろす幕張メッセの駐車場もいたるところに水が湧いていた。なんか不気味な光景。
○川崎の我が家
次男が家にいたが、後から聞いたら相当怖かったらしい。CDラックが倒れてCDが散乱していたし、仏壇の位牌や線香立て、ろうそく立てなどが飛び散っていた。食器などは無事。直後は停電したようだが、翌日帰った時は通電していた。次男は水道も使えず、夜は近所の回転寿司に行ったらしい。
○仙台の実家
地震直後から、仙台には携帯も固定電話も全く繋がらなくなった。あとから聞いたら、固定電話(FAX機)が机から落ちて壊れたらしい。
携帯電話が繋がったのが、地震から5日目の15日だった。TVで誰かが言っていたけれど、こういう災害の時にこそ繋がるようインフラ整備をするべきだと思う。なかなか物理的に難しいのは分かるけれど、元旦のメール程度で繋がりにくくなるようでは、どうしようもない。携帯電話各社の対応努力を強く希望したい。
年寄り2人の実家は仙台の高台(山の上)なので津波の心配はなかったが、とにかくモノの多い家なので、本や段ボールに埋まっているんじゃないかと心配した。暫くは停電だったようだし、水もガスもストップしていたのでは食べたり飲んだりも出来ないのではないか…。
どうしても連絡がつかないので、メールの繋がった仙台の友人Mにお願いして、様子を見に行ってもらった。自分のところも大変だったと思うけど、背に腹を変えられずずうずうしくお願いしてしまったが、快く引き受けてくれた。「持つべきものは友」嬉しいねぇ、有難いねぇ。Mちゃん、本当にありがとう!
母の仕事の関係の知人が近所にいて、食料から水、灯油など、いろいろ面倒を見てくれているらしい。年寄りでそんなに簡単に買い物にも行けないだろうから(近所の商店は開いていないし、品物もない)、本当に助かる。数日前にはお風呂にも入れてもらったとか(オール電化住宅だそうです)。これまた人様の人情に頭が下がる思いだ。
部屋の中は足の踏み場もないぐらいモノが散乱したらしいが、少しずつ整理をし、取り敢えず「歩く道」は出来たそうだ。まずは一安心。
○今週の通勤
月曜日は海浜幕張まで行く交通手段が全くなく、メンバーには自宅待機を指示した。僕は大手町の本社に出社して今後の対応検討や情報交換を行った。
京浜急行のみが開通していたので京急川崎駅に行ったら入場規制をしていた。列の最後部は…と伝っていくと………、なんと延々と続く列の最後は駅から軽く1Kmぐらい先!入場するのに2時間近くかかり、電車が発車するのに30分以上待たされた。
その後は間引き運転ながら、まあまあ順調です。でも計画停電の影響で毎日違う時間に運休になるので、職場のメンバーの早退などもあり、この1週間は混乱続きだった。
○計画停電、他
この1週間、結局職場のWBGビルは停電がなかった。それはそれで有難いことだ。停電すると照明もパソコンも事務機器も使えず、仕事にならない。それに26階に隔離されるようなものなので、停電前に社員を帰宅させるつもりだった。そういう事態にならずに良かった。
でも我が自宅は木曜日に停電。会社を定時に出て、川崎に7時前に着いたら駅内が薄暗い。駅の周りの商業ビルも真っ暗だ。マンションも当然真っ暗。エレベーターも止まっている。ひぇ~、今度は10階まで昇るのかぁ~。
でも26階と比べれば随分楽だった。たまに歩こうかな…、多分やらないな。
電池式のミニランプがあるので、それを灯して暗がりでラジオを聴きながら缶詰を肴にビールの夕食だ。カップラーメンでも食べようと思ったら、水がない。ちょうどなくなって買い置きしていなかった。ダメだねぇ、全然災害の備えが出来ていない。トイレも流せないので、風呂から水を汲んで流した。
だんだん冷え込んできたのでコートを着て呑んでいた。わずか数時間の停電でも結構大変だ。被災地の避難所暮らしの人たちは本当に大変だろうな。実家の両親も2~3日は辛かったろうな。
スイッチ一つで電気がつき、部屋が暖まり、水が出て、風呂が沸かせて、食料だって温められる。こんなことが当たり前になっている現代。そんな常識が一瞬にして覆ってしまった。教訓というには余りにも大きな犠牲を払うことになった今回の大震災。まだまだ総括は出来ないけれど、みんなで力を合わせて復興に向けて努力したい。復興のためのお手伝いは、何が出来るのかよく分からないが、一つでも二つでも見つけて取り組みたいと思う。
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そんな中で、セ・リーグが3/25に開幕?ドームでナイターもやる??まだまだ大規模停電など予断を許さない状況なのに、ナベツネは何を考えているんだろう。絶対読売新聞なんて読まないぞ!
それと計画停電、同じグループの地域でも実施されたりされなかったり。東京23区は消えない?仕事や生活にはいろいろ支障をきたすが、公平に実施するべきだと思う。それが「みんなで支える」ということではありませんか?