呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

お母さんへの手紙・その16~立春、そして今日は?

2008-02-15 | 家族のこと

もう立春です。日も段々長くなってきましたね。
上は海浜幕張駅からの観た夕焼け、6時を過ぎてもまだ明るさが残っていますよ。
でも相変わらず毎日寒いです。
今年の東京(ウチも東京みたいなもんだよね)は、何年ぶりかで一冬に何度も雪が降りましたよ。

今日は何の日か覚えていますか?
そうです!僕たちの22回目の結婚記念日です!
22年前の今日、僕とお母さんは結婚したんです。
披露宴が始まる夕方は、雪ならぬ冬の大雨、土砂降りでしたね。
僕たちは昼から会場に入っていたので関係なかったけれど
お母さんの友達で着物の人は気の毒だった。
あれから22年が経ちました。早いものですね。
お母さんが元気だった頃、僕は結婚記念日なんてほとんど毎年忘れていました。
前の日に思い出していても、当日の朝になるとすっかり頭から抜けていたりして。
お母さんは「別にいいよ、特にお祝いしたい訳でもないし」って言っていたけれど本心はどうだったんだろう。
誕生日も「もう年をとることは嬉しくないから」ってケーキも買わず終いのこともしょっちゅうでしたね。
でも病気になってからは「今年も無事誕生日を迎えられた!って思うんだよね」と言っていた。
病気が分かってから手術するまでの2年間、そして「再発」を告げられてからの毎日、さぞかし不安で悲しくて辛かったでしょうね。
来年の誕生日は迎えられるんだろうか、って心配になるよね。
それでも僕たちが家に帰ってくると普通に振舞って、特に子供たちには自分の不安が移らないように凄く気を遣っていたよね。
そんなお母さんに、僕は何にもしてあげられませんでした。

今日改めて、お母さんは僕と結婚して幸せだったのだろうかって考えてしまいました。
ほかの人と結婚したからといって、病気にならなかったかどうかは神様のみが知ることだけど
それでももっと楽しい充実した毎日が送れたかもしれない。
21年間、本当にお母さんに心配掛けたり、不安にさせたりの連続だったんじゃないだろうか。
家族サービスだって、僕の自分勝手な自己満足で引っ張りまわしたんじゃないだろうかと思ってしまいます。
いつも自分のことは後回しにして、家族のことを考えていたお母さん。
毎日何が楽しみで生きてきたんだろう。
今となっては確かめようもありません。後悔先に立たず、です。

今朝、いつもより1時間も早く目が覚め、そのあとなかなか寝付けませんでした。
なんかお母さんのことを思い出して、もう眠れなくなったんです。
こんな時間にベッドの中で、なんで?と思いましたが、「あぁ、今日は結婚記念日だ」と気がつきました。
今年は、お母さんが亡くなってもう意味がないのに、結婚記念日に手帳に印を付けていました。
そのせいだろうか。今更遅いよね、やっぱりダメな夫です。
せめて子供たちが独立するまでは、お母さんが居ない分、親として出来ることはしてやりたいです。
YuやWaも大学生なんだし、もっといろいろやらせてもいいんだけれど
自宅から通っている訳だから、そこはある程度の面倒見は必要と思います。
母親がいなことで、あいつらに不便は掛けさせたくありません。

さあ2月も後半です。
Waも第一希望、第二希望の大学がダメそうなので、滑り止めのところかな。
もう高校の授業もないので、バイトばっかりしていますよ。
前からやっていた自由が丘のバーミヤンです。
厨房で簡単なものは作っているらしいです。
お母さんが元気だったら、こっそり様子を見に行きたかったね。
日曜は、Siのところの新築祝いです。立ち退き後の新居が漸く出来たそうです。
仙台の両親も、じいちゃんが宿泊できないので日帰りで来るって。
Yuは行けそうですが、Waはバイトでダメらしい。
最近なかなか家族3人が揃わなくなりました。
Waが大学生になったら尚更だろうね。
まぁ、それも仕方がないでしょう。
せめて3人が揃う時の夕飯ぐらいは僕が作ろうと思います。
もうすぐ3人でグラスを傾けるようになるかもしれません。
オヤジとしては楽しみですが、そこにお母さんがいないのはとても寂しいです。
それも仕方がないこと、残った3人で仲良くやっていきますよ!

Waの進路が正式に決まったらお墓に報告に行くし、また手紙を書きます。
お母さんも、子供たちのこれからを空から見守ってやってください。
変な方向に行きそうになったら上から修正してね!
地上はお父さんに任せておけって!


ippoより
コメント
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