呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

続・彼岸に想うこと

2007-09-24 | 家族のこと
なぜ最近になって、また急に妻のことを想い出すようになったのだろう。
確かに納骨後、毎週(といっても2度)お墓に通い、妻に語りかけたりしていることもあるだろう。
それと、最近仕事で全国の契約者の書類に目を通し、その中に札幌赴任時代の懐かしい地名や銀行の支店名を目にすることが多くあるため、当時のことをいろいろ想い出してしまうことも影響しているのかもしれない。

「あぁ~、懐かしい地名だな」「これウチで使っていた銀行の支店じゃない!」
札幌では、妻は全く知らない土地で子供を入学させ、幼稚園に通わせ、随分大変だったろうと思う。
休みのたびにいろいろなところに出掛け、それなりに家族孝行はしたつもりだ。
スキーにも、キャンプにも、温泉にもよく行った。
でも、果たして妻や子供は本当に心から楽しんだのだろうか。
日帰り温泉にあまりにしょっちゅう行くものだから、息子たちは最後の方は嫌がった。
キャンプだって、結局僕が自分の満足のためにやったのではないか。
子供は別としても、妻が楽しんだかどうかはよく分からない。

札幌では、僕は散々呑み歩いた。
最初の職場は、社宅のマンションから歩いて5~6分のところだった。
でもまっすぐ家に帰れず、わざわざ繁華街に出て行ったり、家の目の前で呑んだりなんて日常茶飯事。
そして会社の同僚とのマージャン。
僕は「ヘタの横好き」で、結構負けていた。
そんなことだから、妻に十分な給料も渡さず、「呑む・打つ」に随分金を遣ったものだ。
今時信じられないような有様だ。
だから妻には随分苦労を掛けたと思う。
オヤジが呑んだくれている間に、大雪の中子供の手を引いて1円でも安いスーパー目指してトボトボ歩く妻の姿が目に浮かぶようだ。
妻がこんなことになったから、想像逞しく思い浮かべるのかもしれないが、多分そんなことも間違いなくあったと思う。
札幌の懐かしい住所や地名を見ていると、そんなことを思わず考えてしまい、仕事の手が止まってしまうことがある。
これって、やっぱり軽い鬱状態だろうか。
まあ、これ以上悶々と悩み、落ち込むこともないとは思うが、僕の後悔の日々はまだまだ続きそうだ。

よく夫婦のどちらかが亡くなった時、妻が残った場合と夫が残った場合で、どちらが落ち込むか、立ち直りが早いか、と言う話がある。
一般的には、間違いなく例外なく(?)、妻が残った方が立ち直りが早く元気に過ごすと言われる。
前はなぜだろうと思ったが、今回自分がその立場になってよく分かった。
夫に先立たれた場合、妻は勿論嘆き悲しむのだが、基本的に毎日の暮らしはそう変わらない。
夫がいなくても、今まで通り炊事洗濯を行い、ショッピングや趣味の集まりに出かけ、仲間とお喋りをする。
却って夫が居ない分、いろいろ手間が省けて楽になるのだろう。
場合によっては、厄介ごとがなくなって清々する奥さんも多いかもしれない。

しかしこれが妻に先立たれた夫の場合は、生活が一変する。
妻がいた時は、炊事洗濯はおろか子供の教育まで妻任せだったのに、急に全てをやらなくてはならなくなる。
想像しただけでもうんざりするだろうが、それが現実になったとき、目の前は真っ暗になる。
ただでさえ妻が亡くなって落ち込んでいるのに、家事は否が応でも迫ってくる。
年齢によっては子供の世話もある。
特に一定の年齢になってから妻を亡くした人は、何十年と何もやってこなかったので、途方に暮れてしまうだろう。
そして妻の偉大さを身に染みて理解し、今まで妻に何もしてこなかった自分を責め、落ち込んでしまう。
自分で家事が出来ない人ほど、後悔と落ち込みが激しいのではないだろうか。
僕はそれ程落ち込んではいないが、それでも後悔ばかりしている。
後悔というものは、人間の活力を削いでしまう。
後悔していると元気が出ない。
だからしょぼくれてしまうんだろう。
何とかこれ以上しょぼくれずに、これからの人生を歩んで行きたいものだ。

僕の場合、「妻にああすればよかった、こうすればよかった」の後悔が大きく、それがしょぼくれの原因になっているが、果たして亡くなったのが逆に僕だったらどうなっていただろうと考えることがある。
妻は、僕が50歳で死んでしまったら、いろいろ後悔しただろうか。
20年以上連れ添った伴侶を亡くした悲しみと、子供たちに父親がいなくなった不憫さに涙するかもしれないが、「後悔」はないと思う。
勿論妻がどう思っていたか、今となっては確認する術もないが、少なくても相当家族に尽くしてきたと思っているに違いない。
僕も、妻には本当に世話になったと感謝している。
だからこそ、僕の悔恨の念は尽きないのだが、世の中の大半の夫婦関係も大なり小なり似たようなものではないか。
世の夫たちは、家の外であまり好き勝手な振る舞いを行わず、妻や子供にもっと尽くすべき、と声を大にして言いたい。
まあ今更言っても、僕の後悔が消え去る訳ではないのだけれど、そうとでも考えなければ、やっていられない。
妻には、僕がこんなに後悔していることが少しでも伝わるだろうか。
せめて毎日仏壇の遺影に向かって語りかけてあげたいと考える、今日のこの頃だ。
コメント (2)
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彼岸に想うこと

2007-09-24 | 家族のこと
妻が病床で帰らぬ人となって、4ヶ月が過ぎた。
僕たち残った家族の毎日は、平常かつ平静を保っている。
でも、実は僕の胸の中はそんなに平静ではない。
妻が逝って2~3ヶ月目の頃よりも、この1ヶ月ぐらいの方が、却っていろいろなことを想い出すことが多くなった。

妻の最後は、呼吸困難状態から人工呼吸器を付け、その後呼吸が安定したが心肺機能が見る見る落ちて、最終的には主治医の心臓マッサージにしか反応しなくなった。
僕は義妹とともに、妻がなんとか意識を保ち、呼吸困難で大きく肩を揺らしながら息をしている姿を目の当たりにしているので、その辛そうな表情は今でも忘れることが出来ない。
なくなる当日は、ほとんど意識が混濁していたのでそれほど苦しまなかったのかもしれないが、前の晩あたりは息苦しくて相当辛かったろう。
妻がどんなに苦しくて、辛くて、悲しくて、寂しかったか、想像しただけで胸が張り裂けそうになる。
今になって、妻の持っていたもの、使っていたもの、書き記したものなどが目につき、どうしてもいろいろ想い出してしまう。
そのたびに、「こうすれば良かった、あんなことはしなければ良かった、ああ言えば良かった・・・」と、妻との20数年について悔恨の念に苛まれる。
義妹には「あまり可哀相って言わないで。○○ちゃん(妻のこと)は、Yさん(僕)や子供たちにとっても感謝していたよ。可哀相なままで死んだ訳じゃないよ」と言われた。
確かに、入院中妻からは、僕と結婚して良かったと言われ、僕や息子に感謝していることも聞かされた。
でも、やっぱり僕の中では、妻にもっと尽くすことが出来た筈だ、という後悔がどうしても消せない。
多分、この後悔は、一生消えるものではないのだろう。

僕がこんな状態なのだから、母をなくした息子たちの心境はいかばかりか。
表面上は、母親がいたころとなんら変りのない生活を続けている息子たちを見ていると、不憫で仕方がない。
変わりないように見えて、前よりも何倍も優しく、聞き分けがよく、大人になった息子たち。
一度彼らとその辺の話をしてみたい気もする。
でも実際は照れもあり、とてもそんな話は言い出せないでいる。
いろいろ家事のことなどをルール化したいこともあり、「家族会議」みたいな形で話したいと思うが、まだ実現していない。
長男は授業にバイト、次男は受験に向けた塾通い、僕は勿論仕事で一日家を空けている。
ほとんどすれ違いの生活で、顔を合わせるのは朝と、夜遅い時間ぐらいだ。
母親という、間に入る調整役がいないために、意識的にコミュニケーションを取らないと、お互いに何をしているか、何を考えているか分からなくなる。
週一回ぐらいの家族ミーティングも必要だと感じている。

いろいろな方から、僕の主夫ぶりに「あんまり頑張らないで」とか「適当に手抜きしないと疲れちゃうよ」などのアドバイスをいただく。
僕としては、それ程無理して頑張っているつもりはない。
毎日飯は食わなけりゃならないし、洗濯もしないと溜まる一方だ。
だから最低限のことしかやるつもりはない。
部屋はだんだん埃っぽくなるし、風呂も汚れっ放し・・・。
その辺は、休みの時に少しずつやることにしている。
でも夕飯に関しては、あまり手を抜きたくはない。
自分自身が食べることが好きなので、スーパーで出来合いのおかずを買ってきて食卓にならべることには抵抗感がある。
それに、朝も菓子パンを持たせ(朝食を摂る時間がない)、昼は以前なら妻が弁当を作ったのに、今は学校の購買でパンや弁当を買っている息子に対し、せめて夕飯ぐらいは手作りのものを食べさせたいという思いが強い。
勿論、そんなに凝ったものは作れない。
でも息子たちが炊き立てのご飯と味噌汁が好きなので、せめてそれだけは用意し、おかずは例え冷凍食品を使っても、多少は手を加えて出そうと思う。
息子たちは、オヤジの作る飯が多少失敗作でも「旨めぇ~」と言って食べてくれる。
気を遣っているのかも知れないが、それなりに本心なのだと思う。
だから、なるべく出来合いの弁当やカップラーメンで済ますことのないようにしてやりたい。
週に1度ぐらいは、僕も呑みに出掛けたりするので、そのときは夕飯代を渡し各自が済ませることにしている。
でもそれ以外のときは、手作りのもを食べさせたい。
今父親として彼らにやってあげられる親らしいことは、炊事洗濯ぐらいなのだから。
だからしつこいようにブログ内で、夕飯の記録を載せているところもある。
僕の息子たちへの、親らしい施しの記録として。
勿論、これから親としてやるべきことは、いくらでもある。
でも日常の中で当面やれる目に見える行為としては、炊事洗濯ぐらいのものだ。
そんなことで、手抜きはしたくない。
だからこそ配置転換の希望まで出して、今の職場に移ったのだから。
妻の他界は予想以上に早かったが、近々こういう事態がやってくることを想定した上での配置転換希望だった。
今こうなってしまった以上、割り切るところは割り切って、当面家事を続けてゆきたい。

そうは言っても、偉そうに言っても、主夫をやりながら空しさを感じることも結構ある。
「結局、この生活は俺の一生涯続くんだなぁ」と落ち込む。
60になっても、70になっても、死ぬまで僕は自分の飯を自分で作り、晩酌をやりながらTVを見て、本を読んで、そして洗い物をして、洗濯物を干して、眠くなったら一人で寝る。
勿論息子たちがそんなにいつまでも独立しないでいたら困ってしまうし、一人のほうが気楽なこともある。
世の中には一人暮らしを続ける方は、数え切れないほどいらっしゃる。
でもやっぱり空しい。20年以上家族とともに暮らしただけに、想像しただけで空しい。
10年経った定年の時には、妻の居ない生活に十分に慣れて、息子たちも独立し、オヤジ一人で清々と暮らしていけていれば、これはとても理想的なことだ。
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角瓶と小雪は、不滅だ!

2007-09-24 | 映画(DVD)の話

サントリー角瓶のCMが素敵だ。
やっぱり小雪はいいねぇ。
なんて色っぽいんでしょう。

『わたしは氷、あなたはウイスキー・・・』
うぅぅ・・・、何が言いたいんじゃぁ~!
あなたに包まれて、わたしは溶ける・・・、そんな意味かいな?

『ホントは年下が好きだったのにな』
オジサンでもいいんですかぁ~!?

『呑もっ!』
呑んじゃう呑んじゃう!!

え、知らない?ちゃんと観たことがない??
ではこちらをクリックしてね!

石川さゆりの歌も、またいいねぇ。

本日の晩酌は、キリンラガー・クラシックに、角瓶〈端麗〉です。
たまにはウイスキーも旨いなぁ。

(などと、すぐに鼻の下を伸ばして「角瓶」買うやつがいるから、CMって怖い・・・)



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