呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

彼岸に想うこと

2007-09-24 | 家族のこと
妻が病床で帰らぬ人となって、4ヶ月が過ぎた。
僕たち残った家族の毎日は、平常かつ平静を保っている。
でも、実は僕の胸の中はそんなに平静ではない。
妻が逝って2~3ヶ月目の頃よりも、この1ヶ月ぐらいの方が、却っていろいろなことを想い出すことが多くなった。

妻の最後は、呼吸困難状態から人工呼吸器を付け、その後呼吸が安定したが心肺機能が見る見る落ちて、最終的には主治医の心臓マッサージにしか反応しなくなった。
僕は義妹とともに、妻がなんとか意識を保ち、呼吸困難で大きく肩を揺らしながら息をしている姿を目の当たりにしているので、その辛そうな表情は今でも忘れることが出来ない。
なくなる当日は、ほとんど意識が混濁していたのでそれほど苦しまなかったのかもしれないが、前の晩あたりは息苦しくて相当辛かったろう。
妻がどんなに苦しくて、辛くて、悲しくて、寂しかったか、想像しただけで胸が張り裂けそうになる。
今になって、妻の持っていたもの、使っていたもの、書き記したものなどが目につき、どうしてもいろいろ想い出してしまう。
そのたびに、「こうすれば良かった、あんなことはしなければ良かった、ああ言えば良かった・・・」と、妻との20数年について悔恨の念に苛まれる。
義妹には「あまり可哀相って言わないで。○○ちゃん(妻のこと)は、Yさん(僕)や子供たちにとっても感謝していたよ。可哀相なままで死んだ訳じゃないよ」と言われた。
確かに、入院中妻からは、僕と結婚して良かったと言われ、僕や息子に感謝していることも聞かされた。
でも、やっぱり僕の中では、妻にもっと尽くすことが出来た筈だ、という後悔がどうしても消せない。
多分、この後悔は、一生消えるものではないのだろう。

僕がこんな状態なのだから、母をなくした息子たちの心境はいかばかりか。
表面上は、母親がいたころとなんら変りのない生活を続けている息子たちを見ていると、不憫で仕方がない。
変わりないように見えて、前よりも何倍も優しく、聞き分けがよく、大人になった息子たち。
一度彼らとその辺の話をしてみたい気もする。
でも実際は照れもあり、とてもそんな話は言い出せないでいる。
いろいろ家事のことなどをルール化したいこともあり、「家族会議」みたいな形で話したいと思うが、まだ実現していない。
長男は授業にバイト、次男は受験に向けた塾通い、僕は勿論仕事で一日家を空けている。
ほとんどすれ違いの生活で、顔を合わせるのは朝と、夜遅い時間ぐらいだ。
母親という、間に入る調整役がいないために、意識的にコミュニケーションを取らないと、お互いに何をしているか、何を考えているか分からなくなる。
週一回ぐらいの家族ミーティングも必要だと感じている。

いろいろな方から、僕の主夫ぶりに「あんまり頑張らないで」とか「適当に手抜きしないと疲れちゃうよ」などのアドバイスをいただく。
僕としては、それ程無理して頑張っているつもりはない。
毎日飯は食わなけりゃならないし、洗濯もしないと溜まる一方だ。
だから最低限のことしかやるつもりはない。
部屋はだんだん埃っぽくなるし、風呂も汚れっ放し・・・。
その辺は、休みの時に少しずつやることにしている。
でも夕飯に関しては、あまり手を抜きたくはない。
自分自身が食べることが好きなので、スーパーで出来合いのおかずを買ってきて食卓にならべることには抵抗感がある。
それに、朝も菓子パンを持たせ(朝食を摂る時間がない)、昼は以前なら妻が弁当を作ったのに、今は学校の購買でパンや弁当を買っている息子に対し、せめて夕飯ぐらいは手作りのものを食べさせたいという思いが強い。
勿論、そんなに凝ったものは作れない。
でも息子たちが炊き立てのご飯と味噌汁が好きなので、せめてそれだけは用意し、おかずは例え冷凍食品を使っても、多少は手を加えて出そうと思う。
息子たちは、オヤジの作る飯が多少失敗作でも「旨めぇ~」と言って食べてくれる。
気を遣っているのかも知れないが、それなりに本心なのだと思う。
だから、なるべく出来合いの弁当やカップラーメンで済ますことのないようにしてやりたい。
週に1度ぐらいは、僕も呑みに出掛けたりするので、そのときは夕飯代を渡し各自が済ませることにしている。
でもそれ以外のときは、手作りのもを食べさせたい。
今父親として彼らにやってあげられる親らしいことは、炊事洗濯ぐらいなのだから。
だからしつこいようにブログ内で、夕飯の記録を載せているところもある。
僕の息子たちへの、親らしい施しの記録として。
勿論、これから親としてやるべきことは、いくらでもある。
でも日常の中で当面やれる目に見える行為としては、炊事洗濯ぐらいのものだ。
そんなことで、手抜きはしたくない。
だからこそ配置転換の希望まで出して、今の職場に移ったのだから。
妻の他界は予想以上に早かったが、近々こういう事態がやってくることを想定した上での配置転換希望だった。
今こうなってしまった以上、割り切るところは割り切って、当面家事を続けてゆきたい。

そうは言っても、偉そうに言っても、主夫をやりながら空しさを感じることも結構ある。
「結局、この生活は俺の一生涯続くんだなぁ」と落ち込む。
60になっても、70になっても、死ぬまで僕は自分の飯を自分で作り、晩酌をやりながらTVを見て、本を読んで、そして洗い物をして、洗濯物を干して、眠くなったら一人で寝る。
勿論息子たちがそんなにいつまでも独立しないでいたら困ってしまうし、一人のほうが気楽なこともある。
世の中には一人暮らしを続ける方は、数え切れないほどいらっしゃる。
でもやっぱり空しい。20年以上家族とともに暮らしただけに、想像しただけで空しい。
10年経った定年の時には、妻の居ない生活に十分に慣れて、息子たちも独立し、オヤジ一人で清々と暮らしていけていれば、これはとても理想的なことだ。

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