9月8日に、次のとおり死者に人権がない話を記事にした。
社民党党首 福島瑞穂の弁護士としてのかつてのツイートが話題になっている。
「死んでしまった人の人権なんて考えても仕方がない。前途ある中学生の3人の人権を第一に考える必要がある。」
殺人者に人権を奪われた人は放置し、殺人者の人権を重視する、どうしても馴染めない考えである。
そこで、そもそも生まれながら人権を持っているのかどうか考えてみたい。
人権なんて持って生まれてくるわけではないというのが、私の結論である。
例えば、山道を歩いていて熊に出会って、「俺には生きる権利がある」と叫んでみても聞く耳持たずに「ガオー」と食い殺される。
殺人者は生存権なんて認めてくれない。
つまり、人権は国等により制度として作られ、その構成員が認めてくれることでなければならない。
そもそも、権という字の意味として、「仮の」ものというのである。
人と人との約束によって、力関係が生じるということなのである。
基本的人権は国によって作られた恩恵である。
人権、人権と言いながら、その元である国を愛せない人間が多すぎる。
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