昨日、天満宮へ参拝して、「拝」に関して思い出したことがある。
「拝」にはすばらしい意味があるのである。「拝」という字は手偏に手と書き、手を合わせる合掌の動作、二つが一つになる対象との一体を表現する。
一燈園同人 石川 洋さんの「拝の文化」という文章があるので紹介する。「拝」は日本の文化として今も日常生活の中で実践されているが、本文によりより深いものにして後世に伝えて行きたいものである。
拝の文化-日本精神の根流をなすもの
一燈園同人 石川 洋
日本文化の基礎をなした平安朝時代についての分析が十分になされていないという。それは 「日本後記」にいくつかの欠本があるからだという。 平安朝以前、国を守る「防人」制度があった 。多くは東国から徴発され、九州の守備に当っていた。平安朝に入り、この防人制度が廃止され 「 健児(こんでい)」という制度に変わった。以後三百年近くこの制度が続いた。健児制度が生まれたのは、防人が地方豪族に私物化されたことと、韓国と日本との間が安定してきたので、戦争をする兵隊ではなく、国内の自治を高めるための、今の警察官のような制度が必要となってきたのである。
従って人選もきびしく、地方有力者の子弟から選抜された。文献によると、治安のためだけでなく、地域青少年の育成に至るまで、幅広い自治の精神の高揚に努めたのである。
この健児に対する研究は極めて少なく、その精神と業績ついて知る人は少ない。むしろ皮肉なことには、欧米人によって研究が進められ、関心がよせられているのである。
ボ-イ・スカウトの創立者ベ-デン・バウエルは、この少年団を組織するに当り、薩摩健児の精神を参考にしたと言われている。また、戦後GHQの宗教顧問として来日した、エール大学教授のハ-ル・S・ピース博士は、健児の精神と業績を高く評価し、三つの点
をあげている。
第一は、健児が約三百年間にわたって、非武装平和時代を創りあげたこと。第二は、健児の活躍した時代、前後三四十余年の長きにわたり、日本では国家制度としての死刑が全廃されて行われなかったことである。第三は、健児が「敵をも拝む」という高い「拝」の精神を、その指導精神としていたということである。この三つの指摘は、そのまま健児とその時代の特徴をもっともよく把握するものとして驚きさえ感じさせられる。
第一に取り上げられている非武装の平和時代であるが、健児は特別の場合をのぞき、身に兵仗を帯びなかったといわれている。日本文化の基礎が、こうした「和」の精神をもとにしていたことを私達は忘れてはならないのではなかろうか。
第三の「敵を拝せよ」という健児の精神は、健児の精神的深さを意味するものと言わなければならない。「健児のことば」の「第三章 拝」に関する教えの中に、次のような言葉がある。
心に花を拝すれば 花心吾に生じ
心に天を拝すれば 天心吾に生じ
心に地を拝すれば 地心吾に生ず。
また己をそしる人を拝せよ。
己をもっとも憎む人を拝せよ
己の敵をも拝せよ
拝に敵なければなり。
この「拝」の精神こそ、日本文化の中心をなすものではなかろうか。
私たちが今日日常生活の中で使っている「拝」の言葉と精神が、この時代から始められているのである。たとえば、手紙を書くとき、冒頭に書く「拝」という言葉は日本独自のもので中国からの外来語ではない。「拝啓」とは、まず心を啓いて、相手を拝むという意味である。なんという謙虚な姿勢であろうか
そう思ってみると、「拝見」「拝借」「拝読」「拝受」・・・・。数限りないが、私たちの人と人との関係は、すべて他を拝むことを中心にしてなされていたのである。人によると、「拝」は上下の従属関係にあるとうけとめられているが、「拝に敵なし」の健児の精神は、上下をこえた、高度な平等精神によるものといわなければならない。
頭を下げて相手を無条件に受け入れる「おじぎ」も、この時代に生まれたものである。平安朝時代は、まさに、日本の古来の精神と、外来の仏教精神とが見事に調和された歴史的意味をもつものである。
私たちが今日も使っている「はい」という相手に答える美しい言葉は、実は、この「拝」の精神によるものなのである。繰り返すことになるが「はい(拝)」は、まず相手を受け入れ、相手を謙虚な姿勢で理解する意味が含まれている。また、「はい」には反対語がないのが大切な特徴である。「はい、そうです」「はい、そうではありません」というのが、正しい日本の言葉の使い方である。したがって「YES」「NO」の欧米思想の訳語としての「はい」「いいえ」は、本来の日本的精神に適応しないのである。
文化や思想が進むにつれて、人間はいよいよ対立関係の泥沼の中に落ち込み、窮地に立たされている今日であるが、「拝すれば敵なし」の精神と実践の歴史を、私たちは、謙虚に受け止めなしていく必要があるのではなかろうか。
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