十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

因果な商売2

2009年02月20日 | 共生

 ある坊さんから聞いた話。


 その坊さんが寄り合う機会があってそれに参加した時、地元の坊さんの会話を聞いて驚いた。


坊主A:近頃葬式が少のうなって、寺のやりくりが大変、難儀なこ
     っちゃ。
坊主B:うちもそうや。皆、寿命がのびて死なんようになったから
     のう。しかし、いずれは皆死ぬのだから、遅れるだけの
     ことだわさ。
坊主A:まあ、そういうこっちゃな。


 実際にどういう風に言ったかは忘れてしまったので、坊主A,Bの会話は私の創作、どっかの方言入り混じりでけったいな会話になっているが、坊さんが葬式が減って今までの生活が維持できないとぼやいていて将来に期待しているという話なのである。


 死人が出れば死体の始末をつけなければならない。さすれば寺も葬儀屋も必要な存在であることは間違いない。平生は死人の出るのを待っているのであるが、待っているが待機の意味ならいいとして、収入を得んがために待っている、期待している、となると如何なものか。

 葬式の連絡が入って「しめた!」と思わぬ坊さんがどれだけいるだろうか。

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