十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

桜之宮公園へ花見

2024年04月05日 | 人生

 桜のシーズンになると、毎年、花見に出かける。

 歳も歳とてひょっとして今年で見納めになるかも知れないという思いで花を愛でている。

 昨日は、近所のパナソニックのさくら広場へ出かけてた。今年はいつもより開花が遅れて4日現在満開といかなかったようである。開園日を3日伸ばして6日までとしたようだが、ちょうど満開日に閉園するようである。

 今日は桜之宮公園へ自転車で行ってきた。途中で人が増えて自転車を降りて通らなけならない場所があった。外国人の花見客が増えて喋り声が多く聞かられた。ゆっくり花見をしたいこちらとしてありがたくない客である。写真は公園に入って間もない、空いている場所である。

 写真は公園内にある自転車が通行できる歩道橋である。春風橋という。なぜ、そういう名称になっているのか、以前、ふと思ったことがあった。

 今日、その謎が解けた。毛馬の閘門近くに与謝蕪村の句碑があって、その俳句が「春風や堤長うして家遠し」。与謝蕪村の生まれの地が毛馬なのであった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏に成ってから死ぬべし

2024年03月30日 | 一法言

 仏式で葬式する人の多くは死んで仏になるように思っているようである。死んでから戒名(法名)をつけたり、年忌に追善供養したりしている。人としてその存在が無くなるのであるから成仏のしようがないのである。

 人の生涯は、仏教では十二支縁起で示されている。無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死である。しかし、この生以前なんて考えてみても意味がない。

 さて、私が考えてみた生から死を示してみたい。

 「人として生まれ、人間として生き、人格を作り、仏格を得て、涅槃に入る」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病気自慢81

2024年03月25日 | 生活

 今回でとうとう80種。前回は腎盂炎で入院する羽目になったが、今回は麦粒腫である。

 17日頃から右目にゴミが入ったようにコロコロした感じで使用中の保健的目薬で流そうとしたが取れない。いつまでもいう訳ではコロコロ感がなくなる時もある。流れ出たかと思いきや、また繰り返す。2日ほど辛抱したが、治らない。

 2日経ってこれは眼科に行った方が良さそうだと、何年も前に係ったことのある近所の眼科へ行ってみた。予約制になっていた。予約するとすれば25日だという。予約の間が空けば受診可能だがいつになるか分からないという。

 待ってられないので、もう少し離れた予約制でない眼科を受診した。麦粒腫であるとの診断で目薬を2種処方してもらった。5日間点眼してどうやら治まったようだ。

 しかし、数日前から左目も違和感があり、昨日辺りからコロコロ感が出て来たので、両眼に1日4回点眼しているような状況である。

 というようなことを書いて病歴を更新しようとしたら抜けているのに気がついた。踵のひび割れである。寒くなって踵が乾燥してひび割れてくる、尿素クリームを常用している。

 よって、自慢件数81,歳の数だけあることになる。

病歴

<頭、顔部>
脱毛症、白髮、健忘症、脳貧血、黒子、ガングリオン
<眼部>
近視、乱視、老眼、白内障、ドライアイ、網膜穿孔、網膜変性症、閃輝暗点、濾胞性結膜炎、飛蚊症、結膜炎、緑内障、右白目部出血、麦粒腫
<耳部>
中耳炎、耳鳴り
<呼吸器系>
感冒、インフルエンザ、蓄膿症、鼻炎、咽頭扁桃炎、気管支炎、胸膜炎、耳下腺炎
<口腔、歯科系> 
虫歯、歯周病、口内炎、口唇ヘルペス、歯欠損、顎骨脱臼、口角炎
<消化器系>
逆流性食道炎、胃炎、胃ポリープ、食中毒、十二指腸虫症、腸炎、大腸ポリープ、痔疾、回虫、肝臓病、胆石、
<循環器系>
高血圧、冷え性、腹部大動脈石灰化、高ガンマグロブリン血症、足動脈狭窄、頸動脈プラーク、右足深部静脈血栓症
<泌尿器系>
慢性腎臓炎、腎臓結石、前立腺肥大症、貧血症、腎盂炎
<骨格>
橈骨骨折、肋骨亀裂骨折2回、腰椎椎間板ヘルニア、踵骨亀裂骨折、顎脱臼、手足の脱臼、各所捻挫、脊柱管狭窄症、第一腰椎圧迫骨折、骨粗鬆症
<皮膚>
擦り傷、切り傷、虫さされ、水虫、皮膚炎、両母趾巻き爪、日焼け炎症
<筋肉>
五十肩、こむら返り、背筋痛

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安泰寺での修行風景

2024年03月14日 | 佛教

 以前テレビ放送された安泰寺の修行風景がユーチューブにアップされたので興味のある人はご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=vj84dJHwbBo

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実と事実(17)縁起

2024年03月11日 | 一法言

今日は 縁起について考えてみたい。

 「縁起を見るものは法を見る、法を見るものは縁起を見る」
 「法を見るものは、我(仏)を見る」

 だから、縁起を極めれば仏教が分かる。

 縁起は仏教の根本概念で四諦、十二支縁起、四法印、五蘊説、大乗仏教の空といった概念もこの縁起から派生する。

 縁起は、すべての存在が相互の因縁によって生起することだが、縁起というと 、切ったり結んだり、 良かったり悪かったり、あったりなかったするような因縁話がよくある。
 これは複数の事物を時間的あるいは空間的に関連付けてみた上の話でこれは頭の中の事実の世界の話である。十二支縁起(時間的関連)、五蘊説(空間的関連)なんかもそれにあたる。

 真実の世界にあっては、一切が繋がり相互作用しその縁は切りようがないのである。私は宇宙全体と繋がり切り離しできない。宇宙全体が縁起し私はその一欠片だからである。

 電磁力と重力の影響範囲は無限大であり、あらゆるものは相互作用、相補性原理で存在し運動しているのである。

 「縁は切れない」、そんな縁起を理解する必要がある。

 あなたと私は繋がっている。私がいればこそあなたもいる。あなたがいればこそ私もいる。
 プーチンにも習近平にも金正恩とも繋がっているのである。私がいて彼らもいる。彼らもいて私もいる。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は二度死ぬ

2024年03月05日 | 一法言

 前回は 古代ギリシャ哲学者エピクロスの言葉を紹介した。

「 我々が存在するとき死は存在せず 死が存在するとき 我々は存在しない」

 去年の10月には、古代ギリシャ哲学者 キケロの「死者の命は生ける者の記憶に留まる」という言葉を用いて文章を書いた。

 それに関連するが「人は二度死ぬ」ということが言われるようになった。

 「一度目の死は肉体が滅んだ時、二度目の死は全ての人から忘れられた時」という意味で使われるようだ。キケロのいう記憶に留まっていたものもなくなってしまうと意味である。
 永六輔が言い出した言葉のようで膾炙されるようになってまだ日が浅い。

 お釈迦さんなんか多くの人に今も記憶されているお方だから生存中ということになる。

 まあ、悪名を残さないようにしましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知恵袋:死ぬのが怖い

2024年03月01日 | 一法言

ヤフーの知恵袋の質問で「死ぬのが怖い」という内容のものがあったので、参考までに次のように回答した。

私の回答:

他人の死はあれども自分の死はありません。
自分の死は自分で体験できないからです。

古代ギリシャの哲学者エピクロス(紀元前341-270)
「 我々が存在するとき死は存在せず 死が存在するとき 我々は存在しない」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二酸化炭素による温室効果に対する疑問

2024年02月22日 | 科学

 標記について、以前物理学者が疑問を呈していることを書いたことがあるが、今般Copilotでその説明を求めてみると、以下のようなものが返ってきた。

以下Copilot引用:

「温室効果」は、大気圏を有する惑星の表面から発せられる赤外線放射が、大気圏外に放出される前に、その一部が大気中の物質に吸収され、再び惑星へ放出されてくることで、そのエネルギーが太陽光のエネルギーに加わって地表や地表付近の大気をさらに暖める効果のことを指します1

具体的には以下のようなプロセスで起こります

  1. 太陽からの短波長の放射エネルギー(可視光線など)が地球の表面に到達し、地球の表面を暖めます。
  2. 暖められた地球の表面からは長波長の放射エネルギー(赤外線)が放出されます。
  3. この赤外線の一部が大気中の二酸化炭素などの温室効果ガスに吸収され、そのエネルギーが大気中に蓄積されます。
  4. 二酸化炭素分子は、吸収した赤外線のエネルギーを使って振動し、そのエネルギーを再び赤外線として放出します。
  5. この放出された赤外線の一部が地球の表面に戻り、地表の温度を上昇させます。

このように、温室効果は地球の温度を生き物が暮らしやすい状態に保つ役割を果たしています。温室効果がなければ地球の平均温度は氷点下19℃となり、生命の存続は困難となると考えられています。しかし、人間の活動により二酸化炭素などの温室効果ガスが過剰に排出されると、温室効果が強まり、地球全体の気温が上昇する「地球温暖化」が進行します。(引用終了)


 おかしいと思うのは5の記述である。

 そもそも、太陽からの放射エネルギーは二酸化炭素の空気中含有量の0.04%しかキャッチできない。つまり、スカスカ。それが地球表面で跳ね返り二酸化炭素に帰るのは、0.04%の2乗つまり0.0016%、それしきの熱量で温暖化させるほど影響があるとも思えない。

 つまり、温暖化があるとすればその原因における二酸化炭素の寄与度は微々たるものであると考える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

H3 ロケット打ち上げ成功

2024年02月17日 | 一法言

 昨年3月に打ち上げを失敗したH3ロケットが故障箇所を修正して本日朝9:22に種子島宇宙センターから打ち上げられ打ち上げは成功した。

 前回はたった一つの小さな部品の不具合が原因だったようだが、そのため原因究明に苦労したようである。

 ともあれ、これで日本の宇宙開発も順調さを取り戻すだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実と事実(16)天地創造

2024年02月13日 | 一法言

 天地創造といえば、一神教の神によるものがよく知られるところである。

 ここでは私の天地創造説を紹介したい。神ならぬ自己による天地創造である。

 まず、天地に2つがある。前から述べている真実界と事実界よるものである。

 事実界の天地とは頭の中で造られたイメージだから、自己の造ったものであることは容易に理解できるはずである。想像による創造である。

 真実界における天地創造はその前提として宇宙の中にいる宇宙と一体となった自己、とすると自己が動けば宇宙が姿を変える。

 たとえば、右手に持つ物を左手に持ち替える、そんな他愛のない行為であっても状況、景色は変わってしまう。微小極まりない変化であっても宇宙は姿を変えたのである。その変化は相互作用によって周辺に伝搬していく、距離が離れるに従って影響力は弱まっていくようだが、時ところによって増幅作用を持つTVや携帯電話のような装置もある。

 私の今書いている拙い文章だが、閲覧数のトータルが100万を超えている。内容には賛同なく影響されなかったとしても、閲覧する時間は取られているわけだから多大なる影響を受けている。

 閲覧によって意識の流れが変わる、意識が変われば行為が変わる、行為が変われば他の人に影響する。連鎖反応が私から始まり広がっていくのである。

 バタフライエフェクトは天地創造の一形態といえるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実と事実(15)鄧小平の言葉

2024年02月07日 | 一法言

 近頃、中国関係のユーチューブを見ていると、政治経済情勢に関し鄧小平の言葉が引用して使われることがちょくちょくある。

 それは「事実に基づき真実を求める」というものである。私が強調している真実と事実の意味と違うが、真実と事実とが使われているので関心を引いた。

 鄧小平がどういう意味で使っているか、意味不明だが私なりに解釈してみた。

 事実だがこれは現状のこと、それは中国伝統の共産主義に資本主義を取り入れたもの、資本家の存在を認めたこと、これは共産主義に反するものだけれどこれにより経済発展させようというものである。国民が資本家になることを認めるに留まらず外資を導入することまでやった。

 深圳等の経済特区を設けて開国開放という政策が実行されているというのが事実。

 真実を求めるというのであるから、理想とする状態を言うのであろう。
 共産主義者なんだから、共産主義社会の実現と考えていたのであろうか。それとも資本主義を入れ込んだのだから共産主義社会は無理だから、経済大国を目指すことにしたのだろうか。

 平たく言えば、鄧小平の真実とは金なんだ。資本主義も共産主義も結局は金、金が本尊という話ということになる。

 私のいう真実と事実とは次元が違うようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島地震被災状況

2024年02月05日 | 世相

 能登半島地震被災状況は次のとおり。

 石川県は5日、能登半島地震で連絡が取れなくなっている安否不明者が同日午後2時現在で、輪島市9人と珠洲市2人の計11人になったと発表した。前日から1人減った。災害関連死15人を含む死者数は240人で変動はなかった。

 県によると、5日時点で確認された負傷者は1182人、住宅被害は5万2337棟だった。避難者は1万3946人。(共同)

 ユーチューブでテレビ金沢が能登町・珠洲市・輪島市・穴水町周辺の車載カメラ映像を放映していたので時間がかかったが一通り見てみた。あちこちで倒壊した建物が散見され被害の大きさが見て取れる。

https://www.youtube.com/watch?v=oNR9MyBVqAU

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

節分はゲン担ぎの日

2024年02月02日 | 一法言

 節分は験担ぎの日だ。

 筆頭が豆まきである。「福は内 鬼は外」。老若男女、誰でも楽しめる。

 しかし、この掛け声は問題ありとするのが物事を逆から考える癖のある私からすると、違うのではないかと思ってしまう。

 家内に鬼がいて福がない家庭なのかなんて考えてしまう。
 折角の日なんだから、気持ちだけでもあるものを外に出す「福は外」と掛け声をする。それだけでも気持ちが豊かになる。

 「雑巾を当て字に書けば蔵と金、あちら拭く拭く(福々) こちら拭く拭く(福々)」

 節分に雑巾がけなんて下のゲン担ぎよりずっとよさそうだ。
 雑巾は汚いもののようだが、実は相手の汚れを吸い取って自分は汚れつつ相手を綺麗にする、その自己犠牲は美しいのだ。 

節分のゲン担ぎには、他に以下のようなものがあるようだ。(Bingより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実と事実(14)七仏通戒偈

2024年01月30日 | 一法言

 佐々木閑 花園大学特別教授は現在アビダルマの講義をされている。

 婆沙論によると、釈尊は前世において、3阿僧祇劫+90劫の修行の期間があり、その間において228006人の仏に会いそれぞれから仏になれるという授記を受けたというのである。

 最後の90劫の間に出会った6人の仏、( 毘婆尸(びばしぶつ)、尸棄(しきぶつ)、毘舎浮(びしゃぶぶつ)、拘留孫(くるそんぶつ)、拘那含牟尼(くなごんむにぶつ)、迦葉(かしょうぶつ)、その過去仏に釈迦牟尼仏を加えたものが七仏ということになる。

 そのどの仏も共通して説かれた戒めの言葉が七仏通戒偈という。

  • 諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫(な)く
  • 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
  • 自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
  • 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり

 具体的にどうするのかというと、私は次のとおりと考える。 

「諸悪莫作 衆善奉行」  事実界を分別智を用い、つまり瞑想等の実践行によって清浄ならしめること

 「自浄其意」      真実界を無分別智を用い、つまり禅定によって清浄ならしめること

 佐々木先生は、仏道修行は瞑想修行が大事と言われている。瞑想とは精神集中だと言われる。この意見には賛成できない。精神となにか、誰がどこにどのように集中するのか。

 坐禅は集中ではない。集中を解くことである。内山興正老師のいうように頭の手放しである。といってだらっとすることではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生命力は宇宙力

2024年01月23日 | 一法言

 「生命力は宇宙力」は、私のキャッチフレーズである。

 これは、「宇宙力が生命力」と「生命力が宇宙力」と併せ持つ意味となる。

 「宇宙力が生命力」は、我々人間は宇宙の中に宇宙の一部分、一欠けらとして生まれて宇宙と一体的に存在している。宇宙力は宇宙を形成し運動せしめる力と解すれば、その力は宇宙中に遍満しその力は当然切れ目なく宇宙の欠片にも及んでいる。

 「生命力が宇宙力」は、前の逆で部分があって全体がある。
 つまり、この私を抜いたら宇宙が成り立たないということである。

 宇宙全体を一つの生命体と考えると、分かり易く理解できるかもしれない。

 宇宙力としてはいろんな力があるが四つの力のうち、電磁力と重力は計数的に測られ、その影響範囲は無限大であるという。宇宙の中のあらゆる存在は繋がって一体として存在している。

 「我あるがゆえに彼あり、彼あるがゆえに我あり」
 最も嫌う者や敵とも生命的に繋がり、依存しているのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする