”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・日本の原風景(2)

2008年09月25日 22時56分24秒 | 趣味

9月25日(木)曇
今日はなんとなく気ぜわしい一日になりました。朝車検の手続きをし、昼は会社の受付の女の子が明日で退職すると聞いて、5年以上もいろいろお世話になったので何かお礼をしたくて堂島ロールに40分も並んでしまいました。もっともいつもお付き合いしてくれるTeさんがいなかったらできないことでした。それから先週日曜に傷つけた車の修理に保険を適用してもらうための手続きと日産への修理手配を車検と並行してできるよう手配し終ったところです。
9月15日のヨットでのKaさん誕生祝いパーティの写真ができあがったので15日のブログに追加しておいたので興味のある方もない方も見て下さいね。

それでは今日は日本の原風景第2話です。あくまでもフィクションなので真面目に考えてはダメですよ。

この島で生き残った者達の運命を述べる前にもう少しこの島の成り立ちを話すこととしよう。
この島が大陸から切り離されたのはもう数百年前のことでした。今では島の中央部となっている高い山々ともう一つここから南西方向に千キロほど離れた部分の両方でほとんど同時に大きな地響きと共に噴火が始まったのが引き金でした。流れ出る赤い溶岩流が至る所に見え隠れし、上空は黒い噴煙で昼でも真っ暗闇でした。こんな状態が3ヶ月も続いたあと、追い討ちをかけるかのように大きな地震が発生したのです。大地には縦横無尽に亀裂が走り、それが海岸線まで達する度にドッと海水が流れ込み、その勢いで高波が陸地の三分の二を洗い流すありさまでした。大地に走った亀裂を中心に至るところで地盤が沈下し、そこに海水が流れ込んでくるのが1ヶ月続いているうちに大陸からはるか東のはてにほぼ4つの島が残るだけになってしまったのです。遺された島の大部分は押し寄せる高波に流され島の高いところに所々緑が残されただけでした。真ん中の大きな島では未だに白い噴煙が所々であがっており島全体が緑の少ない赤茶けた島になっていた。、その北側の島では噴火や津波はあったものの比較的緑の残された島として残っていた。一方西側の島と南西の小ぶりの島はほとんど緑の消えた茶色の島になってしまいその後も地震と小噴火を繰り返していました。こうして東のはてに4つの島からなる火の島が誕生したのだった。
以前大陸と陸続きだったころは人も動物もたくさんいたのであったがこの天変地異で残された生き物はと言えば残された緑の森にごくわずかであった。このサバイバルの中で生き残った人はこの時代でもっとも原始的でもっとも過酷な自然の中でも耐えられる遺伝子を持ったものだけだった。それから数百年の年月が過ぎた今、時々大きな地震や噴火はあったものの緑豊かな島へと変わって行ったのです。ただ相変わらずの過酷な自然の中で人や動物が増えていくことには限界がありました。ただ豊富な水の恩恵にあずかったのは植物と渡り鳥たちだけであった。残された人の中でも体力のある若者たちは比較的地震や噴火の少ない島の東北部や北側の島に徐々に移って行きました。そして年寄りや女・子供は自然の脅威にさらされながらも残るしかなかった。そして残った人たちはいつも運よく生き延びる人たちにより命をつないでいた。一方北に移っていったものたちは寒さと食べ物の確保に苦労して行くのであるが、この者たちの運命はまた別の機会に述べるとして今回はこのわずかに命をつないで来た者達のその後の運命を辿ってみることにする。

今回はここまでです。
次回はいよいよ緑と水の豊かではあるが地震と大雨に悩まされる湿気の高い3つの島で、残された人達の新たな展開を述べることにします。
それではまたの機会をお楽しみに。

コメント
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