”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・日本の原風景(1)

2008年09月23日 21時12分03秒 | 趣味
9月23日(火・祝)晴
今日は彼岸の中日、静岡の田舎に墓参りに行ってきました。もう35年以上ずっと続けている習慣のようなものです。田舎を出て、家族を持ってからずっとです。まぁ親不孝者の先祖への侘びのような行為かもしれません。写真は田舎の裏庭にある小屋の奥の栗の木です。ちょうど栗がはじけて落ちてくる時期でした。3時間ぐらいの間に落ちてきた栗が20個ぐらいとれたので持って帰りました。山の中の家なので栗が終ると隣の柿が収穫期になります。ほんのちょっとずつしかありませんが昔の家はみんなどこでも家族が食べる分ぐらいはいろいろ植えてあったんですよね。
そこでちょっと思いついた日本の原風景を何回かに分けて書いてみます。

まだ氷河期が過ぎて間もないずっと昔のことです。その小さな島は東のはてにありました。うっそうとした緑と赤茶けた岩肌が霧におおわれ、山頂からは噴火のあとの噴煙が上っていました。四方を海に囲まれ、河口は沼地と化し、あとは岩肌が海に迫り、およそ平地と言うものが見当たりませんでした。この島は1年を通して大雨にさらされるのが常でした。フユには北からの冷たい風が大雪をもたらし、ハルになると雪解け水が川を氾濫させ、やっと温かくなって来たかと思うと南からの暖かい風が梅雨をもたらし、何日も降り続き、土砂崩れや河川の氾濫をまねいていました。長い梅雨が終ってやっとナツの太陽が輝きだす頃になると、何の前触れもなく台風と今では呼ばれている嵐がやって来て、海辺では高波、山では樹木の倒壊、がけ崩れ、河川の氾濫を引き起こしていました。そんなわけでアキの実りもその大半が消えてなくなるのが恒例になっていました。さらに一年に何回かの地震や火山活動が起こる島でした。こうして1年を通して休まる暇がないほど自然の驚異にさらされている島だったのでした。それでも山の草や木々は倒されて、流されても豊富な水のおかげでたくましく成長していました。この島の自慢と言えばミネラルをいっぱい含んだ豊富な水と、その水の恩恵を受けた数々の植物たちでした。そしてこの島をたまたま通りかかって休息した渡り鳥たちの楽園となっていました。コウノトリはいつしか渡りを止めて島の住民になっていました。氷河期の最後の頃に訪れた火山活動によって大陸から切り離されたこの島では噴火、地震、数々の大雨によって動物達はほとんど生き残ることができなかったのです。それでもわずかに生きながらえた動物や人がいました。この物語はこの生き残った人たちが過酷な自然の中でどのようにして日本人と言う民族になっていったかの古事記にも載っていない記録の一部です。
今日はこれまでです。次回をおたのしみに!!
コメント
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