西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

金沢、片山津などへ、高校卆50周年クラス会へ、

2010-06-04 | 金沢の思い出
5月30日から6月2日まで3泊4日で金大附属高校卆50周年クラス会に参加し、併せて久し振りの墓参り、そして自分史のための若干の資料収集と「金沢巡り」をした。

今後「旅はたびたび」で、何回か行って資料収集、調査・聞き取りもしたい、と意欲が湧いてきた。

先ず、クラス会等の記録と記憶:我々1960年(昭和35年)卒(11期生)は途中出入りも含め160人位の同期生を有している。いつものクラス会は60人~70人の参加だが、今回は50周年記念ということもあり、過半数80人を越える参加があった。これは同窓会60周年を期して最近出来た「同窓会館」等の見学や各種オプショナルツアーの実施があったことも参加「魅力」を増したためと思う。

5月30日の午後に母校(金沢市内)に集合、新設「同窓会館」の朋友館を見学、丁度、石川県高校囲碁大会が開かれていた。建設に際して私も応分の寄付をしたので「標示銘板」の裏に名前が小さく刻まれていた。これも「匂い付け」であると思う。現在、図書室に置いてある卒業生から寄贈のあった図書は、いずれこの朋友館に収納展示されるようだ。私も今まで3冊ほど寄贈している。

そこからマイクロバスに分乗して宴会宿泊の片山津(温泉)に向う、山側(大略東側)の新設の道路で南下、途中、左手の山腹に北陸先端科学技術大学院大学が見える。片山津・柴山潟(湖)畔のJAホテル翠湖に到着、受付後、

16時より記念講演「これからの加賀市を考える」という演題、講師は加賀市長の寺前秀一さん(金大附属高の数年後輩、山代町(現・加賀市に含まれる)生まれ、東大法卆、中央官庁の官僚を経て大学教授、観光学博士、昨年、加賀市長に当選)だった。

寺前市長の話より:現・加賀市は大聖寺を核とし加賀温泉郷とも言われる山中、山代、片山津、(粟津はどうなるか)を合併してかかえ、そこでバランスをとりつつ重点政策もやらねばならず、苦労する。もちろん病院問題など福祉がベースで大事なのだが、自分は観光学を大学で教えていることもあり、観光開発でも引っ張っていきたい。

金のかからないキャッチフレーズ戦術→「萩、津和野、大聖寺」(二、三、五と語呂がよい・・・私の評価)「小金沢、加賀市」(金沢は、昔は北陸の小京都、と言っていたが卒業して、金沢でブランド化した。そこで加賀市は小金沢を使わせてもらう。金沢まで東京、富山方面から新幹線がやがてやってくる。その関東圏、北陸圏の客を金沢止まりにせず加賀市まで引っ張る。)「加賀市からの白山眺望は最高」(隣りの小松市長も「小松からの白山眺望は最高」と言っているので競争になる→「金城山ー大聖寺ーからの白山は最高」としたら良い、とのクラスメート(当地出身)からの提案があった。私注:『日本の百名山』でも有名な深田久弥は大聖寺に生まれ、現在記念した「山の文化館」があるのも活用すべし)
更に「小松空港」を石川県知事・福井県知事にも働きかけて「加賀越前空港」と改名する。・・・これには小松は反対するだろう。

現在、有名建築家(親父さんは亡くなったが金沢出身)の設計で総ガラス張りの総湯を設計、まわりの既存の温泉風景とどう馴染ませるか、頭が痛いようだ。

片山津は、一時、年に160万人ほど観光客が来ていたが、今は30万人ほどでガタ減りという。(じゃ、我々は一寸「貢献」したかな・・・)

終わって温泉に浸かり、記念撮影した後は宴会、卆後初めて会った人もいるしワイワイ会が進み二次会、我々男子7名の部屋に2,30人の男女が集り三次会(こういう場合、畳の間は「便利」)、ドイツ人男性と結婚しドイツからはるばるやってきた人もいた。ドイツ語が一寸飛び交っていた。午前2時頃に「お開き」となった。

次の日は、オプショナルツアーだった。私は、金沢へは行きやすいので、幾つかあった金沢行きは止めて、大聖寺組に参加した。ここは、私の父親の先祖(大聖寺藩士)の出身地でもあるからでもある。