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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

グルメの原点、北大路魯山人と器(備前焼等)

2007-10-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日の夕方、衛星テレビで1959年に亡くなったグルメの大家、北大路魯山人と器について見た。究極、自然の食材による料理の「着物」としての器も自然を反映したものが良い、と悟って備前焼などの素朴な陶器にたどり着いたようだ。
備前焼に盛られた魚や野菜の料理を見ていて、備前焼は、自然の食材を育む「大地」を象徴しているな、と思った。とにもかくにも「自然は偉大である」。
(写真は、魯山人)

民間企業勤労者の年間所得

2007-09-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日ラジオを聞いていたら、民間企業に何らかの形で働く人は4485万人、平均所得は434万9千円、しかし200万円以下の人が1千万人以上いると言う。
まあ、私は現在は平均位(手取り)かな、と思うと共に、正社員とフリーターなど二極化しているな、これも新政権が解決していくべき格差問題だな、と思った。

東京雑学大学と「けいはんなThat's学大学」

2007-09-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
表題を見て「何のこっちゃ」と思われるだろう。
東京雑学大学は、12年の歴史を持ついわゆる「市民大学」である。現在はNPOになっている。で、私が住む「けいはんな地域」で私が仮に称する「けいはんなThat's学大学」(けいはんな地域の「あれが学問だ」大学)は未だあるわけではない。

本日あったことを報告したい。NPO法人「東京雑学大学」副理事長の菅原珠子さん(学習院女子大学名誉教授、西洋服飾史)を「けいはんな市民大学」を構想している「けいはんなのまちづくりを考える会」(代表:ごろちゃんさん)に迎えて近鉄高の原駅前のイオンの「コスモスホール」で懇談会を持った。
そもそも、これは以前にtomityanさんが東京雑学大学の活動について体験に基づいて「けいはんなのまちづくりの会」の第34回例会で話されたことに端を発している。

今日の集まりで、前々から「けいはんな地域」で「けいはんな市民大学」(仮称)を作っていきたいね、という「けいはんなのまちづくりの会」の多くの有志の気持ちが又一歩進んだのではないか、と思う。

今日、集まった「けいはんなのまちづくりを考える会」のメンバーは、9人であるが、そのうち8人が、SNS(けいはんな地域SNSお試し版)のメンバーと思う。順不同、敬称略で、tomityan、buchi、けたお、FUTAN、のりちゃん、スギ、沢庵、ichiroである。OさんのみSNSメンバーでないのではないか。(もし、メンバーだったら失礼!)

とにかく東京(西東京)で週一回、年50回の講義をしている東京雑学大学は12年の歴史を持ち、世間的にも認知されている。最初は、菅原珠子さんの夫の菅原範人さん(故人、早稲田大学卒)が始められた。この活動は、先ず『朝日新聞』(東京版)に1995年5月24日の「求む◎謝礼のいらぬ教授 保谷・田無「市民大学」長年の知識・経験の生かせる方」という記事からスタート、「コーヒーのいれかた、漬物漬けかたなど幅広いテーマに沿って市民に教授就任をお願いする。」と菅原さんは当時言っている。謝礼、受講料、会場費タダの「三タダ主義」が当初方針。最初は月一回の予定だったのが、呼びかけに応えて50人が「教授」に応募したため、週一回で一年先まで講義が出来ることになった、と言う。「教授」には、本物の教授、名誉教授(早稲田大学関係者が一番多いようだ)もいるが、ジャーナリスト、会社の経営者、等々バラエティに富んでいるようだ。今回、菅原珠子先生を招く橋渡しをして頂いたtomityanさんも東京在住の折り、「教授」として「薬の常識・非常識」という講義をしておられる。

その後、東京雑学大学は、NPOとなり、「学報」発行その他、費用が要るので、「三タダ主義」は改めて「学生会(年間とうしで受講可能のメンバー)」会費を取り(現在4千円)、その他の参加は5百円/回になっている。やはり長続きするには、ボランティアでよいが「持ち出し」は苦しい。NPOになった後は、記録や報告書つくるのに「補助金」を得たとのことだ。

現在、人気のある講義(歴史もの・・)で7,80人、少なくて40人位の「学生」参加と言う。当初は男女半々の参加だったが何故か最近は男性が8割方、平均年齢60歳台らしい。「学報」が充実していて、講師に800字で要約を書いてもらい掲載している。それらを見ると私も知っているそうそうたるメンバーもいるし、市井の人たちもいる。いわゆる講義の「プロ」も「アマ」も「教授」になれるのだ。

さて、我々の「市民大学」にも話が及んだが、今までの例会活動や、このSNSでの話題展開、コミュニティの状況を見ると、当面、毎週は苦しいが月一回で何とかいけるのでは・・。テーマに「らーめん食べ歩き」「鉄道模型つくり」「俳句講座」「洒落講座」「都はるみ論」「地域子育て論」などといったのもあるのでは・・、という声もあった。(くしゃみした人いましたね!)まあどういう層に、どういう目的で講義展開するのか、多様なテーマの深め方はどうするのか等と関連がある。

場所として、近鉄高の原駅前の「イオンコスモスホール」で定期的にやるのも一つの手という意見もあったが、他のSCであるアルプラや近商にも聞いてみよう、との意見もあり、他の公共的施設の検討や、研究施設への「出前講座」もあるのでは・・・、等々意見が出た。今後検討、だ。

名前として「けいはんな市民大学」という仮称があるが、パンチが今一つ、「雑学大学と言えば、自治体などがやっている生涯教育でないことが明確」「それなら西日本雑学大学というのはどうか」「けいはんなThat's学大学はどうか」・・・という意見もあった。(最後のは、不肖・私の「意見」))

約2時間の懇談は15時半頃に終わった。今後のこと「考える会」の世話人会で検討されるであろう。

過去の、又これからの東京雑学大学の講義アーカイブ(月一回)は以下のアドレスにおいて見れるようです。一度、見て聞いてみたい。
http://www.npo-ccc21.or.jp/zsgnlive/inform.htm

墓地の雑草抜き

2007-09-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
彼岸まで約1週間、今夕、日が傾いて暑さが少しひいた16時から1時間ほど妻と一緒に家の斜め前の共同墓地の私達の墓地敷地の雑草を抜いた。久し振りである。畳二枚分、約1坪の敷地であるが、雑草が背の高さほどではないが結構繁茂していて、鍬で根元から切り取る作業の後、近くの樹木の根元に捨てた。回りが石で囲われているので、そこを鍬で切り取ろうとすると石に鍬の歯が当って火花が散る。仕方なく雑草切り取り鋏を使った。まだ蚊がいるので長袖のシャツに軍手、長ズボンに靴下、バンドの簡易虫除け、更に蚊取り線香持参で取り組んだ。この共同墓地はニュータウンの外縁の旧村が管理していて、今日も管理委員会の人たちが機械を使って頼まれた敷地の雑草を刈っていた。年に二回ばかりする雑草抜きも段々しんどくなる。来年あたりから少し金を払って管理委員会に頼もうかな、と思った。まあ墓をつくってしまえば恐らく雑草抜きは不要となる。ボチボチ考えようかな。しかし、雑草抜きで、一汗かいた後のビールは何と美味いことよ、とも思った。
That's so!?

6歳の孫の「祖父母の会」へ参加

2007-09-15 | 生活描写と読書・観劇等の文化
名古屋にいる6歳の孫(女)から幼稚園での「祖父母の会」に出て欲しいと招待状が来た。妻と相談して初めて出かけてみることにする。来た招待状は宛名が妻になっているし(これは母親の娘が書いた)、なかの絵と文章も妻用である。が、電話では、余所の仲の良い子はお祖父ちゃんが来るようで、自分もお祖父ちゃんも招待したいと言う。何とか行けそうなので「今年は幼稚園も最後だし行ってあげるよ」と返事した。こういう経験は初めてで、「わくわくそわそわ」だ。
で、昨日(金曜日)実際行ってみて、私より年配のお祖父ちゃんお祖母ちゃんが一杯だ。幼稚園はキリスト教系なので園長先生のお話とお祈り、園児の年少、年中、年長組の「お歌」、そして祖父母がパフォーマンスする場もあった。独楽回しである。私も勇んで出て行って昔を思い出してやってみた。上手くいって、孫も嬉しそうだった。名古屋まで行って一寸疲れたが、いい一日だった。

蔵書の整理

2007-08-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夏休みで名古屋から来ていた孫達のうち長孫は11歳で小五である。彼は、数年前から毎年、私の書架の片隅にある「サザエさん」「いじわるばあさん」(以上、長谷川町子著)シリーズと「フジ三太郎」(サトウサンペイ著)(実はこれらは娘の蔵書)を何度も読んでいるが飽きないようだ。書棚の前の2階廊下に寝転んで見ている。木の床だから冷たくて気持ちが良いのだろう。私が通りかかると「おじいちゃん、何冊くらい本持ってるの?」と聞いてきた。実際、数えたこともないが、いい加減に「一万冊位かな」と言ってみた。考えてみると、高校に入った15歳位から50年間位、づっと継続的に本を買っている。毎年平均で200冊位とすると50年で1万冊位となる。実際にはもう少し少ないかもしれない。現在の家、T.居住地の「書庫」両方を合算しないといけない。一回、EXCELを使って整理を始めたが、途中で「中断」している。何時か再開しなければ・・・と思う。「おじいちゃん、全部読んだの?」とも聞かれたが、そんなわけがない、何時か必要で読むかな、と思って買ったものも多いからだ。でも、なるべく背表紙で本の題名が読めるように整理したい。

大学生時代に読んで感銘を受けたGrand Books30冊位、書棚の最上段に置かれているが、それらの背文字を見るごとに当時の情景、気分等を思い出す。

新井 満「千の風になって」誕生秘話 から

2007-08-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
SNSフレンドのFUTANさんが『文藝春秋』9月号に新井 満さんが 「千の風になって」誕生秘話 を書いていることを知らせてくれたので、近くの本屋で買って読んでみた。この号は、芥川賞発表号でそれを含め他にも色々読み応えのあるものがあるが、ここでは新井 満さんのその文章を読んで・・、川柳に「墓参りしない理由に千の風」というのがあるらしい。確かに新井 満自由訳の「千の風になって」では、「私のお墓の前で泣かないで下さい そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています・・・」となっている。しかし、新井さん自身にとって、「お墓参り」は30年来の趣味と言う。この詩と墓参りは全然矛盾しないと言う。新井さんによると、「お墓は死者の「現住所」であり、死者と会える「面会所」だと私は考えている。死者は普段、狭苦しいお墓の中にずっといるわけではなくて、「千の風」に歌われているように風や星、雪や光などさまざま形を変えて、世界中を飛び回っているのである。しかし、生者がお墓に面会に来たことがわかれば、瞬時にお墓に戻ってくることも可能なのだ。だから、お墓参りをすれば、死者と対面できる。対面が終わって参拝者が墓所から去れば、またどこかに飛んでいってしまうのではなかろうか。」(197頁)とのことだ。中々ユニークな考え方だ。新井さんは、国内では石川啄木をはじめ雪舟、芭蕉、良寛、坂本竜馬、土方歳三など、海外ではドストエフスキー、ワーズワース、マチス、シェイクスピア、スウィフトなどのお墓参りをし死者達に会って来たようだ。
私は、一寸違う意味で、色々な墓、墓地に行っているし、今後も行こうと思っている。墓は最後の住居であり、墓地は最後の居住地であるからだ。日本の墓や墓地は、もう少し明るく楽しく何時でも散歩がてらに行ける場所でありたい。少し別の話になるが「金沢21世紀美術館」の蓑 館長は「構えて行く美術館ではなく、気軽に、美術館にでも行こうか、にならないと」と言った趣旨を言っているが、墓や墓地もお盆だから、お彼岸だから、と行くのも良いが、何時でも立ち寄りたい空間でありたいものだ。(私のブログで墓、墓地を検索すると記事が60以上ある。興味ある方は検索してみてください。)
(写真は、函館市・立待岬の石川啄木の墓)

京都五山の送り火

2007-08-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日8月16日は、京都では五山送り火の日だ。学生時代(1963年~1966年頃)に大文字山のすぐ前の銀閣寺前町に下宿していたので、ひと夏、大文字山に燃やす薪を運び上げ、山の上から京都の町を見下ろしたことがある。結婚して娘が松ヶ崎小学校に通っていた時、松ヶ崎正田町に住んでいたので、8月16日は京都工芸繊維大学の運動場から「妙」「法」を間近に見上げたこともある。夜の20時に点火でもうすぐだが、今年はNHKTVが25台のカメラを配して実況中継する。
昨日8月15日がお盆の真っ盛りで先祖を迎え、今日8月16日がその先祖をあの世に送り戻す日だ。色々な由緒あるイベントは、こういう風に生きている人間の立場からあれこれ意味づけられ長続きするのだろうな、と思う。

銀閣寺前町の下宿:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1356fcf4468b74685c7b181b27e6c7d7

源氏物語、坊ちゃん、

2007-08-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夕べ、NHKラジオで『鈍感力』の渡辺淳一さんが「源氏物語トークスペシアル」で話をしていて面白かった。光源氏の次々の恋愛について、1)とことん恋愛しているという表現がない、2)特に女性からみた「とことん恋愛」表現がない・・、と批判している。インタビューの女性ディレクターは、後からのコメントとして1)当時として、現代のような(例えば渡辺淳一さんのような)「恋愛表現」ははばかられたのではないか・・、2)逆にいうと読者に想像させる仕組みにしたから長年人気を維持しているのではないか、と言っていて両方そうかな、と思う点がある。別に現代の「源氏物語読書サークル」は女性に多く、男性に少ない、あんなに次々に女性遍歴する男を現代女性は許せるのか、とも渡辺さんは言っている。逆に男性に「読書サークル」等が少ないのは、男性は超モテ男の光源氏が嫌いだから、と言っている。そう言えば、現代語訳も女性が多い(与謝野晶子、田辺聖子、瀬戸内寂聴)、現実の男性を離れて光源氏様、という感じなのだろうか。これを聞きながら、ふと夏目漱石の『坊ちゃん』と松山市民を思い出した。『坊ちゃん』では、東京から来た坊ちゃんに徹底的に松山市民は馬鹿にされている。それでも松山市民は『坊ちゃん』をあがめたてまっつっているようだ。小説も色々な見方があって面白い。
そう言えば、評論家の加藤周一さんは、『日本文学史序説』で、日本の文化史では、ギリシャのように哲学や倫理学が大きくあったのではなく、万葉集や源氏物語のような詩歌や小説にそれらが表れている、という見方もあったな、と思い出した。

朝ドラファン

2007-08-06 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夜のドラマは、時間の関係で殆ど見れません。NHK大河ドラマは時々見ますが・・・。それと、どうしてもテレビではフィクションよりニュースやドキュメンタリー中心になりますね。
でも、昔から朝の「朝ドラ」は、時計のように見ています。女子大にいたし、いるので女性が主人公のNHKTVの朝ドラは必見でもありました。1983年の「おしん」は、残念ながら外国にいたため途中からしか見られませんでした。漫画というと「サザエさん」ですが、あれも女性中心の世代家族ですね。日本人の一つの理想家族と思います。朝ドラの家族も大抵は、おじいちゃん、おばあちゃんのいる世代家族が中心でしたが最近はバラケテきましたね。今やっている東北、盛岡の伝統旅館の女将に都会育ちが挑戦している『どんど晴れ』では、主人公の夏美の相手の柾樹のおばあちゃんは大女将としていますが、おじいちゃんはいないし、お母さんは亡くなり、家出したお父さんにも最近ようやく会えるといった家族関係ですね。でも、まあ女性が困難を乗り越えていくというメインの筋がはっきりしているので安心して見られ、女子学生にも推奨しているところです。朝から涙を流すのもどうかと思いつつ見ています。

深呼吸

2007-07-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、早朝6時半からの「テレビ体操」をやっている。あらためて深呼吸をすると気持ちよいことが分かった。前に、空気の大事さについて書いたことがある。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ea0655bb6b77c6fafe9f02a2f419e3cc
忙しいと、せわしげに浅く呼吸していることになる。呼吸は、毎日毎時毎分毎秒のことで、生きている限り続くものだから、本当に大事である。
森や林で深呼吸すると、とりわけ気持ちが良いことは、芦生(あしゅう)原生林(京都府北)での体験でもはっきりしている。日本は7割ほどが山林、緑なので気軽に近づける諸方策をとると共に、人工的都市内にも公園、歩道、公共施設、庭等にもう少したっぷり、良く考えて「緑」をはりつけて良いのではなかろうか。

夏休み・・・風景の変化

2007-07-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今朝、高の原から近鉄に乗って、何か何時もの風景と違うのに気づいた。ああ、小中高が夏休みなのだな、と思った。9時頃なのに小学生の女の子がお母さんと乗っている。何かお稽古ごとに行くのかな、バイオリンケースを担いでいる。仲よさそうに喋っている。京都駅でJRに乗り換え、高槻に着いて、市営バスに乗り換えたら、浮き輪を持ってプールに出かける親子(男の子二人とお母さん)に会った。
ふと、私の「遠い」小学生時代の夏休みを思い出した。
ああ、もうすぐ小学5年生、幼稚園生、0歳の孫たちが「来襲」するなあ、とも思った。別に「来週」ではないが・・・。短いが、どう付き合っていこうかな。とにかく夏休み風景である。

ラジオ体操、テレビ体操

2007-07-24 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夏休みになると、一寸思い出すのは、子供時代に毎朝行って行なったラジオ体操だ。私の住んでいたのは金沢市桜畠三番丁だが、七番丁の奥に空地(広場)があって、夏休みになると早朝そこに桜畠の子(一番丁から十番丁)が集まってラジオ体操が行なわれていた。で、今朝、今住んでいる桜が丘の街区公園へ7時頃に出てみたら、小学生達が集まってラジオ体操一番をテープを流してやっていたので「参加」してみた。指導はお母さん達、若干お父さん達も来ていた。お父さん達と挨拶し「やあ、体が一寸硬くなっているので・・」とか何とか言っておいた。子供たちに聞くと、夏休みの最初の1週間と最後の(8月の)1週間にあるとのことだ。昔と同じで参加するとカードにハンコを押してもらえる。昔は皆出席だと何か貰えたのではなかったか。今はどうなっているのかな。とにかく昔も今も「素晴らしきラジオ体操」である。
まあ、今日は「在宅日」で「興奮して」少し早く起きたので、別に6時半からテレビ12ch.での「テレビ体操」もやってみた。こちらは「ラジオ体操二番」その他だった。椅子に座ったままでやれるのがあるのも良い。それらをやった後は、やはり体もすっきり、心もすっきりといった感じだ。最近、何故か(歳のせい?)左手(腕)が少し痛くて、上がりにくく、整骨院にも行ったが治らない。それで、ラジオ体操、テレビ体操をやってみようか、という気になったのだ。「三日坊主」で終わらねば良いが・・・。(「ラジオ体操」は、子供時代に、きちんとやった世代なので、やることに「抵抗」はない。後、運動では、臨海学校での「泳ぎ」、林間学校での「森林浴」、校庭での「ソフト・ボール」等も懐かしい運動だ。)

過去資料の整理と本作り

2007-07-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、「別邸書斎」に行き、少し段ボール資料の整理をした。2年3ヶ月前の奈良女子大を退職した時に150箱近くあって5段位に積んでいたのが、30箱位に減って2,3段になっている。今一息である。勿論、他に「本邸書斎」「本邸地下」「本邸前室(ここは本来、家内の作業場)」他寝室等の資料もある。基本的に、何処かにいけば分る公刊資料・雑誌は近年のを除き廃棄、会議等の資料も殆ど廃棄で、大分減った。問題は、学生達のレポート、これが身を切られるようで中々処理しきれない。返すことも考えてみたい。
まあ、過去資料は何のためにあるのか、を考えてみると、過去の自分史をまとめるためではないか、と思う。「情報エントロピーの増大」を本という形で収束させるのだ。編年的に全てを突っ込んでの自分史もありうるが、研究自分史、教育自分史、旅行自分史、イベント自分史等に分けることも出来る。一部重なっているが。早くやりたいのは、「本邸、別邸造り記録」を退職記念講演の題のように『一住一切、二住二彩』として本にすることだ。今年度、少しは来年度にかかっても是非やりたいが・・・。

目薬は永久にさすのか、インプラントはどうか

2007-07-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
 今日、眼科と歯科に行った。眼科は、ほぼ月一回のチェックである。人間ドックで、放っておくと緑内障の恐れ、と脅かされたためだ。薬は「キサラタン」というファイザーという会社の点眼薬0.005%のもの2.5mlで、毎日一回左右の目に垂らす。これで4週間もつので、ほぼ月に一回チェックして薬を貰うのだ。この薬は要冷蔵で、(旅行に行くときなど)真夏の持ち運びは大変だ。
今日のチェックでは「眼圧は正常範囲内です」と言われたので「点眼薬はづっとさすのですか」と聞いてみた。「そうですね、出来れば継続でさして下さい」と言う。(これでは、一生「薬漬け」だな、と言いたかったが、ぐっとこらえた。)
 次に歯科に行った。先月末に手術で埋め込んだ上右の1本のインプラントの所の抜糸だった。簡単に終わった。先生は、上は下よりインプラントが骨に定着するのに時間がかかる、五ヶ月ほどそのまま、だから12月中旬から次の工程、とのことだ。定着を早めるためカルシュウムを意識的に摂取しないといけないかな、と思った。