今日は、午後から都庁本庁舎で標記の講演会を聴講した。
勤めている大学の海外研修派遣先であるアメリカの大学との交流が5年となったことを機会に、先方の大学から教員を招いての交流記念講演会だ。
当初は3月に開催予定だったが、先の東日本大震災の影響で延期され、今日の開催となった。
海外では、本学の学生や都職員がどのように見られているのか、都はどのような役割を果たしていくべきなのか、というテーマで行われるパネルディスカッションに興味があったので、受講を希望した。
初めに知事から挨拶。続いて法人理事長、本学の客員教授が各々開会にあたっての挨拶。普段なかなかお目にかかれない方たちである。そのため、ふつうの研修にはない、開始10分前には着席しているように、というきついお達しがあった。
もう10年ほど前に公開講座を担当していた頃に、どうやっても6割ほどしか埋まらなかったホールが会場だったが、今日は補助椅子まで総動員して満席。酸欠になりそうだった。
かつて、大学に勤めていたことのある懐かしい顔もちらほら。「まだ大学ですか。長いですね~」と言われ病気であるとも言えず、「引き取り手がなくて・・・」と苦笑いして応答した。
基調講演は、先方の大学の副学部長と公共政策学・政治学の教授の二本立て。この大学は220年の歴史を持ち、政治学、公共政策学、語学教育において特に評価が高いという。大きなスクリーンに映し出される、ハリーポッターのホグワーツ城にも似た美しい大学の写真を背景に「21世紀のグローバルパートナーシップ」、続いて日本語のレジュメ付で「どのように人を行動させるか:促し(Nudge)からその先へ」と題して30分ずつ。
その昔、大学で政治過程論・比較政治論のゼミを取っていた私だったが、後半の講演にはその当時の講義を思い出させるような懐かしさを感じた。日英同時通訳レシーバーを使ってのものだったが、日本語と英語が両方同時に飛び込んでくる状況に頭の切り替えがうまく出来ず、疲労困憊した。その後、こうした都職員や・大学院生の海外研修派遣プログラムを企画している語学教育開発センターのディレクターから、プログラムの概要について話があった。
休憩後は、客員教授がコーディネーターを務め、先方の大学のゲスト3人と本学の教員2人によるパネルディスカッションという、盛り沢山な3時間半。
が、いかんせん盛り沢山過ぎて消化不良気味。テーマにつられて期待して出かけていったけれど、内容はテーマとはずいぶんとかけ離れたもののように感じた。コーディネーターが出した結論は、別にこのメンバーで語り合わなくともいいようなもので、語学はツールであるから、発信するために勉強しても語る内容がなければ意味がない。自国文化、アイデンテイティをしっかりさせなければ・・・、というものだった。
まあ、それはそうだ。今を遡る17年前に、半年間、研修で欧州を廻った時、折に触れて”私はアジア人種である”というまぎれもない事実を思い知らされ、それと同時に、自分の国のことをろくに説明できない自分を恥ずかしく思った。
つまり、いかに自分が自分の国のことを良く理解していなかったのか、と。それにしても、テーマから見て都の施策等が中心になって米国からどのように見えているのかということが論じられるのかと思っていたが、結局それには触れずじまいであった。
米国における日本人留学生数は1997年の47,000人を最高に、昨年は24,800人と半減に近いという。次の時代を担う若い人たちの留学に対する意欲が下がっているというが、実にもったいない限りではないか。若く心が柔らかいうちに是非、自らのComfort Zoneを脱してサバイバルな生活にチャレンジしてほしい。そのことは、間違いなくその先の人生を変えるように思う。
今朝はまたも早朝覚醒してしまい、それでも往生際悪くベッドでぐずぐずしていた。朝食前にもナウゼリン。そして講演中気持ちが悪くなったら大変と昼前にもナウゼリンも飲み、昼食は当然少なめにしておいた。良い刺激になったが、体調不良だったので、終盤はかなり顎が出た。帰りは夫とターミナル駅で合流。お弁当を買って帰宅した。
とにもかくにも今週もなんとか乗り切った。明日はプチ虹のサロンの皆と今年唯一の忘年会。今日も早目に休みたい。
勤めている大学の海外研修派遣先であるアメリカの大学との交流が5年となったことを機会に、先方の大学から教員を招いての交流記念講演会だ。
当初は3月に開催予定だったが、先の東日本大震災の影響で延期され、今日の開催となった。
海外では、本学の学生や都職員がどのように見られているのか、都はどのような役割を果たしていくべきなのか、というテーマで行われるパネルディスカッションに興味があったので、受講を希望した。
初めに知事から挨拶。続いて法人理事長、本学の客員教授が各々開会にあたっての挨拶。普段なかなかお目にかかれない方たちである。そのため、ふつうの研修にはない、開始10分前には着席しているように、というきついお達しがあった。
もう10年ほど前に公開講座を担当していた頃に、どうやっても6割ほどしか埋まらなかったホールが会場だったが、今日は補助椅子まで総動員して満席。酸欠になりそうだった。
かつて、大学に勤めていたことのある懐かしい顔もちらほら。「まだ大学ですか。長いですね~」と言われ病気であるとも言えず、「引き取り手がなくて・・・」と苦笑いして応答した。
基調講演は、先方の大学の副学部長と公共政策学・政治学の教授の二本立て。この大学は220年の歴史を持ち、政治学、公共政策学、語学教育において特に評価が高いという。大きなスクリーンに映し出される、ハリーポッターのホグワーツ城にも似た美しい大学の写真を背景に「21世紀のグローバルパートナーシップ」、続いて日本語のレジュメ付で「どのように人を行動させるか:促し(Nudge)からその先へ」と題して30分ずつ。
その昔、大学で政治過程論・比較政治論のゼミを取っていた私だったが、後半の講演にはその当時の講義を思い出させるような懐かしさを感じた。日英同時通訳レシーバーを使ってのものだったが、日本語と英語が両方同時に飛び込んでくる状況に頭の切り替えがうまく出来ず、疲労困憊した。その後、こうした都職員や・大学院生の海外研修派遣プログラムを企画している語学教育開発センターのディレクターから、プログラムの概要について話があった。
休憩後は、客員教授がコーディネーターを務め、先方の大学のゲスト3人と本学の教員2人によるパネルディスカッションという、盛り沢山な3時間半。
が、いかんせん盛り沢山過ぎて消化不良気味。テーマにつられて期待して出かけていったけれど、内容はテーマとはずいぶんとかけ離れたもののように感じた。コーディネーターが出した結論は、別にこのメンバーで語り合わなくともいいようなもので、語学はツールであるから、発信するために勉強しても語る内容がなければ意味がない。自国文化、アイデンテイティをしっかりさせなければ・・・、というものだった。
まあ、それはそうだ。今を遡る17年前に、半年間、研修で欧州を廻った時、折に触れて”私はアジア人種である”というまぎれもない事実を思い知らされ、それと同時に、自分の国のことをろくに説明できない自分を恥ずかしく思った。
つまり、いかに自分が自分の国のことを良く理解していなかったのか、と。それにしても、テーマから見て都の施策等が中心になって米国からどのように見えているのかということが論じられるのかと思っていたが、結局それには触れずじまいであった。
米国における日本人留学生数は1997年の47,000人を最高に、昨年は24,800人と半減に近いという。次の時代を担う若い人たちの留学に対する意欲が下がっているというが、実にもったいない限りではないか。若く心が柔らかいうちに是非、自らのComfort Zoneを脱してサバイバルな生活にチャレンジしてほしい。そのことは、間違いなくその先の人生を変えるように思う。
今朝はまたも早朝覚醒してしまい、それでも往生際悪くベッドでぐずぐずしていた。朝食前にもナウゼリン。そして講演中気持ちが悪くなったら大変と昼前にもナウゼリンも飲み、昼食は当然少なめにしておいた。良い刺激になったが、体調不良だったので、終盤はかなり顎が出た。帰りは夫とターミナル駅で合流。お弁当を買って帰宅した。
とにもかくにも今週もなんとか乗り切った。明日はプチ虹のサロンの皆と今年唯一の忘年会。今日も早目に休みたい。