ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.12.25 クリスマスプレゼントは梅小路機関庫で

2011-12-25 21:34:22 | 
 旅行3日目。本日が最終日。今日はゆっくり起きて、足湯をして外の寒さに備えた。朝食もレストランがクローズする間際に終えて、荷物をまとめチェックアウト。

 ホテルから徒歩で本日の目的地、梅小路蒸気機関車館へ向かう。
 途中、粟嶋堂という小さな明神様を見つけた。ここは古来より婦人の守護神とされ、婦人病平癒や安産祈願にご利益があるそうだ。与謝蕪村が娘の病気回復を祈願した時に詠んだ句が、境内の石碑に刻まれていた。「粟嶋へ はだしまいりや 春の雨」。せっかくのご縁、私もしっかりお参りさせて頂いた。

 さて、この梅小路機関車館もまたセンチメンタルジャーニーの一環で、8年前に息子が大喜びで訪れたスポットだ。“機関車トーマス”でお馴染みの扇形車庫(重要文化財)と転車台があり、沢山の蒸気機関車が展示されている。エントランスと資料展示館は旧二条駅舎で、これも京都市指定有形文化財である。
 何時間でもいたいし、何回でも来たい、とは息子の弁。おりしもクリスマスで、機関車にはクリスマスリースやサンタの帽子が飾られていた。

 我が家のリビングには、8年前に息子とここで写した合成写真がまだ飾られている。この息子とのツーショットの写真が2人ともよく撮れていて(息子はどんぐり眼玉でクエ、クエ・・・のチョコボール・キョロちゃんのようだった。)、息子らしいひょうきんな表情が気に入って、初発の入院時には病室に持ち込んで飾った記憶がある。
 それが今や、見上げるほどの大きさになってしまった。

 前回の旅では、北野天満宮に初詣に行き、生まれて初めて絵馬に挑戦。その直前にもらった通信簿に書かれた「人の話がよく聞けるようになりましょう。」にちなんで、「人の話がよく聞けるようになりますように、 7歳 ○○(名前)」と書いた。当時は12時近くまで起きていたことなどなかったので、除夜の鐘を聞くや否や、ヨレヨレでタクシーでホテルに戻り、コートのままベッドに倒れこんでそのまま寝てしまったのも、今では良い想い出だ。
 そうはいっても、いまだに人の話がよく聞けない息子って、一体・・・と思わないわけではない。湯島天神、太宰府天満宮と日本全国の学業の神様にお参りしているにもかかわらず・・・と。
 それはさておき、見学は息子に任せることにして、私は入館したものの、あまりの寒さで暖房が入っているJR客車の休憩所から殆ど動けず仕舞い。SLスチーム号というD51-200機が500mほどを往復するサービスを2時間近く待って乗車。息子はストラップ等の記念品をゲットしてご機嫌でホテルまで戻った。

 予約していたホテルのレストランで遅いお昼をとり、シャトルバスで京都駅まで戻り、予定通りの新幹線に乗車。途中、岐阜までは外は真っ白だったが、名古屋に着くと雪はすっかり姿を消していた。食べ盛りと自称する息子は、昼食後僅か1時間半ほどでまた駅弁を1人前ペロリとたいらげ、見ているだけでお腹が苦しくなった。

 明日、明後日と仕事をしたら水曜日には治療納め。
 夫と息子は30日からまたも5泊6日の長い旅行に行く。息子は、部活の乗車記のネタ作り旅行なのでルンルン気分であるが、付き合う夫は本当にお疲れ様なことである。

コメント (2)
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