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生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信795 ・ひとつの「自立した死」

2011-02-09 06:19:15 | 日記
おはようございます。プライベートなことですが、ぼくの関心事のひとつは「上手な生き方、上手な死に方」です。
生き生き箕面通信795(110209)をお届けします。

・ ひとつの「自立した死」

 昨日、ある葬儀に立ち合いました。亡くなったのは97歳の女性Mさんです。死因は老衰、天寿を全うしたといえるのですが、「自立した死」の迎え方を貫いたともいえるものでした。葬儀は、家族中心のごく少数による家族葬の形で執り行われました。 

 Mさんは、東京都の社会福祉センターで相談員(カウンセラー)として勤め、退職してからは海外旅行を楽しんでいました。有名なところはほとんど行き尽くしたといえるほど、世界中あちこちを回ったのです。

 早くから終の棲家を決めていました。娘時代から師事していた先生が営む精神修養団体「新生会」(群馬県高崎市))の老人ホーム「春香園」に入り、寝たきり状態になってからは同じ団体の「誠の園」という特養施設で過ごし最期の時を迎えたのでした。

 精神修養団体は、キリストの愛の精神を基礎とし、一人ひとりが人間として誇り高く生き抜くことを実践するための団体です。

 Mさんは、台湾で生まれたのですが、終戦直後に小さな男の子3人を連れて引き揚げてきました。途中、疎開していた山の中からキールンの港までの長い道のり、男の子の中には歩けなくなって引き揚げ集団から取り残されるような苦労をしながら、命からがらようやく日本に戻ることができたのです。

 しかし、夫は中国大陸で捕虜となり家族のもとには戻っていませんから、女手ひとつで子供を育てていかなければなりませんでした。その後、夫が復員してきてからも経済事情は苦しく、苦労はたえませんでした。子供は5人に増えていましたがそれぞれをなんとか大学に進ませました。

 相談員としては、家庭内暴力から逃げだした女性たちの味方として懸命に支え続けました。

 年老いてからは、「子供たちの世話にはならない」と、自分で新生会の施設に入り終の棲家としたのです。最期まで誇り高く生き抜いた生涯だったといえると思います。葬儀が終わるころ、生前から表明していた献体引き取りのため、群馬医大の車が指し回されてきました。

 プライベートなことですが、Mさんはぼくの母親でした。