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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

鹿児島の街角の店先の たぬき

2005年07月15日 20時11分02秒 | 日本事情


たぬき@焼酎持参

わらじもはいている。

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ブログの制度的属性にひとつに「締め切り」があるよね。ブログはその日に投稿して、それがブログ管理会社の日付承認を受けて、日付入り記事として蓄積されている。 もちろんとりあえず毎日投稿して後から記事の編集をすることもできる。 ブログと普通の個人のweb siteの大きな違いは投稿あるいは更新の動機付けだよね。 ブログだと自然と毎日更新になりやすい。これはつまりブログ装置に毎日掻き立てられているともいえる。

■去年の今ごろはインドはデリー。 あのインド2週間は、なにか夢のようだ。

今年の海外出張は、中国となった。相手先からアポ取れた。もちろん、いちおう、こうおいらはおもう、したがって、businessにあらず。会合だ。事前情報によると、中国共産党がその会合を仕切っているので、中国内の その筋のひとは白けて、参加しない模様、とのこと。 従って、おいらは、その筋の素養がない中国共産党のおれきれきと会合せねばならない可能性大。 ちなみに行き先は北京と大連。 北京は共産党仕切りの会合。 大連はおいらが個別にアポ取った。 ああ!大連。 台湾を別色で塗った地図さ、持っていくいくべか。




夫婦でイデオローグ 細木数子 安岡正篤

2005年07月14日 04時54分04秒 | 日本事情



■ おいらが、現在日本で一番の反動イデオローグとして、舌を巻いているのが、細木数子センセだす。

TBSテレビで細木数子が出ている番組。

これは終始、実は 細木とTBSは、冗談・しゃれ でやっているのか?これを真に受けるおいらは 野暮 なのか?という問題はあるにせよ、 細木の破壊力はすごい。

その番組で細木は女性タレントたちに、「女は仕事をするな。なぜなら、世間に出て仕事をすると すれっからしになる。 女は家庭で男に尽くせ。 尽くしたふりして、手の上でころがせ! 女の幸せは結婚だ!」と、説教するのである。

勝手に説教するのだけでなく、タレント達は恐れ入って納得し、誰もつっこみをいれない。

これは、思想篇であるが、実践篇もあり、食事のいただき方の作法を教示する。

男性タレントが片手でお椀を持ちみそ汁を呑んでも、男だからいいのよと許され、女性タレントが同じことをすると、「死刑」(あんたはもうおわっているのよ!)が宣告される。

この番組をみて、おいら、びっくりしただよ。 いいのか!? こんな番組! この番組は現在日本でもっとも反動的な番組である。

夫婦でイデオローグ
        
<共同幻想>担当   <私的幻想>担当

■ 鹿児島の新聞の片隅に県議会議員がPC(political correctness=政治的正義)違反だと、「容疑」はわすれたがとにかくフェミを逆なですることを発言したようだ、あるフェミ団体(代表、東京大学教授・上野千鶴子)が抗議したと載っていた。この記事は、上記のようなド反動なテレビ番組が堂々と流され、どうやら視聴率もそう低くないのだろう状況で、一田舎県議会議員(←差別発言ですね)の発言の揚げ足取りをしていることを示す。


焼け石に水

この番組とその受容を見て、フェミニストは絶望しないのであろうか? 男女共同参画の法律化というひとつの結果を生み出したフェミニズムは、いんてりフェミ、とえりーとフェミ行政官の政治ごっこであり、庶民たちは、いんてりフェミの言うことなんか全く理解せず、賛同せず、細木センセの御高説を脳みそに染み入らせているのである。

少なからずの国民が上記イデオロギーを受容しているという現実で、国家の最大の文化的イデオロギー装置でしかありえないテレビに、なんのつっこみもなしかいな!?、というのがおいらの感想ではある。

■ それにしても、こんな とんでも番組をつくるTBSの欺瞞性にも言及しなければならない。 TBSといえば、報道政治番組に石原慎太郎や安倍晋三など「反動」政治家を出演させず、りべらる=ばかサヨク路線のコメンテーターを集め、りべらる=ばかサヨク路線の政治報道番組をつくっている。

会社として 反「反動」=リベラル路線をとっているように見せかけながら、実際やっていることは、

女は仕事をするな。!のプロパガンダばらまき、 である。

もちろんTBSは営業でやっているのである。リベラルだろうと反動イデオローグだろうと、視聴率がとれる番組をつくるのである。だったら、報道の自由とか政治的正義とか偉そうなことを言わずに、視聴者さま、スポンサーさまの映像制作会社と表明すればいい。


営業おサヨク

■ 細木の存在は、あたまでっかちで庶民の実状とかけはなれた「お花畑」フェミワールドを踏みにじる怪獣のようである。


進歩派です。けんかも学びました。


けんか は私に習ったほうがいいわよ
反動の嵐

反動の小雨。 「父の娘」。泥水なんて啜ったことありません! 


反動の.......

■ 実は、庶民の本当をわかっていなのは、細木センセなのである。今時、あるいは今後女・子供養っていける男性賃金労働者というのはどんどん減っていくのである。細木は「いい男は仕事は金もあり、力もある。そういう男に女はかしずけ」と説教しているのだが、そういう男の数は限られる。高度経済成長期は専業主婦と子供2人の「標準」家庭を男性賃金労働者の賃金で維持できた。しかし、そういう時代は終わったのだ。現在、年収300万円などというは恵まれているほうである。時給800円、一日8時間働いて6400円、月20日働いて約13万円。年収にして156万円という賃金労働者層が多数となっていくだろう。そういう、賃金労働者がもし家庭をもって子供をそだてるとなると、夫婦で働く以外ない。 もちろん、そんな苦労はしたくないので、結婚せず・子供持たないというのが現在の少子化の一端ではある。




ダットサン or おんぼろ in 薩摩

2005年07月13日 01時44分30秒 | 日本事情




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別件;

ゴタクをならべるのではなく、 やすやすと乗り越える

ポテト姫 留学

というのを見つけたますた。

韓国には、でぶがいない、というのも、そういわれればそうかな?ともおもいますが。

ちなみに、韓国では、はげは恥ずかしくて死にそうなこと、とテレビであるコリアンが言っているのを見ますた。ほんとなんだべか?




南洲顕彰館

2005年07月12日 06時23分12秒 | 日本事情
南州軍墓群の前に、南洲顕彰館に行く。

西郷の一生を説明・展示したもの。 西郷の人生のエピソードがわかる。 しかし、西郷の「本質」は全然わからない。

気づいた点は西郷の名をあげた最初の仕事は蛤御門の変での薩軍の指揮。30半ば。それまで、1度ならず島流しに逢い、組織の中で研鑚したのではなく、一人孤独に修行していたらしい。そういう組織なれしていない人物が蛤御門の変で軍という組織を指揮できたのか不思議。 まあ、実務能力というよりカリスマ性のせいなのだろう。それにしても、一人で修行していて、戦争の仕方はどうやって学んだのだろう?座学からなのだろうか?

まあ、いづれにせよ、よくわからん、西郷南洲。


西郷軍は鹿児島の城山で全滅した。
その城山での西郷軍の遺留品の展示。その中に 竹雀 の火薬入れがあった。
戊辰戦争で仙台兵からふんだくったものだろうか? それとも薩摩の友好藩の宇和島藩からのものか?
撮影禁止だったけど、許してケロ。

西郷南洲墓地

2005年07月11日 22時11分29秒 | 日本事情
■新屋敷からタクシーで鹿児島市の北、西郷南洲顕彰館と南洲墓地に行く。
途中、タクシーの運転手さんが西郷終焉の地へ寄ってくれる。



■まず、西郷南洲顕彰館見物。西郷は、おいらにとって、全く不可解なので、何も書けない。

■西郷南洲顕彰館見物の間に雨が落ちたようだ。



■西郷南洲と郎党の墓群は凝灰岩でできていた。その御影石とはちがう、土色の石肌が雨に濡れた樹木の緑の中に群居していた。

 ◆それは、私がそれまで見たことのあるどんな墓地とも違っていた。西郷隆盛の墓が中央にあって、他のどの墓よりも大きく、堂々たる威厳を示しながらこの場所の空間を圧している。その左右には桐野利秋、篠原国幹の墓があり、さらに村田新八、別府晋介等等の薩軍の諸将の墓が居流れている。
 振り返れば、場所は金江湾を一望の下に見下ろす景勝の地で、湾内には桜島が聳え立ち、晩秋の晴れた空にかすかな噴煙を棚引かせている。そして、その空は、湾口を越えてどこまでも広く、南の海原に連なっている。
 墓ではなくて西郷隆盛その人が、現にその場にすっくと立っているような、薩軍の将士が一斉に甦って隊伍をつくり、西郷のまわりをひしひしと固めているような幻覚が、一瞬私を捉え、しばらくのあいだ私は、吾を忘れて茫然と立ちすくすほかなかった。


江藤淳『南洲随想』より。






■タクシーの運転手さんが桐野利秋の字が反対に彫ってあるんだよ、と教えてくれた。はたして、そうだった。逆賊がどうのこうので字が逆さに彫ってあるうんぬんと説明してくれたが、よくわからなかった。


■墓地からは桜島。

鹿児島の古本屋

2005年07月10日 21時52分21秒 | 日本事情
鹿児島なのに庄内書店
鹿児島市、樋之口町。黎明館から1.5kmくらい。歩いていく。


店内の雰囲気。1970年代、1980年代初頭の雰囲気。ここにはバブルがこなかったんだろうな、という感じ。


残念ながら、おいらにとって、そそる本、特に薩摩歴史関連、はなかった。
欲しい本はあったが、あえて鹿児島でなくても。
1時間あまりいたので、1冊大物を買う。
のち、アマゾン中古で調べたら1割以上高かった。


にゃんこ、いました。本の上に座りまくり。


庄内書店の筋向い。

薩摩藩英国留学生

2005年07月10日 14時50分51秒 | 日本事情
■この日、昨晩半井さんが明日は鹿児島は終日雨と言ったのに、雨降らず。

だから、徒歩移動楽だった。

■鹿児島中央駅、以前のこの駅の名「西鹿児島駅」は廃名になったようだ。西鹿児島といえば昔のブルートレインの終着駅。今は新幹線。

鹿児島中央駅から市電で市役所前まで行き、徒歩で黎明館に行く。黎明館とは歴史博物館。比較的新しいとお見受けする。鶴丸城址の敷地、近代は旧制七高、にある。

現在は企画展『渡航140年記念 薩摩藩英国留学生』を観る。



展示内容は;
I  外圧と薩摩藩
II  留学生等の足跡
III 報告書と薩摩藩の動向
IV  帰国後の活躍

展示室はそれほど大きくない部屋。
薩英戦争の後、薩摩藩が、グラバー商会の手引きで、英国に若者を研修におくる。森有礼はその一人。

■展示品で目を引いたものは森有礼の書いたもの。「自警」という題の べき論。展示してあるものが「本物」なのか、現在でも文科省の大臣室に掲げてある方が本物なのか忘れた。

5月30日付・編集手帳 (読売新聞) - goo ニュース

終(つい)に以(も)って其(その)職に死するの精神覚悟あるを要す

と結んである。教職に死を賭す、とはイメージが湧きにくいけど。


■今回初めて知ったのは町田久成。 国立博物館を創設。のち、突然出家。

■いま気づいたが、展示がいまいち物足りなかったは、向こうで彼らがどんな暮らし、勉強をしていたかの展示品がなかったからだと思う。

■黎明館の通常展示は重厚・充実。例えば、薩英戦争賠償金の受け取り証書の本物があった。

●黎明館には案内の綺麗で若い女性が。客より多し。


薩摩で ソーメン に遭遇

2005年07月08日 23時50分00秒 | 日本事情

コメント

流しそうめん (ロンドンに決定)

2005-07-06 23:09:25

NHKの昼の番組で見たんですが、鹿児島は流しそうめんが元祖で盛んだそうですね。
目の前でぐるぐる回る卓上サイズの流しそうめん機を前に家族で食べたりしてるようです。
バーベキューのようなノリで。
いかさんは食べましたか。


というコメントがあった、きのうの今日。

日替わりの定食にソーメンがでました。



テレビで流しソーメン、というか、まわしソーメンの装置を使ってソーメンを食べていました。
中央のザルにゆでたソーメンの盛り付け。それをやおら周りの水が流動している溝に入れる。ソーメンがぐるぐると円周状にまわるのですた。