いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

森有礼 薩摩おばか劣伝

2005年07月06日 08時36分11秒 | 日本事情
薩摩3日目。曇天、雨、典型的な梅雨。
蒸し暑い中、汗みどろで現場労働。

■森有礼。大日本帝国政府、初代文部大臣。

薩摩から渡英、そして米国へ。

日本語廃止、英語採用論者。

日本人は 毛唐さんと配合して人種的にもっと優秀になるべき、ともいったらしい。

日本人洗脳ばかりではなく、日本人種の改良をも目指したファナティックな革命家。

つまり、大日本帝国政府というのは 反日・克日をその最大課題にしているのである。

その初代文部大臣・森の、おばかなのは 世の中考えた通りに行く、いや行くべきとの信念。

■呉智英が、戦後憲法のX条を(おいらが知らないだけ、婚姻について言及してある条項)を読み上げて結婚式とする「民主」夫婦なんてのがちょっぴりはやったらしいが気持ち悪いと言っていた。

森は、明治初期、結婚なんてのは契約だからと福沢諭吉を混ぜた会合か儀式かでその結婚契約を表明、取り交わすことを結婚の儀とした。 これも、ファナティックな革命家の典型的症状だよね。

その後その妻、広瀬常とは離婚。離婚原因は不明だが、一説には妻の広瀬常が青い目の赤ん坊を生んだとのこと。 やっぱり、有礼さんも毛唐崇拝とその実践でまずは子種から毛唐化したのかもしれません。

■森は、その調子でやりすぎて、神道系の人に殺される。
西郷、大久保とともに非業の死ではある。



明治最初から『抱擁家族』
帝国大学つくりますた。


帝大助教授&大日本帝国陸軍一等兵。
森有礼直系、「日本人はだめだ!」

■米英マニア番外


アングロサクソンになる前に がん になりますた。


■薩族その後


生き残って、親分